ainu の残像
☆小樽の手宮というところに住んでいた私は、年に数回札幌の親戚の家へ遊びに行くことがありました。
幼い頃は、両親に手を引かれ、石炭を燃料に動くD51という汽車に乗って行きました。
トンネルが近づくと、このD51のもくもくと煙たなびく黒い汽車は「ポオーッ!」と大きな汽笛を鳴らします。
途中、銭函・張碓(はりうす)近くに、車窓から大きな岩の中で生活しているアイヌの方々が三つのほら穴にそれぞれ、三世帯ほど住んでいました?(夏だけ)
それをいつも見逃さずに、札幌へと向かったものです。
アイヌの方々は、汽車が通りすぎるたび、汽車に乗っている私たちから目をそむけ、ほら穴の向こうに逃げるようにしていました。
そのアイヌの方々の集落も、2つになり、ひとつになり・・・して・・・あの唇のまわりに三日月の形をした入れ墨をしたおばさんたちやこどもたちはどこへ行ったんだろう?・・・と、こども心に心配して淋しく思ったものです。
アイヌという言葉は知ってはいても、その歴史などは学校で習ったこともありませんでした。
けれども、小樽から札幌間の海沿いにも人目を忍ぶように生活していたアイヌの方々の残像だけは、はっきり残っています。
人生って幼い頃の「不思議な体験の答え」を求め解き明かす旅なのでしようか。
先人も同じようなことを言っていますね。
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川柳北海道散歩。