名古屋の六ちゃんです。
福岡のなおちゃんに触発されて私も投稿しています。
私が神経症と鬱で日常生活が八方ふさがりになり、出口が見えずとても苦しかった時代になんでもいいから自分の為になにかがやりたい!そう思って始めた事。
それが「400人で歌う市民の第九」でした。
歌をちゃんと習ったこともない。
ただ歌うことが好きなだけ。
しかも上がり症、対人恐怖、うつの真っただ中。
ボロボロになりながらだったけど、鬱が重く休んだ日もあったけど、八方ふさがりの日常と完全に切り離された週に一回の第九の練習時間。
半年の練習の間、結局誰とも仲良くはなれなかった。
友人や家族と連れ立ってきている人もいたが、私はいつも端っこの適当なところに座って知り合いを作らないようにしていた。
たまに同じ人と隣り合うこともあったが、個人的な事は何も聞かなかった。
一緒に練習して、終わったら「おつかれさま、さようなら。」そんな関係がその時の私には精一杯だった。
本番一日のためだけの半年間の練習。
何百人もの人で作り上げるたった一つの音楽。
ある意味とても純粋な芸術活動だった。
そして本番当日舞台の上。
オーケストラの音を聞きながら、指揮をよく見ながら、とにかく間違わないように歌った。
教えてもらったことを必死に思い出し、一生懸命歌った。
400人の歌とオーケストラとで舞台の空気が震えていた。
それが体の芯にまで響いた。
「歓喜の歌」を歌い終えた時、舞台の上で拍手喝さいを聞きながら眩しいライトの中で、私はヴェートーベンと一緒に芸術の泉のほとりに立っているような気がした。
うつと神経症に振り回された時代の、一筋の光の時間だった。
私は毎年応募し、3年続けた。
その頃、娘は児童合唱団に入った。
その活動を見ながら私もやっぱり歌を続けたくて、今所属する地域コーラスに入った。
思えば何のしがらみもなく本当に歌を歌うためだけに通えたのは「第九」だけだった。
その後の娘の合唱団の父母会の役回りも対人恐怖でしんどい事が多かったし、今の地域コーラスも対人や上がり症で私には試練だと思うことも多い。
やめた方が楽かもと思う日もありながら、それでも続けてこられたのは歌がいつもその真ん中にあったから。
やっぱり歌が好きだった。
第九を退いてからは、日本の唱歌、古くから歌い継がれている歌、生活の歌、愛の歌、歌謡曲、様々な曲を歌ってきた。
そして歌には必ず作者の思いが乗っており、その背景や意味を知るのも面白い。
歌いながら、自分の記憶や体験と重なったりして自分の思いも乗っかっていく。
メロディーにのればそれは世界へと広がり、みんなで歌えば奥行きが生まれ・・・
どんな辛い日も、練習に行けば歌に力づけられた。
休もうか迷って迷って参加した日も、お腹から声をだして体中の空気が入れ替わったら、帰る頃は体がホカホカしていた。
行ってよかった!と必ず思った。
それは先生の指導力のおかげもあり、仲間の力もあるけれど、しんどい日こそ歌の歌詞が心に沁み、メロディーに励まされていた。
ずっと歌に励まされ、支えられてきた。
これからも歌とともに生きていきたいと思う。
2021・9・29 名古屋の六ちゃんより
大阪水曜ほっと集談会一世です。
名古屋の六ちゃんが女神に見えている私です。
ここのところ心身の不調で投稿が出来なかった私をなおちゃんと六ちゃんがサポートしてくださいました。
感謝の言葉以外見つかりません。
高校生のある時期、読書恐怖・雑念恐怖という強迫観念により不登校の日々がありました。
そのような苦しい時期に私も音楽(合唱)で救われたひとりです。
言葉にできない苦しみを経験された六ちゃんが奏でる音楽は、きっと多くの仲間の心に響くはずです。
これからも私たちの集談会に、すばらしい心のハーモニーを届けてください。
ありがとうございました。