卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

2020年 紫苑のカタログいろいろ cinelli

2020年06月10日 16時43分13秒 | 紫苑のカタログいろいろ

 

フィレンツェ近郊の地主の息子で、10人兄弟の7番目だった チーノ・チネリは、ジロ・デ・イタリアやジロ・デ・ロンバルディア、ミラノーサンレモのレースで戦績を収めたプロ・ロードレーサーでした。怪我の後、自転車技術に興味があり、いろいろのアイデアを持って引退した彼に、メーカーは興味を示しませんでした。1948年「チネリ」を創業した彼には、ステムとバーを製造する兄弟もあり、その後、ミラノに移って、コンポーネントを製造する会社へと発展、アルミハンドルバー・樹脂ベースのサドル、ストラップやクウィックリリースペダルを生み出しました。

「A.L.コロンボ」は、自転車・自動車・バイク、航空機の鋼管製造会社で、30代のアントニオ・コロンボは、高級鋼管で家具を作る仕事をしていました。1977年、彼は「A.L.コロンボ」を退き、自転車用鋼管会社「コロンバス」を設立、その後、1978年に父親の友人だったチーノ・チネリ氏より「チネリ」を引き継ぎました。

Aが本格的に自転車にのめり込み活動を開始したのは、昭和44年(1969年)頃でした。東京オリンピックの時、海外の自転車競技選手は、日本への置き土産として競技自転車を残して帰りました。その時の「チネリ スーパーコルサ」に乗っている先輩を知っておりますが、当時、その価値を知らないAには、単に古ぼけたグレーのロードレーサーにしか見えませんでした。スーパーコルサは、当初の正式名称は「スペシャルコルサ」と言いましたが、サプライヤーが「スーパーコルサ」と誤ったため、以後、その名で知られるようになったとか……?

 

1970年代後半のカタログと思われます。カタログの後半1/4をコロンバスのtubeの説明で占められていますので、コロンバスがチネリを引き継いだ以後のカタログでしょうか? かつての七宝焼きのヘッドマークは、貴重です。

(2020.6.10)

 

※ 掲載のコピーカタログにつきましては、著作権制限対象物に当たるか否か不明ですが、個人使用のみに限らせてもらっております。掲載物関係者の方で、御異議・苦情等があれば、ご連絡ください。早期に削除等の対処をさせていただきます。

 

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