「テロリスト」とは字義通りならばテロ行為をする人のことだ。そして「テロリズム」とは広辞苑には「政治目的のために暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。」とある。しかし暗黙の別の基準が存在しているように思える。
子供の頃からずっと疑問だった。なぜパレスチナ人は「テロリスト」と呼ばれ、それ以上の暴力を振るっているイスラエルはそう呼ばれないのか。
去年イスラエル(モサド)が起こしたポケベル爆発テロも、かなりわかりやすいテロだったのに、日本の報道各社はこれをあらわすのに「テロ」という言葉を頑なに使わなかった。そもそもあまり大きく取り上げられなかった。
要するに、西側、特にアメリカから見て都合の悪い存在がテロリストだということなのだろう。だからアメリカやアメリカが支持するイスラエルは何をしてもテロリストとはされない。少なくとも日本メディアにおける扱いはこうだ。
西側に都合の悪い人物は、時にはなんの暴力も振るっていなくても「テロリスト」にされる。例えばガッサーン・カナファーニーがそうだ。カナファーニーは作家でパレスチナ人の苦難を伝える小説を残している。武力ではなくペンで戦っていた人だが、イスラエルにとっては邪魔な存在であったため、姪とともに爆殺された。イスラエルの「諜報機関」モサドによって。
ラシード・ハーリディーの「パレスチナ戦争」によれば、ニューヨークのパブリックシアターがカナファーニーの「ハイファに戻って」の上演権を獲得したが、劇場上層部の反対により上演できなかったという。理由はカナファーニーがテロリストと呼ばれているから。とても倒錯した奇妙な見方だ。カナファーニーはモサドのテロによって殺害された被害者なのに。
ところでこのモサドというのはイスラエルの組織で、外国まで行って暗殺を繰り返している。「テロ」の定義に完璧に当てはまる組織なわけだが、この組織が「テロ組織」と呼ばれることはとても少ない。日本の報道ではまずないだろう。代わりに「諜報機関」と呼ばれている。
他に西側に「テロリスト」扱いされた代表的な人物といえば南アフリカのネルソン・マンデラがいる。アメリカはマンデラを2008年までテロリスト認定していた。マンデラが大統領になったのは1994年で、それから15年近くテロリスト扱いを続けていたことになる。
そもそも、植民地支配を受けている側(例えばパレスチナ人のような)の抵抗のための暴力を植民地支配をしている側の抑圧のための暴力と同じように扱うことがおかしいのだ。それなのに、逆に抑圧者側の暴力は無視するか当然視し、抵抗の暴力のみ非難する輩が少なくない。
かつて植民地支配を受けていた国々の多くは武力闘争によって独立を勝ち取ってきた。黙って耐えたままだったら今も独立は実現できていなかっただろうが、その方が良かったのだろうか。ガンディーは立派だったかもしれないが、占領の形態によっては同じようなやり方では通らないケースはいくらでもある。
被占領地の住民が武力を用いて抵抗することは、国際法でも認められている。占領者による暴力は、当然ながら認められていない。
日本は他国を侵略し、植民地にしてきた側の国だ。そして「西側」の国の大多数もそうだ。そんな国の人間に「とにかくどんな理由があろうと絶対に暴力に訴えてはならないのだ」と上から目線で抵抗者を非難する資格はないと思う。
「どんな理由があろうと暴力はいけない」と本当に心から思っているのなら、最低限、占領者側の暴力についても普段からきちんと批判してほしい。イスラエルによる抑圧と暴力は70年以上ずっと続いてきたのだから、その文脈を無視することは許されない。
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