NY Daily News(出典)
今月30日のダイアナ妃の没後20年にあたり、英国では様々がドキュメンタリー番組が放送されている。
その中で行方が判らなくなっていたテープが姿を現した。
ダイアナ妃がチャールズ皇太子と別居していた1992~1993年頃に撮影されたもののようだ。
6歳で両親の離婚を経験し、愛のある幸せな結婚を望んでいたダイアナ・スペンサーは、結婚前からチャールズ皇太子に愛していると言っても、彼は「僕には愛が何かは判らないけど」という言葉を返されてたい。
この時点で、この結婚は、30歳を迎えるチャールズ皇太子の形式としての結婚だったろうことが予想される。
チャールズ皇太子とは結婚までに13回しか会わなかった。
知り合いにもお見合い結婚をして相手とその間会ったのは3回だけだという人がいる。
目的は結婚だったとしか思えない数だ。
しかしダイアナ・スペンサーはそれ以上のものを結婚に望んでいた。
いつの頃からかカミラ夫人との間はチャールズ皇太子との間に復活していた。
それを問いただすダイアナ妃にチャールズ皇太子は言ったという。
「どうしてあの女性がいつも付きまとっているのと聞くと彼は“私は愛人のいない唯一の皇太子にはなりたくない”と答えたの」(引用BLOGOSより)
彼女は結婚を前にして移った王室で誰も見方がいない状態から始まった。
しきたりを教える人も、妃としてどう振舞うのか教えてくれる人物がいなかった。
唯一、彼女の補佐を務めたのが、チャールズ皇太子と愛人関係にあったカミラ夫人だった。
チャールズ皇太子との関係が悪化しても女王は
「女王がおっしゃることは“あなたがどうするべきかわからない。チャールズはどうしようもない”とそれだけだった。だから二度と彼女に助けを求めなかったわ」(引用同)
結婚の2日前まで婚約破棄を本気で考えていたダイアナ妃。
若すぎるがゆえ、どうすべきか判らなかったであろうダイアナ妃。
彼女の親族も彼女が王室に嫁ぎ王室と縁つなぎになることを望んでいた。
ロイヤルウエディングでは世界の喝さいを浴びたダイアナ妃は深い孤独の中でそれを迎えることになった。
するべきではなかった結婚だったとしか、後世に話を聞く他国人は言いようがない。
しかし一旦乗ってしまった流れからは、彼女はもう引き返すこともできず、進むところへ進むしかなかったのか…。