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左から弁護士の堤(つつみ)さん、長男の龍彦ちゃん、妻の都子(さとこ)さん
1998年11月4日に旧オウム真理教の幹部6人にて殺害された。
「横浜法律事務所」に勤務していた弁護士の坂本堤さん(当時33歳)は、ジャーナリストの江川紹子から、オウムに入信、出家した母親から息子をつれ戻してほしいと頼まれ、坂本さんに相談を持ちかけた。
1度は坂本弁護士と幹部との間で話し合いがもたれたが、決裂する。
坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入る。
しかし浅原彰晃(松本智津夫)が、翌年真理党からの出馬を考えていた為、坂本弁護士が障害になると判断し、信徒に殺害を命じた。
11月4日は休みだったため、本来は坂本弁護士だけを待ち伏せして殺害する予定が崩れ、4日未明に家に侵入し、坂本弁護士は馬乗りになり絞殺され、本来関係のない妻の都子(さとこ)さん(当時29歳)も絞殺、まだ当時生後1歳の龍彦ちゃんまで、口を塞いで殺害される。
そのあと、オウムの犯行では?と言われながら、長い間、失踪事件扱いされ、1995年9月に遺体が発見された。
その間、坂本弁護士の母、さちよさんはいろいろな目撃情報を頼りに息子家族の無事を信じていた。
しかし、残忍なことに坂本弁護士は新潟県、妻は富山県、長男は長野県に別々に埋められ、坂本弁護士に関しては、身元が判らないように歯をつるはしで全て折られ、頭蓋骨には大きな穴が開いていた。
そして、埋めながら、タラバ蟹を食べていたらしく、そのカラも共に捨てられていた。
のちに実行犯には死刑判決が下っている。
しかし、これも謎の多い事件で、未だ解明されていない部分が多い。
坂本弁護士と都子さんは大学の同級生で、交際があり、のちに結婚する。
不妊治療をして龍彦ちゃんは授かった念願の子どもと言われている。
母のさちよさんも龍彦ちゃんがいつ戻ってもいいように洋服を新調して待っていたと言っていたように記憶している。
公に言うことはできないだろうが、妻、子どもは関係なく、全く訳が判らないまま殺された。
都子さんのご両親からしたら、何故、この人に嫁がせたんだろうという思いもあるだろう。そのせいで、事件に訳が判らないまま巻き込まれ、娘も孫も殺された都子さんのご両親の苦しみも深いと思う。
坂本弁護士の母、さちよさんと、頼んだ江川紹子の間には未だ確執が残っていると言われている。