河合隼雄の『中空構造日本の深層』(中公文庫)を読んでいるうちに、私より20歳上の世代の自己の喪失を発見した。河合は家庭内の暴力を論じているつもりだが、じつは、日本の文化が中空構造なのではなく、彼らの世代の心のなかが空っぽであること、すなわち、中心となるもの、芯となるものが、ないということを論じているのである。
それは、彼の世代が、「八紘一宇」の理念のもと、欧米と戦うアジアの雄、日本の軍国的少年として育てられ、「神風」も吹くことがなく、神の国、日本が敗戦し、占領軍(アメリカ軍)に教科書が黒く塗りつぶされ、これまでの信じてきた価値観が総崩れ、拠り所を失ったからである。
河合は1928年に生まれ、14年前の2007年に死んでいる。彼の世代の多くは死んでいるが、いまなお、日本の保守に大きな悪影響を与えている。だから、河合を徹底的に叩く現在的意義がある。
本書のなかのエッセイ『家庭教育の現代的意義』を取り上げる。これは、前回取り上げた『中空構造日本の危機』の2年前に書かれたエッセイである。
ここでは「父権」「母権」と「父性原理」「母性原理」と区別している。「権」がつくときは、「家」「家族」で「父」と「母」とのどちらかが権力をもっているかの問題をいう。それに対して、「原理」がつくと、どちらの価値観が社会で機能しているかを問題視する。そして「母性原理」であることが日本社会の欠陥で、これが子どもが親に暴力を振るう原因だと言う。「父権」「母権」の問題を避け、進歩的知識人のフリをしているのだ。
それでは「母性的原理」「父性的原理」を河合はどう考えているのだろうか。
《母性の原理とは、端的に言えば、すべてのものを平等に包含することで、そこでは個性ということを犠牲にしても、全体の平衡状態をの維持に努力が払われるのである。これに対して、父性原理は善悪や、能力の有無などの分割に厳しい規範をもち、それに基づいて個々人を区別し鍛えてゆく機能が強い。》
私はこれを読んで「母性原理」のほうが「父性原理」よりマシだと思う。ただ、「平等」は「同質」とは異なり、「平等」が「個性を犠牲」とは結びつくことはない。「平等」とは対等の人間関係のことを言う。「能力の有無の分割に厳しい規範」をもつ社会なんて狂っている。「個々人を区別し鍛える」なんて、私はごめんこうむる。
「家庭内暴力」というが、河合は子どもたちと話し合っていない。ただ、親たちの相談にのっているだけである。そして、「父として、母として生きてゆくにはあまりに成熟していない」と相談者を罵っているだけである。そして、昔にかえることではなく、日本人の意識変革を唱える。
では具体的にどうすればよいと河合は言うのか。
《専門家として、明確に言えることは、そのような名案は存在しないということである。》
《文化の根本的な変革が強いられているときには、簡単な子育ての方式など存在しないのである。》
《われわれのいい方法は無いという確信に支えられ、親たちは他人に頼ることをやめ、自ら最も個性的な方法を見だしてゆくのであり、そのときこそ問題は解決してゆくのである。》
親たちをさんざん罵っておき、親たちに自力で解決しなさい、というのもおかしい。「個性的な方法」とは何を言いたいのか。
子どもによる「家庭内暴力」の問題は、たんに、(1)未然に暴力の発生を防ぐ、(2)暴力が起きたら退避か外部の力の利用でとりあえず抑える、(3)暴力を抑えた後、親と子が和解するという問題である。
未然に暴力を防ぐには、親と子が言葉で意思疎通ができる環境をつくることである。このためには、子どもを一人前の人間として扱い、対等に話し合うようにすることである。私の経験からすると、知的に障害がある子どもが親に暴力を振るうことはない。知的だからこそ、自分ひとりで苦しみ、わかってくれない親に暴力を振るうのである。世の中には、どうしようもなくひどいことがある。悪意とは感染症のように、人から人へとうつるものである。家族はそれと戦う同志なのである。仲間なのである。友達なのである。
対話ができず、家庭内暴力がおきてしまったら、とにかく、暴力を止めないといけない。暴力の本質は恐怖によって相手を操ることである。暴力は対等な人間関係を壊す。そして、最悪なことに、暴力を振るう人間は、相手の恐怖心をみて、万能感に酔うのである。したがって、暴力を慢性化させてはならない。一番簡単で効果的な方法は暴力から退避することだ。外部の力の利用は、警察にとどめるのがよい。ビジネスとしてやっている「××塾」などは信用できない。警察は「民事不介入」の原則があるので、その場の暴力を止めるだけで、深入りしないから、安全である。
暴力がとまっても、解決にはならない。NPOでの私の役割は、子供と親を和解に導くことである。人を信頼しても良いということを子どもに体感してもらう。人と人が争うより、人と楽しく暮らしたが、ずっと楽しいということを子どもに体感してもらう。世の中に屈服しなくても生きていけるという自信を子どもにもってもらう。世の中に屈服しないためには、家族の団結がだいじだということを話す。
親からも子に歩み寄らないといけない。暴力が生じたのは何かの社会的問題があったからだ。対話ができるには、まず、声かけからはじめる。しかし、目標は、世の中と戦う同志になることだから、冷静に対話できるまで、根気よく、たわいもない声かけをつづける。
だから、未然に暴力を防ぐほうがずっと楽である。
家庭内暴力は、けっして、母性原理とか父性原理とかの問題ではない。人と人との対等な関係を築き、仲間として団結できるかの、問題である。
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