川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

声・・・宇梶静江さん・・・お疲れ様でした。

2008年07月14日 | 川柳
               宇梶静江さん


        東京のアイヌの母と呼ばれているそうです。


        故萱野茂宅で、ご一緒させていただきました。

書籍コーナーを担当させていただいたとき、「ありがとうございます」「ありがとうございます」と何度もおっしゃっておられました。

 各国の方々へ、すばらしいご自分の布刺繍絵本を贈呈されておられました。

  すばらしい、布刺繍の童話集は国際的に評価されておられるようです。

                ○


    宇梶静江さん 「先住民族サミット」の共同代表(毎日新聞)より


       宇梶静江さん 「先住民族サミット」の共同代表

        心と体が宙に舞う。そんな感覚がまだ続く。

  アイヌの人々を先住民族と認めるよう政府に求めた今月6日の国会決議。

     先祖が受けた苦しみを思いながら、傍聴席で涙をぬぐった。

 北海道洞爺湖サミットに先立ち、平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)と札幌市で開かれる「先住民族サミット」(7月1~4日)に共同代表として臨む。

海外から約20人の先住民族を招いて環境や権利回復などの提言をまとめ、各国首脳にアピールする。

「アイヌは明治時代の同化政策で自分たちの権利だけでなく、自然そのものも失った」

          北海道浦河町生まれ。家は農業。

「兄と姉、3人の弟がいて生活は苦しかったけれど、集落ではみんなが助け合った」。

  外に出れば「アイヌか和人(日本人)か」で人々は態度を変えた。

         23歳で上京し、日本人と結婚。

2人の子どもが小学生だった38歳のとき「ウタリ(同胞)よ、手をつなごう」と新聞の投書欄で呼びかけ、関東圏のアイヌ復権運動の草分けの一人になった。

        いつの間にか「長老」と呼ばれる存在だ。

  思春期に反発していた長男の剛士さん(45)は俳優として個性を発揮。

 子や孫の世代が歌や踊りを通じて「多文化共生」をしなやかに表現している。

 アイヌの先住地を舞台にする二つのサミット。

「私にとっては民族の誇りと荒廃の道をたどってきた自然を取り戻すためのもの」

【明珍美紀】

 【略歴】宇梶静江(うかじ・しずえ)さん 千葉県鴨川市在住。現在はアイヌの伝統刺しゅうを古布にほどこす古布絵作家として活動。75歳。

毎日新聞 2008年6月14日 

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声・・・アイヌレブルズ酒井美直さんは超すてき!

2008年07月14日 | 川柳
決 意

「堂々と、民族の血を誇りに」

虐殺…世界の現状に絶句



国連部会に参加

9日は「国際先住民の日」

 七月二十七日、帯広出身の大学生、酒井美直さん(19)=神奈川県在住=は、スイス・ジュネーブの国連欧州本部にいた。「人権小委員会先住民族作業部会」で意見を述べる、日本の先住民族アイヌの代表の一人として。
 広い会議室。百人以上の世界の先住民たちを前に、同じアイヌ民族の若い仲間が「日本の政治家が相次ぎ、『アイヌの同化』や『単一民族』などと発言。十五年前の中曽根首相(当時)の時と何ら変わっていない」との声明文を読み上げている。その様子を横で見て胸が熱くなった。「私にはアイヌ民族の血が流れている。これからは堂々と、民族として生きていく」。心の中で静かに決意していた。


場内で、ほかの先住民の主張を聞く酒井さん。発表内容は英語などで同時通訳される(スイスジュネーブ国連本部で)



◆------◆

 国連では、世界の先住民が直面している人権、環境、開発、教育などの諸問題の解決を国際的に協力し推進していこうと、一九九四年に「世界先住民の国際十年」を制定した。そして、最終年までに「先住民族の権利宣言」を策定しようと、世界の先住民の声を聞く場として、定期的に作業部会を開いている。今回は十九回目でアイヌ民族から十、二十代の女性三人のほか、沖縄からも参加していた。

 作業部会へは今春、大学進学のため上京し、直後に入会した関東圏のアイヌ民族団体「レラの会」の仲間に誘われ、参加することになった。「自分、そしてアイヌ民族のことをもっと知りたい」。ただ、その一心だった。

◆------◆

 五歳の時に死んだアイヌ民族の父(衛さん)は、民族の権利獲得のため東京で活動していた。自身も帯広時代、「とかちエテケカンパの会」(民族の子供たちの勉強会)に小学三年生から参加、民族の古式舞踊などを学んではいた。だが、文化全般や言語、精神性など体系的な知識はほとんどなかった。

 会議では、どうしても言いたいことがあった。若いアイヌの人たちが「アイヌ」であることに誇りを持って自由に生きられる社会にしたい、と。「本来、『アイヌ』とはアイヌ語で『人間』を指し、とても立派な言葉。その言葉が、侮辱や否定的に使われている現状がある」。多くの人の前で、こう訴えたかった。

◆------◆

 ジュネーブに来て、何度も涙を流した。時間の関係で自身の宣誓文を会場で読み上げられなかったこと、手続きミスから古式舞踊を披露できなかったこと-。ただ、一番衝撃だったのは、世界的にいまだ虐殺される状況に置かれている先住民がいると知った時だった。インドネシアのある先住民の代表者は、生首を群衆の前につるすなど、同胞が虐殺されている写真などを場内で配り、一生懸命、訴えていた。「私たちは幸せな方なのか…」。絶句した。

 「アイヌに生まれたくて生まれたわけではない。けれど、だれでもアイヌとして生きられるわけではない。アイヌの私だからできることがあるはず。もう迷わない。もっとアイヌ、そして世界の先住民について知りたい」。生きるべき道が定まった。

◇------◇

 「アイヌ文化法」が制定されて四年。アイヌ民族を取り巻く状況は確実に変わりつつある。だが、根底にある民族差別などが完全に解消されたとは言い切れず、心の傷は深い。民族であることをいまだ声高らかに言えない人も多い。八月九日は国連が定めた「国際先住民の日」。

帯広出身のアイヌ民族の女性として、国連の作業部会に初めて参加した酒井さんにスポットをあて、民族への目覚めなどを二回にわたり紹介する。(佐藤いづみ)(01.8.8)



〇この記事から7年後彼女は、今年7月1日から4日まで北海道日高二風谷で開催  された「先住民族サミット」アイヌモシリ(アイヌ北海道)の代表呼びかけ人  代表のひとりとしてその責務を果たされておりました。


音楽活動を通じ「アイヌレブルズ」というグループをお兄さん、ご主人そして、アイヌの仲間の方々と共に活動されています。

「たおやかで、透き通るような美しさ」は、初対面の方ならどなたでも感じること でしょう。

            私も魅了されたひとりです。


         映画「TOKYOアイヌ」にも出演しています。


             今製作中だそうです。

    川柳北海道散歩。川柳を通じすばらしい人々を紹介しています。

           

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