にゃんこままの部屋

その時々に感じたことを、日記風につづります。

イギリスの歌姫「キャサリン・ジェンキンスさん」(1)

2006-06-13 17:24:47 | 音楽 美術
とにかく美しい!
青い瞳に、ブロンドの髪・・
歌っているときの表情は、かのヴィヴィアン・リーと、大地真央さんを兼ね合わせたよう。
笑うと、とってもチャーミングで可愛らしい。
マリリン・モンローを思わせるナイスボディ!
胸元が大きく開いたドレスを身につけて、女である私でも目のやり場に困ってしまう・・・。
そして、歌う毎に、色白の肌がピンク色に染まってゆく・・。

全くこんな女性がこの世に存在するなんて・・・。
「題名のない音楽会21」に出演した彼女を観た第一印象である。

歌声も、たとえて言えば、“イギリスの山奥に、人知れず存在する小さな湖の、湖面に響き渡るかのようなメゾソプラノ・・・美しすぎる・・・。”

ロンドンに彼氏がいらっしゃいます。
 「名曲はほとんどが恋愛ですよね。愛について知ることがラブソングを歌う大きな助けになると思っています。
 どんな歌でも、1番大切なことは、メッセージを伝えることだと思います。
 悲しい歌であろうと、幸せな歌であろうと、メッセージを伝えなければ行けないと思うんです。」
と、キャサリンさんはおっしゃっていました。

キャサリン・ジェンキンスさん
       メゾソプラノ歌手
       名門英国音楽学院卒業
       イギリスのクラッシックチャート8週連続第一位

キャサリンさん
  「テノール歌手ばかりがステキな曲を歌うなんて、少し不公平だと思うんです。耳なじみのある曲を女性が歌って、新しい感覚を与える事が出来ればいいのではないかしら。
 4歳の時です。学校でのど自慢大会があると聞いて、急いで家に帰って「ママ、私に歌を教えて!」と言いました。
 それ以来私はずっと歌いたくて、7歳の時に聖歌隊にはいりました。
 それからロンドンの英国王立音楽院で学びました。
 ずっと歌手になりたかったんです。


 大変でした。小さなウェールズの村から、ロンドンへ引っ越すわけですから。
 ウェールズに比べるとロンドンは物価が高く、授業料も高く、かなり大変でした。モデルの仕事や教師をして、授業料の足しにしたんですよ。
 平日は音楽の試験を受ける準備をしている高校生に歌を教えていました。
 ある日、教室で5歳の子供達がなにやらお話をしていたのですよ。
 子供達が“先生は、本物の王女様に違いない。”って言うんですよ。
 “先生のお城は何処?どこに住んでいるの?”って聞くんです。
 かわいかったですよ。



 美貌をたもつ秘訣は
  「声のために健康に気をつけることですね
 小さい頃、なんと父が、“肌の手入れをきちんとするんだよ。”と教えてくれたんですよ。
 それから、たくさんの日本茶を飲みます。日本茶はとてもよいと聞いたので。」
 と、おっしゃっていました。



オペラ・トゥーランドットより「誰もねてはならぬ」
             作曲:G.プッチーニ 
       
        本来は男性テノールの名アリアに挑戦!
        荒川静香さんが、トリノオリンピックで、使用して優勝。
        北京が舞台。「皇女様あなたも寝てはならぬ。愛と希望にふるえ        る星をご覧なさい。」と歌われる。

     メゾソプラノは、テノールに音の高さが近いので、聴いて  いて違和感があまり感じられない。不自然でない。
  歌っている彼女自身も、歌いづらそうでない。
     恋愛をされているので、男性からの愛の歌も、男心を知り尽くして歌っ  ているかのように感じた。





オペラ蝶々夫人より「ある晴れた日に」
             作曲:G.プッチーニ
        本来はイタリア語だが、「オペラを理解しやすく!」という
       キャサリンの意向で英語詞を採用。
        長崎が舞台。「ある晴れた日に、本国に帰った夫は必ず私の元に        帰ってくる。」と歌われる。

     本来は、ソプラノで歌われるが、メゾソプラノで歌うと、     しっとりと落ち着いて聞こえる。夫の愛を確信している自信に満ちあふ     れているように聞こえる。





               新日本フィルハーモニー交響楽団
               指揮:岩村 力

     
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「サマーコンサート」の感想(2)

2006-06-12 11:23:28 | 舞台 イベント
マーチングバンド部は、現在劇団四季で、大ヒット公演中の「マンマ・ミーア」で使用されている曲を、マーチング風にアレンジしている。
私は劇団四季の公演は観ていないが、観た人の話によると、マーチングバンド部は劇団四季のまねではなく、EINS(チームのバンド名)独特のオリジナリティ溢れる舞台に仕上がっているとのことである。



1.HAVE A DREAM/ MAMMA MIA~by ABBA    
     迫力ある動きと演技で、思わず舞台に引き込まれる。ショーの幕開けに観客は思わず息をのむ。

2.DANZON~by Kennan Wylie
      パーカッションSoIo。いつもここはドラムのみの見せ場となっているが、今回ピットを用いたことにより、怪しくカッコのよい曲に仕上がっていた。ドラムの数も大幅に増え、迫力も感じられ、なかなかに見どころがあった。

3.DANCING QUEEN~by ABBA
    静かな雰囲気で始まり、最後は軽快に終わる、有名な洋楽歌手「ABBA」の曲の中でも特にメジャーな曲。会場からは、手拍子、中には歌を口ずさむ保護者も・・・。

4.THE WINNER TAKES IT ALL~by ABBA
    とてもストーリー性豊かな曲。最後は全員で一気に頂上を目指す。
    最高に仕上がっていた。
    トランペットのソロがとにかく素晴らしい。
     練り上げた音色の美しさ!
      伸びやかさも充分感じられた。      
    カラーガードのダンスも最高に素晴らしく、ブラスバンドと融合して最高の舞台を創りあげた。 




いつも思うのであるが、短期間でよくここまで仕上げられるなと感心してしまう。しかし、今回はそれだけでなく、今まで以上にものすごいパワーを感じてしまうのは私だけではないであろう。
今回見に来た人でも 、このショー目当てに来た人のなんと多かったことか。
というのは、今回のサマーコンサート当日は学校が休みで、例年ならば客席の半数は生徒で占められるが 、今回に限って一般客の割合が圧倒的に多かったからである。しかも、1階は立ち見まで出る超満員 。 今までの中で最高に 盛り上がった舞台となった。



アンコールまで披露してくれた。
カラーガードは宝塚歌劇の舞台顔負けのラインダンスまで披露してくれた。
それにしても、カラーガードの人数も大幅に増えたものだ。

部員の数も、130名(中1はどうなるか知らないが)ほどになった名実共に関西でNO.1のバンドに成長した。これからのこのクラブの今後の活躍に期待したい。
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「サマーコンサート」の感想(1)

2006-06-12 09:51:52 | 舞台 イベント
先日行われたサマーコンサートの感想を書いておこう。

中学コーラス部から。 
「美女と野獣」
   作詞:ハワード・アシュマン
   作曲:アラン・メンケン
  
  ディズニーでおなじみの名曲。
  中学生だが、声がよく揃っていて上手だった。

  「美女と野獣」は、昨年マーチングバンド部が、ステージマーチングで用いた「ファンタズミック」の中に納められていた曲だ。
ディズニーの名曲の中でも最高傑作と言っていい曲だろう。

話は、昨年のマーチングの話題になってしまうが、この「ファンタズミック」の中に用いた「禿山の一夜」の曲に触れておきたい。

それまでの楽しく明るいメロディーが一転して暗く恐ろしいイメージに変わるこの曲は、モデスト・ムソルグスキーの作曲である。

「ファンタズミック」は全編を通して明るく楽しく夢を誘うような舞台に仕上がっていた。その中で唯一、暗く重く恐ろしげな雰囲気を漂わせる場面である。
ステージにメリハリを付けるために必要な場面だが、カラーガードの衣装を急にかえるわけにもいかず、曲のみでその場の空気を変えていたと思う。

アマチュア・トップ・コンサートでは、宝塚歌劇の舞台背景と、照明でその効果は倍増していたと思われる。

「ファンタズミック」は、「美女と野獣」の要素を多く含むが、カラーガードの衣装のイメージはディズニーのファンタスチックな要素すべてが込められていたように思う。
ある時は妖精のように・・・。
ある時は童話のお姫様のように・・・。

話はマーチングバンド部になってしまったが、中学コーラス部の「美女と野獣」を聞いていると、つい昨年のマーチングの舞台と、ディズニー映画の名場面が重なってしまった。

他のディズニーの名曲も聴きたかったなぁとちょっぴり思ってしまうのである。

「星に願いを」~「ピノキオ」
「眠れる森の美女」

「白雪姫」
「ピーターパン」

などなど・・・。



   ムソルグスキー作曲
《交響詩:禿山の一夜》について
     作曲者:M.P.ムソルグスキー
     編曲者:N.A.リムスキー=コルサコフ 

        彼の数少ない管弦楽曲の一つです。
        この曲のオーケストレーションは、彼自身では完成できなかった       ので、死後、友人のリムスキー=コルサコフに修正が加えられたも       のが現在では一般的になっております。
        彼自身はもともとピアノ奏者であり、管弦楽法を学んでこなかっ        たことから、管弦楽曲の作曲は不可能であったわけです。
        同様に《展覧会の絵》も同じ境遇に扱われています。
        さてこの曲は禿山での闇の神達の饗宴が表現されています。
        冒頭は、夜が更け怪しげに迫ってくる感じから曲が立ち上がります。        
        次第に盛り上がっていき、どんどん饗宴が盛んになっていく感じ       です。        その饗宴も夜明けを知らせる教会の鐘を合図に次第に終焉を迎        え、静かに曲を閉じていきます。
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「AMERICA」~by ポール・サイモン

2006-06-11 16:50:36 | 音楽 美術
「ぼくたち 恋人になろうよ
結婚して 2人の未来を1つにするんだ
カバンに 少しならお金を持っているんだぜ」
 そこで 僕たちはタバコを1ケースと
ワグナーの奥さんが焼いたパイを買いました
それから アメリカを探しに歩き出したのです

「 ねえ キャッシー」と 僕は言いました
ぼくらはピッバークで グレイハウンドに乗ったんです
「ミシガンも 今では夢みたいだね
昔は4日もかかったんだよ
サギノウからヒッチハイクしたときね
ぼくは アメリカを探しにきたんだよ」

バスの中では乗客の顔を見ながら
ぼくらはゲームをして笑いました
彼女はギャバジンのスーツを着た男を見て
スパイだなんていったけ
だからいってやったんだ「気をつけろよ
奴のネクタイは 本当はカメラなんだ」ってね

「タバコを投げてくれないか
レイン・コートに最後の1つがあったはずだけれど」
「1時間も前に 私たち吸ってしまったわ」
そこで ぼくは景色を眺めることにしたのです
彼女は 雑誌を読んでいました
月が 広い草原のかなたに昇っていました

眠っているのを知ってはいたけど
ぼくは彼女に言ってみたんです
「キャシー 僕 分からなくなってしまった
虚しいんだよ 苦しいんだよ
なぜだかわからないのだけど」
ニュージャージー・ターンバイクでは走る車を数えてみたりしました
みんな やってきたのです
アメリカを探そうと
アメリカを求めてやってきたのです
みんな アメリカを求めてやってきたのです 

                    -America 1968
                        Paul Simon


キャシー という女性を、ポールはまったく架空の人物といっているが、「キャシー の歌」というポールの作品には、詞全体がイギリス時代の事を言っているので、おそらくこのころの思い出につながる特定の女性をさすものではないだろうか?


「キャシーの歌」~ポール・サイモン
 
   霧のような雨が まるで
   想い出のように降りしきり
   優しく 温かく ぼくの住む
   屋根や壁を叩くのが聞こえてる

   僕の心の隠れ家から
   ぼくのひとみの窓越しに
   雨に濡れた通りのかなたに 僕は見つめる
   僕の心を残してきたイギリスを

   僕の心は思いに乱れ
   この想いは何マイルもこえて
   眠りに付く君と共に眠り
   1日を始める君に口付けを送る

   僕の書いた歌は ほったからしにされ
   あんなに時間を費やしたことが分からない
   信じてもいない歌を書くために
   韻をふくむのに ひきさきこじつけた詞なんかの
 
   ぼくが 疑いだしたことがわかるだろう
   今まで真実だとおもっていたこと全部を
   確信もなく ぼくは一人で立っている
   僕の知っている唯一つの真実は君だけなんだ

   疲れ果てたあとを残して逝ってしまう
   雨のしずくを眺めていると
   僕は思う 雨と同じなのだと
   だけど 僕は生きていく 君の優しい愛がある限り


  
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あの歌声が・・・あの楽器の音色が・・・

2006-06-09 19:11:52 | 音楽 美術
先日、私の元に、一通の案内状が届いた。
毎年楽しみにしている、「サマーコンサート」の案内状である。
娘の卒業した学校のイベントの一つであるが、卒業してからも、観に行くことを楽しみにしている。

初めて見たのは8年前のこと、娘も出演していたが、当時の1番のお目当ては(娘には悪いが)コーラス部であった。(もちろん、娘の演奏も気になって観に行ったのである。)

当時からコーラス部の美しい歌声は評判で、すでに宝塚大劇場で毎年お正月に行われていた、「アマチュア・トップ・コンサート」の常連となっていた。私は、たぶん娘が小さかったとき、(あるいはずっとそれ以前から)この、「アマ・トップ・・」のすばらしいという評判は伝え聞いていて、いつか観に行きたいと思うようになっていた。

実際に「アマ・トップ・・」を、先に観に行ったのは娘の方で(彼女が中3の時だった。)当然、それを観た娘はあまりのすばらしさに、自分も出たいと思うようになり、次の年から3年間、マーチングバンドで出場を果たす。

話はそれたが、「サマーコンサート」を初めて観た私は、評判どおりのコーラス部の美しい歌声に感動した。ピアノ伴奏なしで、歌うフォスターの名曲は、透き通るように美しく、まさに天使の歌声であった。(後、坂本 九さんの歌で有名な「上を向いて歩こう」・・・ただし「スキヤキ」と題されていた記憶がある。その年、「コーラス部」は確かアメリカ公演を果たしていたからである。)

それから毎年欠かさず観ている。
コーラス部の歌声で特に心に残るのが「オーバー・ザ・レインボー」 「カルメン」「アニー」などである。
今年も楽しみにしているが、残念ながら、(コーラス部)をここまで育て上げてくださった顧問の先生は今年から他校に替わられてしまった。いつも心に残る言葉を生徒のみならず、保護者の私たちにまで聞かせてくださったあの偉大な先生はもうおられない。「アマ・トップ・・」もあの先生が指揮されておられたからこそ、ずっと観に行きたかったのである。本当に残念の一言である。
部員の生徒さん達は、先生の残されたものを受け継いでいってくれることであろう。

コーラス部の話ばかりになってしまったが、今年やはり1番のお目当ては、娘も所属していたマーチングバンド部である。数年前から、あの大きな舞台でもおさまりきれなくなってしまったほど、凄いバンドに成長したが、これも先生方の熱心なご指導と、部員たちのたゆまぬ努力の成果のほかならない。

明日の舞台を今から心待ちにしている。
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「シャル・ウィ・アレンジ?」~鑑賞を終えて~後記

2006-06-08 22:56:39 | 音楽 美術
それぞれ、工夫を凝らした、ミュージカルのアレンジとても楽しめました。どれも甲乙付けがたい仕上がりとなっていましたね。
 各、先生方、素敵なアレンジに仕上げていただいて、ありがとうございました。



私は、「マイ・フェア・レディ」と「サウンド・オブ・ミュージック」を映画で観ましたが、「南太平洋」も、「王様と私」も、TVで、メドレーを聴いたことはあります。

映画の「マイ・フェア・レディ」の、歌声は、ほとんどが、イライザを演じたオードリー・ヘプバーンではなく、マーニー・ニクソンというオペラ・ミュージカル畑の歌手が吹き替えています。一部では、オードリー自身が歌っています。

マーニー・ニクソンは、映画「王様と私」では、デボラ・カーのアンナの歌を、受け持っています。

今回紹介されなかったミュージカル映画ですが、有名な「ウェスト・サイド・ストーリー」の主役マリアの歌声も、ニクソンがうけ持っています。

彼女自身は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」には、尼僧の一人として画面にも出演していました。マーニー・ニクソンは、当時の名作ミュージカルの、歌のヒロインだったわけです。



映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、母性的で、おおらかな彼女自身の歌声で、世界中を魅了した、ジュリー・アンドリュースですが、「メリー・ポピンズ」でデビューする前は、アメリカ映画ファンの間では全く知られていませんでした。
映画化される前の、ブロードウェイミュージカルの舞台では、「マイ・フェア・レディ」のイライザは、ジュリー・アンドリュースの当たり役でした。
そのことを考えると、映画のイライザも、アンドリュースでいくべきではなかったかと思いますが。
でも、あの華麗な衣装の着こなしは、やはりオードリーならではでしょうか。

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「シャル・ウィ・アレンジ?」(4)

2006-06-08 22:06:55 | 音楽 美術
最後に登場は、
音楽の楽しさを知り尽くした
  羽田 健太郎さん(ピアニスト.作・編曲家)
     1949年(S24年)生まれ
     桐朋学園大学卒業。
     クラッシックから、ジャズまで何でもこなす。
     マルチ・アーチスト

 羽田さんが挑むのは、
   ドレミの歌
   エーデルワイスで、皆様おなじみの名曲がいっぱいの、
   「サウンド・オブ・ミュージック」

 羽田さんの衣装は、ご本人がおっしゃるには、
 「万華鏡のような、千変万化、百花繚乱!

演奏については、
「前のお三人方とちょっと、オーケストラ編成で違いますのは、リズムセクション、ドラムとベースがはいっています。
それから5人のサックスプレイヤーの力添えも頂いています。」
とのことです。
 題して、
 
 音楽万華鏡~シンフォニックジャズ~「サウンド・オブ・ミュージック」
     
       作曲:R.ロジャーズ
       指揮・ピアノ・編曲:羽田健太郎

サウンド・オブ・ミュージック
       サックス演奏で、ジャズっぽくしあがっています。

もうすぐ17歳
       トランペット中心からスタート→ヴァイオリンがはいる→トロンボーンの演奏→全体で盛り上がるという、できあがりです。

私のお気に入り
       思いっきり、ジャズっぽくしあがっています。

エーデルワイス
       ヴァイオリン中心で演奏されています。

ドレミの歌
       チェロが中心→ホルンが入る→サックスがはいる→ピアノ演奏

すべての山に登れ
       ホルン演奏から入る。
       おごそかな雰囲気で盛り上がります。

最後は、ドレミで盛り上がって終わります。 

各パート毎の演奏で、楽器の特色がでています。 
いろんな楽器の音色が充分楽しめます。
ジャズっぽく仕上がっている、素敵な「サウンド・オブ・ミュージック」でした。

     
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「シャル・ウィ・アレンジ?」(3)

2006-06-08 18:18:46 | 音楽 美術
三番手に登場は、
 CM音楽から、現代音楽まで、誰にもまねできない独自の音楽世界をくりひろげる
   中川 俊朗さん (作・編曲家)
     1958年生まれ
     桐朋学園大学音楽学部
     作曲科同研究科終了。
     10歳で現代音楽の作品を作曲。

   中国風いでたちで登場した中川さんが、
   「中国の音階(タタタタタンタンタンタントン・・でおなじみの)が、マリンバに出てくるはっきりしているところと、空気のような微妙なところとをまぜて、中国の音階を表現したところがポイント。」
と、語る

   中国風現代音楽版
   「王様と私」より「シャル・ウィ・ダンス」
     作詞:O.ハマーステイン2世
     作曲:R.ロジャース   
     中国語・日本語訳詞 amin
     ピアノ編曲:中川俊郎
     指揮:曽我 大介
     ヴォーカル en-Ray

踊りましょう?
音楽の雲に乗って
飛んでいきましょう
踊りましょう?
“お休み”の言葉は、もしかしたら“さよなら”を意味する。
でも、もしかして
最後の星が消える前
私たちはまだお互い腕をとって、優しく寄り添い
新しいロマンティック・ストーリーが始まる
二人はすべてを理解しあい、
素敵な出来事がきっと起こるでしょう
踊りましょう?踊りましょう?
踊りましょう!


踊りましょう?
音楽の雲に乗って 飛んでいきましょう
踊りましょう?
“お休み”の言葉は もしかしたら“さよなら”を意味する
でも、もしかして
最後の星が消える前  
私たちはまだ“お互い腕にとって 優しく寄り添い
新しいロマンティック・ストーリーが始まる
二人は すべてを理解しあい
素敵な出来事がきっと起こるでしょう
踊りましょう? 踊りましょう?
踊りましょう!(繰り返し)


中国風なのはわかるが、どこが現代的なのかチョットわかりづらかった。
ヴォーカルの女性の声は魅力的だった。
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今日は《手塚 理美さん》の誕生日

2006-06-07 23:13:49 | 映画  テレビ
手塚 理美(女優) 
   1961年6月7日生まれ
   東京都大田区出身   
   ふたご座 AB型
   
   子どもの頃から、モデルを務め、中1 のとき、ユニチカの2代目マスコットガールに。  
    


   1981年    デビュー
   1982年    NHK「ハイカラさん」主役
   
   1983年    TBS「ふぞろいの林檎たち」の、水野陽子役で、若者の共感を得る。
          
        「不ぞろいの林檎たち」は、学歴社会一辺倒の当時の世層から落ちこぼれた、彼らの生き方に、世間の共感が集まり、(1985年)(1991年)(1997年)再放送、再々放送され、いずれも話題を集めた。

原作.脚本は、山田太一。
サザンオールスターズの主題歌「いとしのエリー」も、作品に効果を与えている   
        
手塚 理美の陽子は、恋人の時任三郎を愛しながらも、自立した女性の生き方をめざす。一方、時任は、彼女を家庭の主婦にしておきたい。二人の考え方の違いは、愛し合いながらも、結婚という方向に向かわなかった。



手塚の役柄は、当時まだまだ、女性は結婚して家庭に入るものという常識を、打ち破ろうと努力する、仕事と家庭を両立させようと努力する、真面目な一女性を、彼女は、信念を持って演じていたと思う。

 他の主なTV出演:ふたりっ子(NHK1996年)         
          
           世界の中心で愛を叫ぶ(TBS2004年)

 1990年 俳優の真田広之と結婚し2児をもうけるも、1997年に離婚。
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「シャル・ウィ・アレンジ?」(2)

2006-06-07 22:14:52 | 音楽 美術
2番手は、
パリ、国立音楽院で学んだその音色は、色彩感覚ゆたかで、フランスの香りたっぷり
 栗田信生さん(作・編曲家)
   1960年生まれ
   フランス・パリ国立音楽院卒業。
   ミュージカルの音楽監督、指揮を多く努める。


 「南太平洋」より「バリ・ハイ」
  
   日本風アレンジ民謡版~フランスの香り~

   作詞: 0.ハマーステイン2世
   作曲:R.ロジャース
   日本語訳詞:岩谷時子

 民謡歌手
  木津 茂理の歌
 
   ♪ここの山の 刈干や済んだよ
    
    バリ・ハイ 呼ぶよ 昼も夜も

    心に呼びかけるよ「おいでよ おいで」

    ヨイサノマカショ エンヤコラマカセ

    バリハイ ささやく 風にのせて

    「ここだよ 好きな島 おいでよ おいでよ」

    あこがれた 夢がある

    花は丘で 流れにゆれ

    探せば 見つかる 空の下で

    「おいでよ 夢の島! おいでよ おいで」

    バリ・ハイ!

民謡の中に、名曲「バリ・ハイ」が、ちりばめられている。
そういわれてみればちょっと、フランスの香りが漂っている。

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