ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

カブト虫と鳥かご

2008-07-11 | Weblog


孫が遊びに来た。

昨日の朝刊に、たまたまカブト虫の写真が載っていた。孫に写真を見せてカブト虫買ってやろうかな・・・?と話した。

そういえば、この頃散歩をしていて、大人でも気付かないほどの小さな虫を見つけ立ち止まって見ているようだった。

今月末でやっと2歳。まだまだ、話だけ・・・・と、思いきや、カブト虫買う、カブト虫買うと、覚えたての言葉で私の手を引っ張った。

そこへママが登場、もうこの子にウソはつけないよ・・・。買ってもらうまでいい続けるからね・・・・・・、と釘をさされた。

昨日の約束通り、隣町までカブト虫を買いに行って来た。

隣町は全国でも有数のカブト虫の産地らしいからだ。1番元気がよさそうなオス、メス1匹ずつ買ってきた。



ママがどこかで調べてきたらしく、カブト虫の飼い方の薀蓄をいろいろ並べ立てた。

小さい入れ物で飼うと、ストレスで死んでしまう、木屑に潜って寝る、霧吹きで適当に水分を補給する、ゼリー以外の食べ物はは与えない・・・等。そこで、以前飼ってた鳥の、鳥かごが一番ということになって、写真のような立派なハウスになってしまった。

太い止まり木、青々とした杉の葉っぱ、湿気を含んだ軟らかい木屑の床。自然環境そのものの贅沢過ぎるようなハウスになった。

もう30年近くも前の話になるが、自分の息子の時は、遠くの山まで行ってカブト虫の幼虫を捕ってきて飼ったものだ。

そして、孫のカブト虫の世話まですることになるとは、夢にも思っていなかったことだ。

口は災いの元・・・・・・・。確かに・・・・・・・・。

あの一言さえなければと、今になって悔やんでもしょうがないかァ~・・・・・・・・・・。


サマー・カット

2008-07-10 | Weblog


少し虎刈りのところもあるが、愛犬「ナナ」の、サマー・カット途中経過。





カット前。





去年は耳も毛も短くしたが、耳の毛は梅雨が明けてからカットすることに。

耳をカットすると、パピヨンがたちまちチワワに変身してしまう。

しっぽは、去年と同じポニーテール。

カットを済ませすっきりしたせいか、廊下の少しひんやりしたところで、気持ちよさそうに眠っていた。

模写・・・・・(Ⅱ)

2008-07-09 | Weblog


この絵は、真下慶治の冬の最上川を描いたものを模写したもの。

実際の真下が描いた作品は、油絵のF15号位の大きさだが、それを水彩で葉書1枚強の大きさに模写。



構図、空、山、川のそれぞれの色合いすべてお手本そのもの。



この絵は、真下が新緑の最上川と残雪の月山を描いたものを模写。



この模写絵の原画は、もっともっと色使い、特に空の薄茜色と、凍てつくような川面の色が実に見事だ。

この他にもまだまだあるはずなのだが、残念ながら、3枚しか見つからなかった。

真下の模写絵に終わらず、いつの日か、こんな風景の絵を描いてみたいと思っている。

模写・・・・・(Ⅰ)

2008-07-08 | Weblog


我が家の、茶の間のエアコン、2~3年前に調子がおかしくなって、今だに取り外したままになっている。

窓を開け、涼風を入れ、扇風機を回せば何とかなって来た。

本格的に暑くなった時は、仕方なくもうひとつのエアコンのある茶の間に移動する。そんな暑さは1年で5日程。

今年も、そろそろ暑くなって来たので、扇風機を出しに物置に。

物置の奥を探していたら、ずいぶんと前の、額に入った絵が出てきた。

若かりし頃、沢山模写をした。特に真下慶治の風景画を、好んで何枚も模写をした。今でも部屋に飾って、自分では真下の作品と思い込んで、彼の絵と一緒の部屋で寝起きし、生活を楽しんでいる。

この絵は、人物の絵をまとめて模写したもの。額の中には他に数枚のスケッチも一緒に入っていた。今描いているのもそうだが、もっともっと拙作で、幼稚そのもの、こんな時もあったのかと・・・・。



ピカソ、ドガ、シャガール、ルノアール・・・他、1枚の紙に巨匠達の絵を適当に配置して描いたものだが、懐かしい・・・・。

でも、自分で言うのも変な気がするが、下手は下手なりに、なんとなく力強いタッチで、線に迷いがないところがいいと思う・・・・・。

明日は真下の模写の記事を・・・・・・・。

スケッチ・七夕の頃

2008-07-07 | Weblog


今年の梅雨,これまでのところずっと空梅雨が続いている。

今年の梅雨明けは、予報では7月23日。本格的な梅雨はこれからなのだろうと思う。

今日は七月七日、七夕。鹿島の今日の様子。

つい先日田植えが終わったばかりと、思っていたのにもう青々と成長した稲。

しかし、ここでもあっちこっちの田んぼに豆が植えられ、せっかくの美田は台無し。

かと思えば、いまだ山峡の狭い耕地で、まだまだ稲作が行われている。

右が水田、左が転作した豆畑。いわゆる乾いた水田だ。

後継者がほとんどいない、現在の東北の農村。私の家に限らず、この先日本の農業はどんな進路をたどって行くのか、全く予測が出来ない・・・。




プリエッタ

2008-07-06 | Weblog




やっと元気を取り戻してきたプリエッタ。

今年は土が合わなかったせいか、この1ヶ月まったく成長しなかった。

土の中に配合されていた肥料分が水で流されてしまってから逆に成長し始めて来た。

いつもの年だとこの5~6倍くらいに成長しているのだが、今年はこれからどんどん大きくなっていくようだ。



これからどんどん伸びて1m位下まで垂れ下がって沢山の花を咲かせる。

今年は成長が遅かった分、遅くまで花が見られるといいのだが。

あじさい

2008-07-05 | Weblog




我が家のあじさいがやっと見頃になった。

道路際の塀の後ろのあまり目立たないところに咲いていて、注意してみないと見逃してしまう。

そして毎年屋根から降ろす雪のせいで枝折れし、あまり大きくなれないでいる。





満開のあじさいもきれいだが、写真のような7~8部咲きのあじさいが、一番好きだ。

咲き方を知らないような初々しさやはじらい、一つ、二つと日毎に咲き揃って、次第にまぁ~るい球になっていく様子。

あじさいに限らず、人生を含め何事も7~8部目が一番のようだ。


松の木

2008-07-04 | Weblog


自然環境があまり良すぎる所に住んでいるのも、場合によっては考えものかも知れない。

我が家の裏は神社の森になっていて、境界も無くいつでも自由に出入りすることが出来る。

この頃は毎朝複数のかっこうが入れ替わり立ち替わり飛んで来ては、中に爽やかなカッコーの泣き声を響かせている。

昨年、神社の森の松の木の1本が虫害で枯れてしまった。昨冬あたりからなんとなく倒れて来そうで心配していた。



隣の家では幼稚園に通う子供さんが2人、私の家では時々来る孫が、よく神社の森のこの辺で遊んでいる。

春、雪解けが終わってからもしもの時を考えて、木が倒れて来る範囲には人が入れないようにと、ビニールテープで囲っていた。

その内協力して松の木を伐採する予定だった。もちろん神社の了解も貰っていた。

つい2,3日前にも隣のおじいちゃんと、そろそろ倒さないと、と話をしたばかりだった。



今朝、私がまだ熟睡中の5時前、妻が松の木が倒れた・・///と、驚いた様子で私を起こしにきた。

ドーン~~・・・と、とにかくものすごい音がしたらしい。



昨夜は久し振りに強い雨が降った。きっとその雨が斜めに立っていた松の木に浸み込んで重石のようになり、倒れてしまったのだろう。

万が一倒れて来た松の木の下で、子供達が遊んでいたかと思うと本当にヒヤッとした。

もうひとつ、ものすごい音を立てて倒れたその音に、すでに起きていた私の妻以外誰も気付かなかった事にも、少々情けない気がする。

先日の内陸地震の時も、私はあまり怖いとは思わなかった。

火事、地震、泥棒・・・・etc、もう少し日常の身の回りに起きる事に常日頃もっと注意しなければと反省させられた今朝の出来事だった・・・・・。

黒川紀章&岡本太郎・・・・(3/3)

2008-07-03 | Weblog





今日、寒河江市役所に行ってきた。

農業者年金現況届を農業委員会に提出、そして妻の住民票を取りに住民課へ。

暫らく振りの市役所、ふと先日発表された市役所の耐震診断の結果を思い出した。そして私のブログの「黒川紀章&岡本太郎」が2/3で終わっている事を思い出した。そんな訳で今日はその続きを・・・・・。

今から約40年前、新進気鋭の建築家、黒川紀章は自宅兼事務所のマンションの一室で設計事務所を開設したが、現実の設計の仕事となると、ほとんど依頼がなく、著作活動などに時間を費やしていたが、寒河江市のN食品社長が黒川紀章の力量を見込んで自社工場の設計を依頼した。

前回はそこ迄・・・・。


  岡本太郎 「生誕」

さてそこから、丁度同じ時期、寒河江市は新庁舎の設計を誰に依頼するかでいろいろ模索していたが、なかなか決めかねていた。
そんな時、同じ寒河江市で工事が始まっていたN食品工場の設計者が、著名な建築家黒川紀章と知り、急遽新庁舎の設計を依頼することに決まった。

実はこの寒河江市庁舎の設計が黒川紀章にとっては初めての公共建築物の設計依頼であった。そして以後、彼が第一線で華々しく活躍していくスタートでもあった。



黒川紀章と岡本太郎との関係の発端は定かではないが、黒川が東大丹下健三研究室時代、岡本と一緒に撮った写真が残っているところからすると、すでに名声を博していた岡本は、丹下健三の仲介で黒川と親交を持っていたようだ。

そんな黒川のデビュー作に自分の「生誕」と名付けたモニュメントを寄贈。
実際、寒河江市と岡本太郎は何の関係もなく、寒河江市ではなぜ岡本太郎の作品が市庁舎ホールにあるのか、いまもその正確ないきさつを知らない。

ごく最近になって知ったことだが、岡本太郎は自分の作品を売買し、金銭に換えることは生涯なかった。そうだとするとこのモニュメントもやっぱり無料なのだろう。

その後、大阪万博で丹下は総合プロデュースを、岡本は太陽の塔、そして黒川はT社パビリオンなど数件を設計し、大阪万博は成功裡に終わった。以後黒川は日本を代表する建築家へと成長していったのである。

ここまでが「黒川紀章&岡本太郎・・・3/3」。

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そして四十年の月日が流れた・・・・・・・・・・。

寒河江市庁舎は日本近代建築100選に選ばれ、丹下健三、岡本太郎、そして設計者黒川紀章のいずれの巨匠も、すでに故人となってしまった。

今年、寒河江市庁舎の耐震診断結果が発表された。結果は震度7規模の地震で崩壊するとの耐震診断であった。

当時の手計算による2次元的構造解析の限界と、新耐震による耐震構造指針の強化があって、現在の新耐震基準からすると大地震時には1階コア部分でせん断破壊が発生し、庁舎は崩壊するとのレポートが発表された。

地震に対する構造計算の検証も重要であるが、当時の工事監理体制、施工精度なども本来は検証してみる必要があると思われる。

しかしながら財政難のこの時期、寒河江市としては書類等を庁舎外に移動するなどして積載荷重を低減し、建物の軽量化を図る地震対策にとどめ、当面構造的補強はせず、そのまま使用を続ける。



そんな意味を含めて今日エレベーターに乗る際、開口部周りを凝視してみたが、開口部亀裂特有の4隅に見られる斜めのヘアークラックはまったく見られなかった。コーナー部の補強筋がしっかり施工されているからだろうと思った。

寒河江市民の1人として、日本の設計界の一時代、その先端を走った建築物として歴史に残るこの建物の美しさに、今でも訪れる度に見入ってしまい、自慢に思っている。
この建物には、一時代を駆け抜けたメタポリズム思想がまさに生きている。
地球の重力に抗うような力強い躍動感に溢れ、他に類を見ない明快さと黄金比のリズムを持つディティール。

40年たった今も尚、山形県で寒河江市庁舎を越える現代建築物は皆無に思える。

ブルーベリー

2008-07-02 | Weblog




ブルーベリーが色付き始めた。

昨日までは1本の木にせいぜい5~6個位しか色付いていなかったのが、今日になって、あっという間に色付き始めた。

甘酸っぱい味が口中いっぱいに広がる。

枝になってるブルーベリーをそのまま口に入れると、今の時期のブルーベリーは旬の初めで、酸味が強い。

ブルーベリーは1つの木でも一斉に色付く事はない。枝ごとにとか房ごととかで色づく。



背丈は1m50cm位だろうか。粒の大きさは5mm~2cm位まで様々。





ブルーベリーが出回る頃になると、まもなく本格的な夏である。