東京は今日も、雲一つないピーカンの快晴ですね。
「都心大雪情報」どこに行っちゃったのでしょう。
同じこと書くの三度目ですが、天気予報が当たらなくなった、いや、正確には、(結果として)「予報」することを放棄してしまっている。考えてみれば、何年か前からの傾向です
大きな自然災害が起こった時、予報できていなければ、強く叱責されます。よって、常に、同じこと「脅威への煽り」を繰り返していれば、致命的な失態からは免れるのです。
「天気予報」に関しては、それもありとポジティブに捉えても良いのでしょうが、世の中全体が、そのようなシステムの中で回っているように思います。
「責任逃れ」「自己保身」「異質排除」「既得権保守」、、、僕の言う「無意識強制同調空気」も同様。
今回(いわゆる「コロナ」)は、「パンドラの箱」を開けちゃった(あるいは透明人間を見てしまった)わけで、収拾がつかなくなってしまっているのです。
「パンドラの箱」は開けない(「透明人間」の存在は敢えて確かめようとしない)。それが日本人としての心構え(君子危ゆきに近寄らず)なのではなかったのでしょうか?
よしんば開けて(見て)しまえば、そこから一気に湧出した「答えの出ない脅威」から、徹底して逃げる(マスク)か、徹底して叩き潰す(ワクチン)か、脳がないわけです*。
「パンドラの箱」「透明人間」を見くびってはなりません。所詮、我々が相手に出来る「敵」ではないのです。愛を持って、仲良くすることですね(そりゃあ、大変にハードな事ですよ)**。
まあ、彼らと仲良くしてると、人類大衆からは仲間外れにされちゃうのでしょうが。
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*「パンドラの箱」を敢えて開けたのは、「中国湖北省武漢」がキーワード。「香港デモ」からの流れです。
**本来、夏が暑いのも、冬が寒いのも、当たり前だし。