大阪水曜ほっと集談会一世です。
今日もまた朝から雨である。
昨日、報道によれば政局が大きく変わろうとしている。
さて私は、対人不安ではないが、人間関係にはとことん苦しんだ。
理解されにくいのである。
あらためて、神経質者は少数派であると思う。
事実変わった人と言われたことがある。
今は天然ボケと言われる。
ほっといてくれ!
その時は変わった人であるが、数年後には私が言っていた通りになっていたことが多かった。
見ている視点が違うのである。
常に最悪の事態を考えて、リスク管理を怠らない。
ビクビクハラハラしながら、数多くのクレームに対応してきた私である。
最近サラリーマン生活の終盤で今更感があるが、あることに気が付いた。
それは「人は努力すれば必ず理解しあえる」というのは、幻想ではないか?
お互いに話せば理解できるはずだ、完全に相手に自分を理解してもらえるはずだという、根拠のない試みの大半は失敗した。
しかし理解はできないが違いを認めたり、評価することはできた。
さて私が若い頃愛読していた作家は、邦人では宮本輝氏である。
芥川賞の対象になった蛍川や錦繍、人間の不条理を見事に描いた幻の光など大好きであった。
その宮本輝氏の随筆に「命の器」という作品がある。
※以下命の器より一部抜粋させていただく。
(ひとは)抵抗しても、抵抗しても自分という人間の核をなすものを共有している人間としか結びついてゆかない。
私は最近やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中の一つに気が付いた。
「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。
でなければ、どうして「出会い」が一人の人間の転機となり得よう。
どんな人と出会うかはその人の「命の器」次第なのだ。
集談会の仲間の皆さんとの出会いも偶然とは思えない一世です。
ちなみに宮本輝氏もまた20代半ば頃から「不安神経症」、現在のパニック障害に苦しみぬいてサラリーマン生活を断念し作家の道を選んだという経歴を持つ人である。
2021・9・4 一世
※参考文献 宮本輝著 「命の器」 講談社