宇梶静江さん
東京のアイヌの母と呼ばれているそうです。
故萱野茂宅で、ご一緒させていただきました。
書籍コーナーを担当させていただいたとき、「ありがとうございます」「ありがとうございます」と何度もおっしゃっておられました。
各国の方々へ、すばらしいご自分の布刺繍絵本を贈呈されておられました。
すばらしい、布刺繍の童話集は国際的に評価されておられるようです。
○
宇梶静江さん 「先住民族サミット」の共同代表(毎日新聞)より
宇梶静江さん 「先住民族サミット」の共同代表
心と体が宙に舞う。そんな感覚がまだ続く。
アイヌの人々を先住民族と認めるよう政府に求めた今月6日の国会決議。
先祖が受けた苦しみを思いながら、傍聴席で涙をぬぐった。
北海道洞爺湖サミットに先立ち、平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)と札幌市で開かれる「先住民族サミット」(7月1~4日)に共同代表として臨む。
海外から約20人の先住民族を招いて環境や権利回復などの提言をまとめ、各国首脳にアピールする。
「アイヌは明治時代の同化政策で自分たちの権利だけでなく、自然そのものも失った」
北海道浦河町生まれ。家は農業。
「兄と姉、3人の弟がいて生活は苦しかったけれど、集落ではみんなが助け合った」。
外に出れば「アイヌか和人(日本人)か」で人々は態度を変えた。
23歳で上京し、日本人と結婚。
2人の子どもが小学生だった38歳のとき「ウタリ(同胞)よ、手をつなごう」と新聞の投書欄で呼びかけ、関東圏のアイヌ復権運動の草分けの一人になった。
いつの間にか「長老」と呼ばれる存在だ。
思春期に反発していた長男の剛士さん(45)は俳優として個性を発揮。
子や孫の世代が歌や踊りを通じて「多文化共生」をしなやかに表現している。
アイヌの先住地を舞台にする二つのサミット。
「私にとっては民族の誇りと荒廃の道をたどってきた自然を取り戻すためのもの」
【明珍美紀】
【略歴】宇梶静江(うかじ・しずえ)さん 千葉県鴨川市在住。現在はアイヌの伝統刺しゅうを古布にほどこす古布絵作家として活動。75歳。
毎日新聞 2008年6月14日
川柳北海道ha川柳北海道no川柳北海道no tameni川柳北海道wo川柳北海道 da
東京のアイヌの母と呼ばれているそうです。
故萱野茂宅で、ご一緒させていただきました。
書籍コーナーを担当させていただいたとき、「ありがとうございます」「ありがとうございます」と何度もおっしゃっておられました。
各国の方々へ、すばらしいご自分の布刺繍絵本を贈呈されておられました。
すばらしい、布刺繍の童話集は国際的に評価されておられるようです。
○
宇梶静江さん 「先住民族サミット」の共同代表(毎日新聞)より
宇梶静江さん 「先住民族サミット」の共同代表
心と体が宙に舞う。そんな感覚がまだ続く。
アイヌの人々を先住民族と認めるよう政府に求めた今月6日の国会決議。
先祖が受けた苦しみを思いながら、傍聴席で涙をぬぐった。
北海道洞爺湖サミットに先立ち、平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)と札幌市で開かれる「先住民族サミット」(7月1~4日)に共同代表として臨む。
海外から約20人の先住民族を招いて環境や権利回復などの提言をまとめ、各国首脳にアピールする。
「アイヌは明治時代の同化政策で自分たちの権利だけでなく、自然そのものも失った」
北海道浦河町生まれ。家は農業。
「兄と姉、3人の弟がいて生活は苦しかったけれど、集落ではみんなが助け合った」。
外に出れば「アイヌか和人(日本人)か」で人々は態度を変えた。
23歳で上京し、日本人と結婚。
2人の子どもが小学生だった38歳のとき「ウタリ(同胞)よ、手をつなごう」と新聞の投書欄で呼びかけ、関東圏のアイヌ復権運動の草分けの一人になった。
いつの間にか「長老」と呼ばれる存在だ。
思春期に反発していた長男の剛士さん(45)は俳優として個性を発揮。
子や孫の世代が歌や踊りを通じて「多文化共生」をしなやかに表現している。
アイヌの先住地を舞台にする二つのサミット。
「私にとっては民族の誇りと荒廃の道をたどってきた自然を取り戻すためのもの」
【明珍美紀】
【略歴】宇梶静江(うかじ・しずえ)さん 千葉県鴨川市在住。現在はアイヌの伝統刺しゅうを古布にほどこす古布絵作家として活動。75歳。
毎日新聞 2008年6月14日
川柳北海道ha川柳北海道no川柳北海道no tameni川柳北海道wo川柳北海道 da