新型コロナ対策で、行政の長は不正直である。病床があるのに、新型コロナの患者が入院が拒否されている。本当は病床がないということではないか。医療従事者が新型コロナのワクチン接種を済ましたというのに、感染防止の防護服を着て陰圧室で診療する。ワクチンが感染予防対策になっていないということを、医療関係者は知っているのではないか。尾身茂はワクチン接種のテレビ宣伝で、重症化を防ぐのに効果があるとしか言っていない。
行政の長は、医療体制が崩壊しているなら、崩壊しているというべきである。事実をみんな直視しなければ、対策ができない。みんなに責められるからと言って、事実を告げなければ、そのために、みんなが不要な苦しみをこうむる。
考えてみよう。20メートル、30メートルの高さの津波が押し寄せているとき、安全安心ですよ、と言って何の意味があるのか。
考えてみよう、原発事故が起きて、放射能の灰が降り注いでいるとき、安全安心ですよ、と言って何の意味があるのか。
「安全安心」でないときに、「安全安心」と言っても何の意味もない。事実を知らせないのは、愚民化政策である。行政の長は、日本人は愚かしいと決め込んで、事実ではないことを言っても、私は、何の意味もないと思う。
行政の長は、みんながパニックを起こすから、事実を知らせないと言うかもしれない。しかし、現在のように、情報伝達の手段が多様化した時代は、物事を隠すことができない。隠せば憶測が広がり、疑心暗鬼が起こり、混乱が広がる。
だいじなことは、事実に向き合い、冷静に最大の努力をつくせるように、行政の長は、みんなの心を強くすることである。パニックになるまえに、力をあわせるよう訴えることである。「安全安心」を言うことよりも、危機意識の共有と協力とを訴えることである。
感染症拡大抑制の基本は不要な人と人との接触を控えることである。出歩く若者のに、メディアが「我慢の限界だね」という必要はない。マスクをしたくない、外食をしたい、映画館で映画を見たい、ということはあたりまえで、そんなことを代弁したって意味がない。事実は、それが感染症を広めることだからだ。おまけに、最近、ワクチン接種が決定打にならないことがわかってきた。米国では、2回目接種後、8か月で3回目の接種が推奨である。
新型コロナ患者が入院できないということは、感染者を隔離できないことを意味する。ここまで、事態を悪化させたのは、行政の長の危機意識の欠如である。いざとなったときに使えない病床を「安全安心」のために使えると発表したことは、関係者みんなが知っていたことである。単に自分が責められないように、現状をウソついて説明していたから、一部のバカな人々が動き回ってたのではないか。そして、彼らは補償、補償と騒ぐ。
経団連なんて金持ちがますます金持ちになるための組織である。行政の長が経団連にお願いに行って何の意味があるのか。病床から金持ちを叩き出して、新型コロナ患者の病床をつくろうというのか。
病床がないなら、病床をつくるしかない。ホテルでなく、大きな部屋にたくさんの病床をつくれば、とりあえず、限られた医療関係者で、新型コロナの患者にとりあえずの処置ができる。そうすれば、患者の隔離にもなり、家庭感染も防げる。通常の入院よりも劣る環境だがそれしかないなら、ないと言って、大部屋の病室をつくればよい。オリンピック施設やイベント会場を使えないのか。
政府は、パラリンピックに、学童を集団観戦させるという。いま、横浜で学童の感染が広がっている。NPOで私がよく知っている学童の間でも、兄弟が感染したとか、友達が感染したとか、で、自宅待機になっているが子どもが何人もいる。しかも、これらの学童は現在ワクチン接種の対象ではない。学童にパラリンピックを集団観戦させたからといって、障害者に対する偏見がなくなるわけではない。偏見による差別は、身近なところにいる障害者にたいして起きる。学童の集団観戦は、統治者や行政の長の自己満足にすぎない。
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