クルーニー婚が好き?

2014-12-02 20:44:41 | ニュース

 fr.weddbook.com(出典)

 俳優のバツ一もう独身貴族と思われた、俳優のジョージ・クルーニーが結婚したことから来る名前らしい。

 最近の男性はこれを求めているという。

 昔は女性が3高(高学歴、高身長、高収入)を求めていたが、今は男性が女性に3高を求めるそうだ。

 実際、ジョージ・クルーニーの相手も英国の弁護士で背の高い美人で3高をクリアしている。年齢もジョージ・クルーニーの53歳に対して、36歳だそうだ。

 つまり専業主婦にこだわらず、自分の世界を持っている、働いてくれる女性がいいってことだろう。

 確かにその傾向はありますね。せめてパートをしてくれると思って結婚したら、パートもする気のない女性だったと嘆いている男性の知り合いはいます。

 だけど、自分相応の相手だと思いますよ?



 blogs.ac-amiens.fr(出典)

 単に私が可愛いなと思ったドレスです。後ろ姿が綺麗なのもいいですよね。

 もうこういうのが着れないのは十分承知してる年齢ですけど。


 いろいろ刺激し合える関係がいいと言いますが、確かに顔を見れば、お金のこと、子どもの教育のことそういう会話ばかりはつらいでしょうが、そうでない女性もそれはそれで大変ですよ。


 私も恋愛至上主義じゃないですし、こうして、ブログをばしばし書いてるくらいだから喋らせれば、面白い話の宝庫で、一家に1台…いや、一女性と言われてますけど(親から)そういう人は相手に合わなくてもあんまり気にしないし、男性を立てようという気もあまりないですよ。

 私は顔は掘りさえ深ければなんでもいいんで、九州男児と結婚すれば良いじゃんと、よく言われますが、あちらはまず自分に従わせたい派なんで、すぐに喧嘩になりますね。


 それに、年齢の高い男性…ジョージ・クルーニーも53歳なんで、これくらいの方との結婚になるなら、当然、介護を視野に入れなければならない。

 最近体験してますから。


 そうすると、やはり、女性に経済力、男性に経済力(貯金)がないとダメですね。

 60代以上の夫婦で、2千万貯金があって、いざとなったらそれで介護施設に入って…(年金も出るし)と考えていたら甘いですよ。

 施設に入っても何かの病気で治療代などが出ると(絶対出ます)、結局息子さんが、30万毎月持ち出しになったという話を聞いてます。

 相手の年齢も考えて、子どもを持ちたいにしても、よほど、甘い人生の時間が少ないと覚悟しないとダメです。

 2,30代同士で結婚すれば、年月で、家族になってますからいいですけどね。

 ある程度、片方か、両方が高齢だと、その覚悟を入れての結婚となります。



 …ってズレましたか?


 クルーニー婚を望むなら、お互い、自分磨き(知識と言う意味で)をしないと無理だと思いますよ。

BONES(ボーンズ)9 完璧なハネムーン

2014-12-02 08:11:23 | BONES


 新婚旅行は、アルゼンチン・ブエノスアイレス



 一旦プロポーズを受けられながら、ぺラントに邪魔をされ、




 やっと問題山済みで乗り越えた結婚式



 愛のキス



 そして!


 新婚旅行はスムーズに着いたらしい。



 新婚らしく、プールサイドでまったりブースだ。

 その脇で、ブレナンはすることがないもんだから本を読んでいる。

 リラックスをしろと言われても



 虫がいるのか?とブースから言われる動きを取っている。

 しかし



 にやける新郎・ブース、快晴の空と愛する女、ビールいうことなしだ。



 ブレナンも嬉しそうだ。

 滝のあるプールを勧められそこへ行こうかと言うが、以前きたことがあるブレナンによると、そこはイノシシのふんだらけらしい。

 だから、以前自分が行って楽しかった場所へ行こうとブースを誘う。



 それが…



 ブエノスアイレスの遺体安置所だった。

 レティシア・ペレス検視官が出迎えた。

 10年前、エレーヌ博士がいる時に来たというが、彼女はすでに故人になっていた。 ここにあるのは、汚い戦争の犠牲者の消えた人々(デスアパレミート?)遺骨を分類しているらしい。

 しかし、設備はジャファソニアンのラボから見れば、ずい分遅れている。それを口にするブレナン。

 ペレスは汚い戦争は我が国の恥だという。


 いつまでもここにいたくないブースは、ハネムーンだと言い、去ろうとブレナンを促すが、ブレナンは多くある骨の中に30年前の物ではなく、最近焼かれた骨を見つけてしまう。彼女のミスだと言いだす。



 ペレスは30年前の骨の下にあったというが、ブレナンは焼け方や色が最近の物だと指摘する。

 ペレスはもう1度確かめ確かに最近焼かれたものであることを確認する。

 集団墓地に隠せば…ブースは呟く。

 2人はバレンツァ警部にとりあえず報告に行こうと、今ならカフェにいるというぺレスの言葉でカフェに向かう。



 バレンツァ警部はブレナンの本を読んでいて、ブースをアンディ捜査官(ブレナンの本の中の仮名)で呼び、喜ぶ。



 車もアンディ捜査官と同じだという。

 一気に舞い上がっちゃうブース。ブレナンはライクス(本の中のブレナンのこと)助手だとアンディをいうが、この国では人気者らしい。


 ペレス博士が来て、公用語のスペイン語でブレナンとバレンツァ警部にまくしたてる。
 何を言ってるんだというブースに、いつの間にか、ブレナンが事件を放っておけないから手伝うことになったという。
 ブースもアンディと持ち上げられ、スリル満点の旅行になるとバレンツァ警部に言われ、引けなくなった。

 ブレナンはオルティス副大統領(?)からもいつでも手伝ってくれと言われていたらしい。

 ブレナンとアンジェラはアンジェラトロンの大画面で話していたが、そこが遺体安置所と知ると…ホッジンズとサローヤンを呼ぶ。



 資料を送ったからお願いと言われ、好きな人と一緒に働くのは楽しいとブレナンはいうが、横から顔を出したブースはすぐにプールに戻るという。

 そしてこの国で俺は英雄だからなと、やっぱり嬉しそうなブースだ。

 やがて、X線が届く。

 被害者は90歳の白人だ。

 アンジェラは復顔をする。

 ホッジンズとクラークはX線などを見るが、服は梱包されていて汚れていないが、骨は汚染されているという。

 

 2人で調べている(ブレナンはぺレンを助手だと思っているが)90歳白人とこちらも結果が出ている。

 死亡から1か月くらいだという。

 ブレナンはうちの昆虫博士が時期を出してくれると対抗する。

 結果は変わらないわとぺレンも対抗する。
 
 バレンツァ警部に誘われ、夜はブースは地元の強い酒「悪魔の尻尾」を飲むが、新婚だからと彼の元を離れ、スイーツにバレンツァ警部を調べろという。

 いい車に乗っていて、良い服を着ている。もしかしたら汚職警官かもしれないという。

 スイーツは新婚旅行で何をしているのかというが、言われるままにブースのPCで調べる。

 バレンツァ警部とPCを使って、墓地のそばに着いている監視カメラで出入りした車を調べる。

 1か月前に絞るが、ほとんどが政府の車だ。

 そこに1台メルセレスが通過しているのを見つける。

 メルセレスは3週間4日11時間前に出入りしてる。そして約2時間墓地に滞在していた。

 それなら十分遺体は埋められるとブースはいう。
 
 送られてきた資料で、運転免許所から被害者はミゲル・エドゥアルド・バジルと知る。

 90歳なら放っておけばすぐに死ぬだろうに…と思う。むしろブースは90歳で運転してることが怖い。

 

 アンジェラとホッジンズブースの家の留守を預かり、息子のマイケルを連れ、クリスティンの世話をしている。

 ゆっくり2人でパスタを作っているが、2人子どもがいると一緒に遊んでくれて楽だという。
 なんとなく匂わせてない?(2番目が欲しいって…)と思うが、あまり子ども達が静かすぎるから気になり見ると



 2人で仲良く遊んでいた。脱走したかとホッジンズは焦ったが、やはり2人の子ども2人目計画は現実味を帯びてくる。

 平日、毎朝、バレンツァ警部はカフェで食事をしている。それに付き合うブースだが、米国式のやり方で妻の所へ夫の死を知らせに行くことになる。

 

 妻・ビアンカは



 夫の失踪届けを出していないことを聞かれ、いなくなるのはしょっちゅうだし、数週間いないことも珍しくないという。そして短気で自分のことは話さなかったという。

 私が悪いのかという。美人で年寄と結婚したから?自分はシウダ・エビタ(テレビの訳ではそうなっていましたが、シウダ・エビ―ターで検索しないと出てきません)の出身だという。

 そしてここでもアンディ捜査官の話が出る。この国の人は読書好きだという。

 あの人は奇妙だけど、私に新しい人生を与えてくれたという。

 ブースはそれでも夫が死ねば、この屋敷も銀行口座もあなたの物だという。そして殺人は罪だ、と。

 ビアンカは笑うと、夫は銀行口座は持っていない。現金主義だ。自分は小銭しかもらっていない。

 家を維持する費用も車もない。


 また最初からやりお直しだという。



 スイーツからブースにバレンツァ警部ことで判ったことが伝えられる。



 FBIと共同でカルテルを逮捕したり、2006年にも功績を挙げている。

 清廉潔白だという。

 むしろ警察自体が腐敗していると伝えるが、ブレナンは机の上に置かれている人形に触るなという。首が揺れてるという。

 クラークは150℃~137℃で焼かれているという。

 ホッジンズは、木片を使いガソリンで焼いたという。

 ブレナンはそれを聞き、人体を焼くのは大変だという。


 allabout.co.jp(出典)

 サローヤンは保育所から連れて来ては行けないと言うのに連れてきちゃうアンジェラから



 子どもを保育所に帰そうと一生懸命だし



 takayukiohno.blogspot.com(出典)

 ブースとバレンツァ警部はシウダ・エビタに向かう。

 バレンツァ警部はここは危険な地域だという。警察も手が出せない悪党ばかりの場所だ。だからこれが必要だと言い、ブースに拳銃を渡す。

 車は部品で売られたか、捨てられたかとブースは推理していた。

 そして、バジルの車を見つけた。中からは



 鍵が見つかった。



 アンジェラとホッジンズは2人の眠らせるのに疲れていた。ホッジンズはいい睡眠妨害だという。 
 1人が泣きやむと1人が泣き出す。

 2人が交代でそのたびに抱きに行っている。やはり2人目は…と思いだす。

 クラークはぺレスにブレナンの相手は大変だというが、クラークはブレナンがそう思ってるだけであなたは良くやっているという。
 そして、ブレナンはできる人には厳しいという。

 そして、バジルからはバイクロンBが出たという。毒ガスだ。

 ブースはバレンツァ警部とどうも鍵はあの家の地下のワインセラーにもなっている部屋の物らしいと入ろうとする。

 そこへブレナンからブースに電話が入り、毒ガスのことを聞かされる。バジルはナチスの囚人だった恐れがあるという。



 しかし部屋を開けたブースはバジルが




 ナチスの戦犯だったと知る。



 部屋が殺害現場だった。あちこちに血が飛んでいる。そしてそこにはゴッホの絵がある。

 死体を運び出した後、24時間以降にもう1度戻ってきて、何かを持ちだしている。かなり重たいものだ。

 ブースは物の陰に「メルマー」と書かれた紙の切れはしを見つける。

 ブースはどんどんことが大きくなっていくのにもう止めてもいいんだぞというが、好きな人と仕事をするのは嬉しいという。そしてそのあとのベッドも楽しみらしい。



 アンジェラはポーランド政府と関係団体に聞き、ハスプトは本名がハーマン・ハウプトというマイダネク収容所のモンスターと言われ、ユダヤ人やポーランド人を数千人殺害した人物だと判る。



 かつてペロン大統領はナチスに1万人くらいのパスポートを発行した。それも我が国の恥だとバレンツァ警部は言った。

 相変わらず対抗心むき出しで仕事をしているブレナンとぺレンだが、ぺレンはうっかりして頭蓋骨を割ってしまう。

 謝るぺレンに自分が修復した方が早いとブレナンはいうが、ふと気付き、一緒に修復しようと2人の間の溝が埋まりかけてきた。

 そして、この頭蓋骨が割れたことにより、彼は金の延べ棒で殺されたことが判った。

 そして、腑に落ちないとバレンツァ警部が言いだす。金塊は銀行で換金できない。

 ラモンという金を扱う男を通じ、売りに持ってきたのは女、妻のビアンカだったと判り、ビアンカが逮捕されるが―――。


 

 金のの延べ棒で殺されるとは贅沢な…いや使った方がいいか。

 しかし、大きくなったな、子ども達。

 前はこうだった。


 
 全回の結婚式で気になる子がいたんだが、どうもはっきりしないから載せなかったけど


 
 やっぱりクリスティンだったんだ。

 こんな写真もあった。



 小さなカップルですね。

 そしてこれが事件解決のヒントになる



 でも新婚旅行だからね



 骸骨の器で水分補給、ですね。
 

元フィギアスケーター本田武史、本当の土台を気付いた立役者

2014-12-02 02:00:00 | 日記風

 takeshi-honda.com(出典)

 今はコメンテーターとして試合の際、解説をしているが、その仕事の幅は広い。

 プロスケーター、スケートコーチ、解説者、スポーツコメンテーターなどだ。

 すでに1歳年上の女性と結婚し、3児の父でもある。

 けど33歳とまだ若い。


 1981年3月23日、福島県郡山市で次男として生まれる。兄がスピードスケートをしていて、自身は7歳からショートトラックを始めたそうだ。

 1989年12月からフィギアスケートに転向する。

 フィギアスケートを初めて3年で3回転をできるようになる。

 1994~1995シーズンの全日本ジュニア選手権で3回転アクセルに成功する。

 翌年1995~1996シーズン、優勝したネーベルホルン杯の公式練習では4回転ジャンプに成功している。

 この年第64回全日本選手権では男子シングル選手として史上最年少の優勝する。

 そして1996年世界選手権に14歳で日本のエースとなり、13位となった。

 この頃のフィギアスケートはまだほとんどの人が関心を持たないマイナーなものだった。
 テレビ中継はされていたが、見てない人の方がほとんどで、話題を出しても話す相手もいなかった。

 1997年10月には長野五輪にも男子シングル日本代表で出場、4回転を飛ぶが、着床に失敗し、13位に終わる。

 1999年四大陸選手権で長野五輪のメダリストに混ざって、SP・フリースケーティングともに1位となり、17歳で初代王者に輝なった。

 第68回全日本選手権では3年ぶり3度目の優勝を果し、2000~2001シーズンには第69回全日本選手権で4度目の優勝、2001年四大陸選手権では2位となる。

 2001~2002シーズン、スケートアメリカ2位、NHK杯で五十嵐文男以来20年ぶりの日本男子優勝をし、日本人男子選手として初めてグランプリファイナルへ進出する。
 成績は、グランプリファイナルで5位だったが、これでソルトレイクシティ五輪の男子シングル代表になる。

 と言いだすときりがないが、このまだ誰もフィギアスケートに夢中になっていない時代に凄い成績を残している。

 それが、評価されず、今はいろんな選手のコーチに収まっているのがなんか残念ですね。

 彼は、若手が台等してきたから、自らの選手生命を後輩に譲った人だ。

 私が凄く印象に残っているのは、わざわざ、コーチの家に実家を離れて住み込みをしたということだ。

 幼かったからそれだけでも凄いものだと思ったものだ。


 こういう方々が、この華やかなフィギアスケートの基礎を作り上げてくれたのだ。