川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

Ainu  History  ①

2008年07月18日 | 川柳

川柳北海道           アイヌの歴史①

658年に阿部比羅夫による「蝦夷征伐」があったことが知られているが、古くからエゾやアイヌは「まつろわぬ民」として、繰り返し攻撃の対象とされてきた(エゾとアイヌの関係については、同一であるという説と異なるという説がある。いずれにせよ、東北地方にアイヌ語の地名が多く残っていることから、両者は密接な関係があったと思われる)。

 15世紀になると、奥羽地方北部の諸豪族が津軽海峡を渡って北海道に移り住むようになる。和人豪族とその家来、商人らは北海道南部の松前や函館に「道南十二館」と呼ばれる12の砦を築く。

移住してきた和人は、アイヌに鮭、昆布、熊や鹿の毛皮などを獲らせ、それを本州に運んで利益を上げていた。しかし和人はアイヌを脅したり、だましたりして搾取するようになったため、和人とアイヌの間でしばしば抗争が起きるようになった。

 蝦夷地全島(北海道)の支配権を認可された松前の和人豪族蠣崎慶広は、天下を取った家康にもうまく取り入った。松前藩とし、1604年に家康から「蝦夷地に出入りする商人その他の者は松前藩の許可が必要であり、これを破る者は松前藩の手で処刑してもよい」というお墨付きを得る。

松前藩は道南を「和人地」に指定、アイヌを辺境の「蝦夷地」へ封じ込めた。だが、和人たちはその蝦夷地をも侵食しはじめる。初めは友好を装っていた和人は、アイヌに対し極端に不平等な産物交換を強要するようになる。アイヌ側が強制された数量の物産を納入できないと、罰としてさらに不当な交換を強いて、それも達成できないとアイヌの子供を質に取ったりもしたという。 next →

 

☆ 昨晩、二風谷の萱野れいこさん(故萱野茂氏夫人)から、お電話をいただきました。   

過日、一宿一飯のお世話になった御礼に、手紙とお菓子を送った「お返し」のお電話でした。

「萱野です」と、お声を聞くなり、涙も鼻水も大洪水になった私です。

   なぜかわからない・・・大きなすばらしい魂を感じてしまうのです。

「れいこさん・・・私は、今まで生きてきて、出逢った女性の中でれいこさんがいちばん素晴らしい女性だと思います!また今度、二風谷へうかがいますから!」と、自然に思ったまま、そのままお伝えしました。

「自分の中の日本人がやっと、見えてきました。アイヌの方々のおかげです!」

「函館は近いのだから、いつでも来てください!・・・あなたのあのお料理の味は忘れてはいませんよ。」れいこさん。

    かくしゃくとして、凛として、愛が大きい強い女性なのだ。

            お鼻と目がとても、可愛いいのです。

          今度、友人達と日高へ向けて・・・GO!なのだ。

☆川柳っていいね!北海道散歩は只今、アイヌの歴史の小路をちょっと、散策中 です。

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