猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

経済安全保障は自由な経済活動に反し、日本の技術や経済の発展にマイナス

2022-04-25 22:20:32 | 経済と政治

4月21日の朝日新聞「〈耕論〉経済安保のモヤモヤ」にもとづいて、「経済安全保障」をもう一度考えてみたい。〈耕論〉では、大河原正明、斎藤孝祐、松原実穂子の3人の論者がこの問題に異なる視点で聞き手に答えている。

斎藤は、経済安全保障を「脅威が経済的手段だった場合に、自国のもっている価値を守ろうとする」ことと定義している。「手段」と「自国」という言葉からわかるように、敵意をもった相手国がいることを前提としている。この「敵国」はどこか、彼は名指ししていないが、文脈からすると、「中国」や「韓国」などと読める。

「岸田政権が今国会で成立をめざす法案はサプライチェーン(供給網)強化、基幹インフラの事前審査、一部特許の非公開、先端技術の官民協力の4本柱」だそうだ。

斎藤は「『守り』の色彩が強いもの」というが、これを、現実の文脈で解釈すると、そうは思えない。敵国を「経済的手段」で屈服させるという攻撃性の強いものである。たとえば、数年前に。日本政府は韓国政府を屈服させるために半導体事業で必要な薬剤の輸出を止めた。

本法案は敵国を想定した攻撃と防御をおこなうために、企業の経済活動に行政府が介入するというものである。本法案が感染症の世界的流行や世界的気候異常を想定したものであれば、敵国を想定する必要がない。

経済活動に行政府が介入すると、大河原正明の心配するように、企業は行政府の恣意的運用のリスクが発生する。社長の大河原は元役員、元常務とともに、「軍事転用が可能な噴霧乾燥機を無許可で輸出した」として、2020年3月に逮捕され、11カ月拘留されたのである。翌年7月に東京地検は説明もなく不起訴とする。拘留中に元顧問は病死する。このことは、特異なことではなく、私も会社務めをしているとき、見聞きしている。日本政府の運用は恣意的なのだ。大企業は、政治家を通じて行政末端に働きかけることができるが、普通の企業にとって、運用の恣意性があるのは非常に困る。

経済安全保障で守る「自国の価値」はなんなのか。「食の安全」なら納得できる。殺虫剤まみれのアメリカの小麦粉の輸入を止めるのは理解できる。戦争でウクライナやロシアから小麦粉を輸入ができないときの代替策を用意するも理解できる。

しかし、日本の製造業の優位性を守るために、技術情報の公開に規制をかけるのは、安易すぎると思う。2000年代に日本から製造技術の流失が大規模に起きたが、バブル時の財テクの失敗の穴を埋めるために、経営者が特許を海外企業に戦略なく売ったり、熟練技術者を解雇したり、工場を海外に移転したからだ。業界で名の知られた技術者たちが韓国や中国の企業に高給で雇われているのを、私は当時目撃した。「経済安全保障」法より、日本の大企業の経営者は技術者にもっと敬意を払うべきである。

法で技術の流失を規制するのは、「経済活動の自由」に反する。大河原の指摘するように、企業は互いに競争しているから、技術のわかる経営者は、わざわざ大事な技術を外にださない。今日では、得意の技術を強化し、不得意な技術を他社からの供給で埋め合わせ、ウインウインの対等な関係のサプライチェインが形成される。昔のような子会社や上下関係の系列ではない。役人は現代の企業経営を知らないのだと思う。

「経済安全保障」法案は、人類の経済的発展にマイナスの影響しかない。政治家や官僚は本当にクズである。大企業の経営者もクズである。


あなたは「企業福祉」という言葉を知っているか、それは政府が大企業を支援すること

2022-04-24 22:27:07 | 経済と政治

ひさしぶりにJ. K. ガルブレイスの『ゆたかな社会』(岩波現代文庫)を読んでびっくりした。40周年記念版への序文に「企業の福祉」という言葉を見つけたからだ。さっそく、原典を図書館で借りだすと“corporate welfare”の訳で、本当にそういう言葉がアメリカにあるのだ。辞書を引くと、“money or aid given by the government to help a large company”とある。大企業を政府が財政援助したり、その研究開発を支援したりすることをいうのだ。

この序文は出版40年目の1998年の改訂に際して書かれたものである。私の記憶では、そのころ、日米経済摩擦が日本政府の全面降伏で決着し、アメリカ経済界が中国とのビジネス・チャンスに目を輝かしていた頃である。政治的決着は、日本政府がアメリカの農産物輸入の関税障壁をなくし、アメリカの兵器を日本政府が購入し、日本メーカーが自動車をアメリカで生産するようにしたことである。また、政府の動きと別に、アメリカ企業はトヨタの生産システムを徹底的に研究し、自信を取り戻したときである。

この時期に、政府が大企業を直接助ける「企業福祉」という考え方も、アメリカ社会に根を下ろしたとは知らなかった。ただ、当時、私の目には、まだ、ITではアメリカの優位性が崩れておらず、知的所有権を日本や中国に守らせば、世界の富がアメリカに集中するとみんなが思っていたような気がする。

当時、日本では、中国を低賃金の労働市場と見ていたが、アメリカ人と話すと、中国を巨大な商品市場になると見ていた。アメリカ企業は、商品市場開発に、中国系アメリカ人をつぎつぎと中国に派遣した。

ところが、2010年代になると、アメリカと中国との間の経済摩擦が起き始めた。そして、トランプ政権は、中国をアメリカの経済的脅威と位置づけ、HUAWEIの製品を西側陣営の政府が購入しないように、働きかけた。そればかりか、カナダ政府にHUAWEIの副社長を逮捕させた。

バイデン政権は、このトランプ政権を引継ぎ、中国を最大の敵国と位置づけ、「経済安全保障」という言葉をつくり、自分たちを正当化している。決して、中国が非民主的国だから、敵視しているのではない。アメリカは多くの非民主的国を友好国としている。エジプト、タイなどである。また、香港で起きている事態をこの間見殺しにしてきた。

アメリカ政府は「企業の福祉」の名のもとに大企業のための政治を行う。

岸田政権は、このアメリカ政府の「経済安全保障」を日本でも実施しようとする。なぜ、立憲民主党はこれに反対しないのか、不思議である。いまの党執行部はバカの集まりなのか、それとも「企業福祉」の応援団なのか。

大企業を支援する政府が民主的とは思えない。「経済安全保障」は民主主義国家がとるべき政策ではない。


最後のギフテッド・チャイルドはIQ143の小柄な男の子

2022-04-23 23:02:15 | 愛すべき子どもたち

最後に紹介したいギフテッド・チルドレンは、今年の4月に小学3年生になった男の子である。このような小さな子どもに本当に才能があるかどうかわかる筈がないと私自身は思っている。偶然の体験に左右されながら、才能はこれからしだいに育っていく。

私が気づいたのは頭の回転がほかの同年齢の子どもより早いのである。これは、神経細胞間の興奮伝達がスピードが速いのであろうか、そんな単純な話しではなさそうだ。その脳の仕組みを私は知らない。親によれば、WISC検査で IQ143である。IQ100が平均で、IQの幅15が標準偏差である。標準偏差の3倍も賢いということである。私自身はIQは目安であって大騒ぎしても意味がないと思う。

たぶん、天才科学者といわれるアインシュタインに、8歳のときにIQテストを行ってもIQ80ぐらいだろうと私は推定する。子どもときのアインシュタインは、家のお手伝いさんに軽い知的障害児と思われていた。のろまで、おしゃべりができなかった。算術も得意ではなかった。アインシュタインは、中学に進み、代数学に目覚めた。

親は、その子を「2E」、すなわち、「ギフテッドプラス発達障害」と思っていて、「ギフテッド応援隊」に入会している。月1回ほどのペースでzoomのお茶会をして、「知的に高すぎるがゆえの困りごと」について、そうだそうだと話しあっているという。ほかで、その話をすると、自慢と受け取られたり、いろいろ詮索されたりするから、ママ友に「困りごと」を話せない。

さて、その子は小学校1年で、不登校になった。1年の冬に私がいるNPOのフリースクールにやってきて、2年になって、登校を再開した。今年の3月からは、放デイで私が担当している。可愛い小柄な子で1週間に1度に教えるのを私は楽しみにしている。

1週間に1度 私のもとにくる以外に、学習塾にも通っている。学習塾で出される算数パズルの予習に私のところにくるのである。算数パズルとは、「虫食い算」のように試行錯誤を繰り返せば良いのであって、証明問題のような抽象的思考を要しない。どちらかというと一時メモリーが強ければ、試行錯誤を効率的に繰り返せる。ただ、もっと難しい問題に将来挑戦するときに備えて、思考過程を式や絵に表現することも教えている。

数学はまだ教えていない。そのかわりに、科学の話を好奇心に合わせて広くしている。その子は、温暖化ガスの1つの2酸化炭素ガスが大気中に0.03%あると知っていた。私は、そんなにたくさんあるとは知らなかった。家では元素の話の本を読んでいると言う。金属のような重い原子は、星が重力収縮したとき生成され、爆発して宇宙にばらまかれるのだと、さらに言う。

その子は図鑑を読むが絵本を読まないと言う。父や妹はマンガを読むが、自分は読まないと言う。じゃ、小説を読むのか、と私が言うと「うん」と答える。歴史を読むのか、と言うと「そう」と答える。

私は小学校低学年のとき、童話の本を読むのが好きだったのに、その子と会話しているとき、たまたま、「童話」という言葉が思いつかなかった。

才能は偶然が作った偏りかもしれない。価値観も偏りかもしれない。私は偏りを後押ししたようだ。

私はその子がよくしゃべるので、学校でオピニオンリーダなのかと思ったが、本人の口からは否定された。みんなと意見が違うのだが、自分を抑えて合わせているのだと言う。その子を見ていると、大人にも気遣う。相手の心がわかりすぎる。確かに、私もこの点で親の心配に共感する。脳に不必要な負担をかけている。自己愛が確立していくにあわせて、他人の気持ちがわかればよい。他人の評価が気になり始めると、自己愛の確立がうまくいかない、と私は考えている。


私が知らなかったブルガリアの歴史、隠遁の思想はそんなに悪くない

2022-04-22 23:40:17 | 歴史を考える

(修道士の隠遁生活の跡、ブルガリア)

いま、ウクライナ歴史の本が人気で、図書館に予約してから借りだせるのが半年先である。しかたがないから、近くの国ブルガリアの歴史の本を借りた。R. J. クランプトンの『ブルガリアの歴史』(創土社)である。

私が知らないことがいっぱいあった。ブルガリアはロシアやウクライナより歴史が古いのである。人類は10万年前から存在するのだから、国の歴史とは、そこに定住して独自の文化を形成し社会を組織していることをいう。その意味で、ブルガリアはキエフ太公やモスクワ太公の国より古いのである。また、どこそこの国の歴史といった場合、その国は現在の国となんらかの意味でつながっていないと意味がない。

ブルガリアの地は紀元前にはトラキアがあったが、マケドニアの属国になり、ついで、ローマ帝国の属国となり、民族としては消滅してしまった。紀元5世紀になると、色々な諸民族がバルカン半島に略奪を目的に侵入し、通過していく。紀元7世紀になると、ブルガリア人が定住し、国を形成する。ブルガリアはチュルク語で「混ぜ合わせる」という意味の語「ブルガール」からきた。

現在、ヨーロッパで使用されている文字は、ラテン文字、ギリシア文字、そしてキリル文字である。このキリル文字がブルガリアで創られたのである。キリル文字はギリシア文字、ヘブライ文字に近いが、文字数はヘブライ文字、ギリシア文字、ラテン文字より多い。キリル文字は、ブルガリアだけでなく、ロシアやウクライナなどで現在使われている。

キリル文字を創ったため、ギリシア文化に吸収されずに、独自のブルガリア文化が形成された。

ブルガリアは、スラブ族とブルガール族の混成である。統一をはかるために、キリスト教を、ローマ帝国にならって、国の宗教として導入した。そこでのキリスト教とはギリシア正教である。ところが、キリスト教の異端とされる一派も入ってきて、民衆レベル(農民)ではこちらのほうが影響力が強かった。

クランプトンの説明によると、この異端派は世の中を悪と善との闘いとみる。グノーシス主義に近い。世の中をはかなむから、組織性が弱い。クラプトンは、ほかの国と戦うための団結を求めるには、この異端派の教えは役立たない、と書く。

ところが、ブルガリアが国として敗れたとき、キリル文字とこの異端派は役立つ。国が敗れると人々は山あいの僻地に逃げてひっそりと暮らす。異端派は国の政治と無関係であり、もともと、修道士としてひっそりと自活して暮らすから、国が敗れてもこたえない。国に迫害されないから、国が敗れたほうが好都合である。隠れて暮らす人々のために、子どもたちの学校を開く。こうやって、キリル文字とブルガリア文化は、国が何度倒れても守られた。

いい話ではないか。トルストイやドストエフスキーの小説には、教会と関係せず隠遁して生活する聖人の話が出てくる。組織化された教会はどうしても国家権力と妥協し、共存を図る。国に味方をし、戦争を肯定してしまう。ロシア正教とプチーンと結び付きが良い例である。

オスマン帝国の支配下のブルガリアには一定の自治とは宗教の自由とがあった。しかし、イスラム教徒にくらべ重い税が課された。物ではなく子どもの徴用があった。7歳から14歳までの男の子が選ばれ、親からも故郷から離れた地でイスラム教に改宗され、歩兵常備軍イェニチェリの戦士に仕立てられる。親からすれば涙なしには語れない話である。

『ブルガリアの歴史』には、もう1つ注目すべき話しがでてくる。第2次世界大戦中、はじめのうちは、ブルガリアは中立を宣言するが、ドイツ軍が迫るとドイツ側に入る。その結果、ドイツが敗退していくと、アメリカは、日本やドイツの都市に行なったと同じく、ブルガリアの都市に無差別爆撃、空襲を行う。私は、アメリカが空襲をすべきではなかったと思う。そうしなければ、ブルガリアはロシアの属国にならず、ロシアとアメリカとのあいだに立つ、中立国として、戦後、存在しえたのではないかと思う。日本人は、アメリカ中心の歴史観に毒されすぎていると思う。


突っ込み不足の小野善康のインタビュー記事『成熟社会の資本主義』

2022-04-20 23:51:08 | 経済と政治

(J K ガルブレイス)

きのうの朝日新聞に、小野善康のインタビュー記事『成熟社会の資本主義』がのっていた。この人は、「棚からボタ餅」のように突然首相になった民主党の菅直人(かん・なおと)の知恵袋かのようにメディアに出てきたひとである。菅直人が消費税引き上げを突然言い出して、民主党内に混乱を招き、首相を辞任すると、知らんぷりをした、という印象を私はもっている。単なる菅直人の一方的な思いだったか、どうかは、私にはわからない。

小野善康はマクロ経済学者に属する。国の経済政策を論ずるのがマクロで、自由市場での企業の経済活動を論ずるのがミクロである。

インタビューで彼は、バブルが破裂した後に生じた日本の長期不況は、これまでの景気のサイクルと違い、日本社会の経済的成熟によって生じたものであると主張している。彼の『成熟社会の経済学 ―― 長期不況をどう克服するか ―― 』(岩波新書、2012年1月20日)と基本的に同じ主張である。成熟社会にあった経済政策をとらない日本の政治が悪いということになる。

不景気は、商品の生産力(供給力)が需要をうわまわったときに生じる。資本主義社会はみんなが争って金儲けをする社会である。商品を生産することで金儲けをしているから、生産力は需要をうわまわりがちである。不景気になると競争力がない非効率的企業はつぶれる。そして、生産力と需要とのバランスが戻り、また、一生懸命生産すれば金儲けができるようになる。これが景気サイクルのモデルである。

そうなら、需要を増やしてやれば、不況を避けることができるはずとなる。少なくともパニックを起こすような大不況(恐慌)を避けれるはずだ、となる。それがマクロ経済理論が構築された背景である。

小野はインタビューで、需要をお金の使い道と考え、個人がお金をいま商品を買うために使うか、将来のためにとっておくかを、「資産選好」と呼ぶ。ケインズが「流動性志向」と呼んでいたものである。「資産選好」が多くなれば、「需要」が伸びない。

ここで、私が疑問なのはインタビューでなぜ「資産選好」になるかの議論がないのかである。今日の朝日新聞夕刊の一面につぎの記事があった。

節約しないと 2019年、金融庁審議会が「老後の生活費として2千万円の蓄えが必要」と資産形成を呼びかける報告書を出し、波紋を呼んだことが、節約のきっかけの1つ。その額がたまるまでは、続けるつもりだ。〉

政府が個人の将来への不安を煽っておいて、資産選好に導こうという矛盾が議論されていない。

また、日本の特殊事情が議論されていない。日本で1980年代後半にバブルが生じたのも、日本のカネあまりの金融政策による。すなわち、日本政府は、戦後ずっと、需要を米国への輸出によって掘り起こしてきた。1980年代の日米経済摩擦でアメリカ政府に逆らえない日本政府は、金融緩和によって需要を引き起こそうとした。が、お金が消費財の商品を買うのではなく、金融商品と土地に向かってバブルが生じ、1990年に破裂した。

したがって、少なくとも、需要を消費財、生産財と分けて議論しなければならない。また、公共財の議論や、金融緩和策の失敗の理由、分配の格差がどうして広がったのかの議論も必要である。

インタビューで特に避けられているのは、「私的所有(私有財産)」の問題への踏み込みである。「公的所有(公共財)」による需要はまだまだ増えるはずである。J K ガルブレイスは『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)で、個人の需要はゆたかな社会ではそんなにふえるものではないが、アメリカ社会では図書館などの公共財が不足していると指摘している。日本でも同じで、公共施設を作って土建屋を儲けさせることまでを自民党は考えるが、公共施設を管理し役立てることまでは誰も考えていない。

また、小野善康がインタビューでつぎのように言っていることには、私は同意できない。

〈社会主義は歴史を見れば一人か少数の権力者が絶対的に君臨し、恣意的に介入しがちです。〉

社会主義と国家主義との混同がある。「社会主義」とは「私的所有」より「公的所有」を重視することである。この「公」は「国」ではなく、「人びと」であって、例えば、企業の生産設備がオーナーのものか、そこで働く人びとや、利用する人びとのものかという問題である。分配の問題もそこに絡んでくる。「公的所有」のあり方に踏み込んで議論する必要がある。