中国から伝わったころの石幢(せきどう)は、竿(さお)の部分に経文が刻まれ、その上方に仏を刻んだ火袋(ひぶくろ)にあたる部分(仏龕(ぶつがん))などがのるという形だったそうですが、その後、六地蔵が刻まれる現在見られるような形になったのだそうです。そして、灯籠の笠に蕨手(わらびで 笠から張り出した、巻いたような装飾)がないものが本来の石幢の形なのだそうですが、写真の上三枚には蕨手があり、こういうものを六地蔵型石灯籠ともいうそうです。
常照寺(元吉田町2723)
本堂向って左手にある歴代住職の墓地にあります。風雨により全体がかなり摩滅しています。
茨城県立歴史館(緑町2-1-15)
以前つくば市にあり、持主から県に寄贈されて、歴史館敷地内にたてられたのだそうです。室町時代後期につくられたそうです。
大井神社(飯富町3475)
仏龕の部分が大きくて、竿がありません。大井神社墓地の前にある石造物群の隅にあります。
地蔵院(内原町908)
蕨手のない、本来の石幢の形をしていますが、火袋の部分に灯が入るようになっていて、二方向に窓が開けられています。
十一面観音堂(東前町)
この地には、天正元年(1573)建立の石仏を明治18年に再建したという復元仏があります。この石幢も簡素なだけに、相当古いものなのかもしれません。前には樹齢300年のイチョウの古木もあります。旬菜味嘉久(みかく 東前町1210-10)の近くです。