大阪水曜ほっと集談会一世です。
元々病気ではないという認識が森田療法の基本とされています。
しかし一時的にせよ、今にも死ぬのではないかという不安や激しい気分の落ち込みや身体に表れる痛みを病的と感じるのも事実ですね。
ここではわかりやすくするために、とらわれから抜け出る前と後の状態を治る、治らないと表現していると理解してください。
過去の自分を今振り返るとなぜあんな風に思っていたのかわからないことがあります。
この症状がなければ、勉強に集中して希望の大学に楽々と合格できる。
この症状がなければ対人関係がうまくいき職場で評価される。
この症状がなければ家族関係がうまくいく、とそのように感じていたのです。
はたして原因は症状のせいでしょうか?
むしろ逆なのです。
私の場合受験勉強をしたくないから、苦手な上司や同僚との人間関係と向き合いたくないから症状を作り出していたと言えるかもしれません。
さらにそれが高じて、このままの自分ではダメだ、自分を変えたい、変えなければならないと飛躍し寝ても覚めても、呪文のように唱えていた時期もあります。
自分の本心を欺くための訓練を日々課していたような感じでしょうか?
しかし受験勉強は苦しい、人間関係は複雑で特に利害が絡むと難しいのが当たり前なのです。
そうでなければ、受験に関する書籍や動画があふれたり、毎日仕事帰りに居酒屋に立ち寄る人など無いでしょう!
森田博士はそのあたりの心の状態を的確に、わかりやすく表現されています。
※今日の森田博士の言葉
神経質の症状の治ると治らないとの境は、
苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、
10年でも20年でもけっして治らぬが、
苦痛はこれをどうすることもできぬ、
しかたがないと知り分け、往生したときはその日から治るのである 。
すなわち「逃げようとするか」「踏みとどまる」かが 、
治ると治らぬとの境である。
2024/07/29 一世