利根川はサケが遡上・産卵する南限の川。
一時はほぼ絶滅状態だった利根川のサケですが、関係者の努力によって、最近は毎年数千尾が帰って来るようになりました。
利根川はサケにとって過酷な川です。北太平洋を回遊し、故郷の川の河口にたどり着いたサケたちはそこからさらに150~200㎞も上流を目指さなければならないのです。
伊勢崎市と埼玉県深谷市の間に架かる上武大橋の下流にサケの産卵を間近で見られる場所があります。
この付近は河口から約160㎞もあります。自分が生まれた場所を探して必死に上ってきたサケたちの体は傷ついてボロボロです・・・・
最後の力を振り絞って次の世代へ命を繋ごうとするサケたちの姿は感動的。
産卵を終えたサケはやがて力尽きて死んでいきます。我が子の姿を見ることはできませんが、その体は川や森の生き物たちを育む栄養になります。サケは海から陸へ栄養を運ぶ、物質循環の重要な担い手なのです。
この場所は深谷市立豊里小学校の観察場所となっているようです。こんな素晴らしいフィールドが学校の近くになるなんてうらやましいです。
一時はほぼ絶滅状態だった利根川のサケですが、関係者の努力によって、最近は毎年数千尾が帰って来るようになりました。
利根川はサケにとって過酷な川です。北太平洋を回遊し、故郷の川の河口にたどり着いたサケたちはそこからさらに150~200㎞も上流を目指さなければならないのです。
伊勢崎市と埼玉県深谷市の間に架かる上武大橋の下流にサケの産卵を間近で見られる場所があります。
この付近は河口から約160㎞もあります。自分が生まれた場所を探して必死に上ってきたサケたちの体は傷ついてボロボロです・・・・
最後の力を振り絞って次の世代へ命を繋ごうとするサケたちの姿は感動的。
産卵を終えたサケはやがて力尽きて死んでいきます。我が子の姿を見ることはできませんが、その体は川や森の生き物たちを育む栄養になります。サケは海から陸へ栄養を運ぶ、物質循環の重要な担い手なのです。
この場所は深谷市立豊里小学校の観察場所となっているようです。こんな素晴らしいフィールドが学校の近くになるなんてうらやましいです。
本当にお疲れ様・・
かおの放したサケさんもいつか戻ってきてくれるでしょうか・・でも、そんなに大変な距離なんですね・・
本当に、川の水、綺麗にしなくてはいけないですね。
ちなみに、ここの橋はかおの家から割と近くでっす♪チャリで行けまっす♪
ちょうど、渡良瀬川の河川事務所(足利)の人にサケの話を聞いたところです。
4年くらいかかって戻ってくるそうですね。
渡良瀬川も足尾の鉱毒事件で全滅だったけど、
今は放流などして戻ってくる子もいるそうです。
自分の川をどうやって判断しているんでしょうね。
長い長い旅の終わりの勇姿…ぐっときました。
私の子供だった頃は、利根川ほとりに暮す我々は、海から遠い遠い世界で生活していたという風でした。
鮭、黄金色で精悍な表情ですね。
東北や北海道で産卵のため、上ってくる鮭を見たことはありますが、関東でもこんな情景があるのですね。すごいなあ。
グッドぐんま2もリンクさせていただきました。
ワンタッチで行き来が出来ますように。
次世代に命のバトンを渡すために、故郷の川を目指す。
サケにはロマンがありますよねぇ~
故郷を目指す旅は命がけの厳しい旅なんです。
私たちのふるさとの川を大切にすることが、
サケへの最大の応援歌でしょうね。
かおさんの放流したサケも戻ってくると良いですね(^^)
サケがどうやって故郷の川に帰って来るのかは
未だによく分からない部分も多いのですが
沿岸まで戻って来たサケは生まれた川のニオイを頼りに川を遡上すると言われています。
産卵場でサケの姿を見ていると、目頭が熱くなります・・・
しかし、戦後、川は荒れ、さらに昭和40年に利根大堰、河口堰の工事が相次いで開始されると、サケは利根川から姿を消してしまいました。
でも、昭和58年頃から利根川にサケを呼び戻す運動が盛り上がり、関係者の努力で、最近では遡上数もだいぶ回復してきました。(東北の川には遠く及びませんが・・・)
ギンヒカリ・ヤマメのアドレスは活きておりますが、もしかして、私からの返信メールが届いていなかったでしょうか?
利根川東遷以前の利根川は東京湾に注いでいましたので、サケは遡上しなかったとされていあす。人間の活動が生物の分布に大きな影響を与えたよい例だと思います。