水戸では1月14,15日を小正月とか裏正月といって、いろいろな行事がおこなわれたようです。旧暦ではこの日あたりが満月で、古い暦ではそれを新年の初日としたので、その名残だろうといわれているようです。特に農業に関する行事が多いようです。ほとんどは姿を消してしまっている行事なのでしょう。
繭玉
14日に、今年初めてつく「若餅」を枝にさして、柱や臼に飾って養蚕や米などの豊作を祈ったそうです。枝にさす餅には、紅白、三角、四角、賽の目、十二支の動物などういろいろあったそうです。若もちを丸めて両耳に当て、「いい耳きけ」と称えてからそれを食べて、耳がよく聞こえることを願ったりもしたそうです(柳河の今と昔)。写真は街角(居酒屋・味里(末広町3-2-4))で見た正月飾りの中に見える繭玉です。(令和3/1/16撮影)
削り下
14日 削り掛けともいって、木の枝をごく薄く削り、菊の花や房のようにしたものだそうで、豊作を願い、戸口、神棚に供えたそうです。「(1月)20日の風に当てぬように取り去る」と江戸時代の歳時記にあるそうです。明治の本には、20日に繭玉の枝を取り去ったあとに削り掛けを飾るとありますので、その頃にはすでに飾る日にちが変わっていたようです。
ワーホイ(どんどんや(大塚の民俗))
15日 火や煙に乗って年神が帰るように、正月の飾り物を燃やすそうです(内原町史)。「今夜はどこの鳥追いじゃ 鎌倉殿の鳥追いじゃ ワーホイ ワーホイ」と囃して焼くそうですが、投げ入れた書き初めが高く上がると書がうまくなるとか、この火で餅を焼いて食べると病気にならないなどといわれているようです。藁、茄子、菊、豆殻などを一緒に焚く地区も多くあるようです。鎌倉殿は北条高時で、鳥(取り)は「年貢取り」のことで、役人を追い払うという裏の意味があったともあります(国田史)。写真は平成30年1月14日に撮った根本町のワーホイです。今年行われたかはどうかは未確認です。
粟穂稗穂(あわほひえひ)
15日 赤尾関では、ノデッポウ(ヌルデ)の木に刻みを入れて粟や稗の形に削ったものを、細い割竹に通しておかま様(かまど神)に供え、粟や稗の豊作を祈願したそうです(内原町史)。
小豆粥
15日 前日についた若餅(鏡開きした餅を入れる地区もあるようです)を小豆粥に入れて食べるそうです。残った粥やその片付けの水を家のまわりにまくと蛇が来ないといわれたそうです。
柿責め
15日 成る木責めともいわれるそうです。1人が柿の木に登り、もう1人が鉈(なた)などで幹に傷をつけ、「なるか ならぬか」というと、木の上の人が「なります なります」と返答したそうです(内原町史 出兵沢)。傷つけた柿の木に小豆粥を塗った地区もあったようです(内原町史 赤尾関)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます