老いのためか、だんだん、もうろくして、わからないことが増えている。
菅義偉首相が、あす、緊急事態を宣言するという。早く宣言しろという声に押されて、宣言することになったというが、緊急事態を宣言して何をしたいのか、わからない。
菅は、これから特別措置法を改正して罰金を課したいというが、なんのために、何に罰金を課したいのか、わからない。
そして、それが憲法に定める人権と整合性がとれているのかも、わからない。
どうも、政治家もメディアも論理的に話をしていない気がする。もうろくしている老人にもわかるように話してほしい。論理的に話すとは、なんのために何をしたいのかを、筋道を立てて話すことだ。筋道を立てて話されれば、それが合理的か、ものごとの理屈に合っているかが、ぼけ老人にもわかる。
きのう(1月5日)の新型コロナウイルス感染症対策分科会の提言は、私にとって比較的わかりやすいものだったが、メディアはその要点を無視している。意図的なのだろうか、それとも、私以上にボケているのだろうか。
分科会の提言は現状を次のように言う。
〈東京都を中心とした首都圏(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)では、……、感染拡大が続き、重症者及び死亡者も増加し、通常の医療、保健、高齢者福祉にも深刻な支障が生じてきている。〉
〈したがって、東京都を中心とした首都圏については、今は感染対策の強化を優先事項として、短期間に集中すべき時期である。〉
分科会は、「経済と新型コロナ対策の両立」をはかる方向では、もはや、新型コロナの感染拡大を制御できないと言っている。これは、ハッキリ言えば、分科会が菅の政策GoToキャンペーンを新型コロナの感染拡大の要因だと言っているのだ。
感染対策を優先し、それを阻止しない形で経済を維持すれば良いのに、両立だと言って、会食を奨励し、感染増大の首都圏から地方への旅行を奨励すれば、感染が全国的に広がるのが当たり前だ。
菅は自分の非を認めないで、緊急事態宣言して、どうするつもりだろうか。菅は単に人権抑圧国家に変革するためのチャンス、「危機は変革の最大のチャンス」と考えているのではないか。
分科会は、これまでの経験でわかったこととして、次のように言う。
〈8月までは接待を伴う飲食店での感染が多かったが、その後、クラスターが多様化し、飲食の場を中心に「感染リスクが高まる「5つの場面」」が明確になってきた。さらにその後、飲酒の有無、時間や場所に関係なく、飲食店以外にも職場や自宅などでの飲み会「宅飲み」)や屋内でのクラブ活動など多様な場での感染が相対的に増えている。〉
飲食店に時短を要求すれば、解決するような、状態ではないと分科会は言っているのだ。
〈このことは、「三つの密」や大声、「感染リスクが高まる「5つの場面」」の回避が十分には行われてこなかったことが原因と考えられる。〉
「3つの密」とは密閉、密集、密接である。スーパーの混雑も、通勤電車の混雑も、感染の危険があるのだ。スーパーや通勤電車の混雑状態をライブ報道すれば、混雑度の時間的な偏りを解消できるのではないか。
分科会は、つぎの問題を指摘する。
〈特に比較的若い年齢層では、感染しても症状が軽い又は無いことも多く、気が付かずに家庭や高齢者施設にも感染を広げ、結果として重症者や死亡者が増加する主な要因の一つとなっている。また、この年齢層の一部にメッセージが伝わりにくく、十分な行動変容に繋がらなかった。〉
政治家自ら会食をしていて、若者が節制しない、享楽的であるとするのは、分科会は政治家に遠慮しすぎである。もともと、政治家が食べながら、飲みながら、話し合うのは徒党を組むためであって、政策を論理的に議論する場として向いていない。新型コロナとは関係なく、政治家の会食は、徒党を組むための悪だくみの場であって、4人以下なら良いが5人以上はだめとか言う問題ではない。
菅は12月14日に政治家5人とプロ野球球団会長の王貞治(80)、俳優の杉良太郎(76)、タレントのみのもんたさん(76)と会食した。愛知県の市会議員のある会派がコンパニオンを招いて忘年会をやったが、彼らはメディアを通して謝罪している。しかし、菅はなんの反省も示していない。
経済と感染対策の両立という馬鹿げたことを言う前に、特効薬がないあいだは、ワクチンが行き渡らないあいだは、国民一人ひとりの行動の節制をお願いするしかないという、現状を菅は理解していない。
分科会は「緊急事態宣言下に実施すべき具体的な対策」として次のようにいう。
〈東京都を中心とした首都圏
(1)飲食の場を中心に上述の感染リスクが高い場面を回避する対策
(営業時間短縮の時間の前倒しや要請の徹底など)
(2)上記(1)の実効性を高めるための環境づくり
不要不急の外出・移動の自粛、行政機関や大企業を中心としたテレワーク(極力7割)の徹底、イベント開催要件の強化(例えば、収容率50%など)、大学や職場等における飲み会の自粛、飲食テイクアウトの推奨、大学等におけるクラブ活動での感染防止策の徹底など。〉
飲食の規制だけでは解決つかないと言っているのだ。しかも、要請しているのは、国民一人ひとりの行動の規制をもっと強化」せよと、分科会は言っている。
これに、呼応して、「緊急事態宣言を発出する意義」として、分科会は「知事が法的な権限を持って外出自粛要請などのより強い対策を打てるようになること」をあげている。
また、国がやるべき環境整備として、「事業者への支援や罰則、宿泊療養等の根拠規定など、感染対策の実効性を高めるための特措法や感染症法の早期改正」をかかげている。
じつは、特別措置法は、感染症の流行による社会的混乱、買い占めなどを規制することに眼目が置かれている。個人の行動規制を対象としていない。分科会は、飲食店の規制だけでは有効でないと分析しているのに、飲食店の規制に罰則つける改正に、本当に意義があるのだろうか。個人の行動規制は、各個人の了解にもとづいて行うべきで、罰則で強要すべきではないと思うが、ほかの人たちはどう思っているのだろうか。
分科会の提言でよく分からないのは、PCR検査を個人の意思ではなかなか受けられないという現状に言及していないことだ。
また、現在、PCR検査が簡易検査で終わっているが、その後、遺伝子解析(RNA配列決定)にまわし、変異種の出現を監視すべきではないか。民間や大学や研究所の利用を国が遺伝子解析のリーダシップをとって進めるべきではないか。
また、ワクチン接種は医療従事者が最優先で、つぎが老人たちだと政府はいう。しかし、テレワークできない仕事こそ、社会にとって不可欠の仕事である。例えば、清掃とか配達とか公共交通機関の担い手、工場の労働者などである。
老人ではなく、テレワークができない仕事をしている人たちを、医療従事者のつぎにワクチン接種で優先すべきではないか。また、感染のリスクの大きい彼らこそ、PCR検査が自由にうけられるようにすべきである。
保健所の過剰な負担を、保健所でなくてもできることは、他の役所の職員にまわして、疫学的調査に保健所の人的資源を集中すべきではないか。
菅のやっていることは馬鹿げているが、分科会の提言も突っ込み不足のように思える。メディアは、政府の施策と分科会の提言をもっと論理的に合理的に批判しないと、ジャーナリズムとしての社会的責任を果たせないと思う。
政治が、合理的な新型コロナ対策を忘れて、徒党を組んでの権力闘争に明け暮れていては、私にとって理解しがたいものになる。自民党議員のことを、とりわけ、菅義偉と二階俊博とを私は非難しているのだ。