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大阪水曜ほっと集談会のヒネクレ一世です。
先日道路がいきなり陥没して偶然走っていたトラックが埋没するという痛ましい事故が起こりました。
生きていると予想もしないことが起こることがあります。
肉親の死はその最たるモノでしょう!
私はお悔やみに行っても余計なことは言いません。
それは、森田博士の言葉と私の実体験から得た教訓です。
ではどうするか?
何も言わないで深々と頭を下げるだけです。
同じ宗旨の方で許可が得られれば、
短いお経を唱えることもありますが稀です。
まずは私の経験したことをお話しします。
何度も投稿していますが、私にはたった一人の弟がいました。
過去形なのは、今彼はこの世の中にいないからです。
彼の葬儀の際に、ある方がこう私に言いました。
早く忘れて、生活に目を向けよ!
ありがたいと思いつつ、正直余計なことだと不快でした。
さて、今日は弟の事を語ることが目的ではありません。
心の問題を打ち明けてくださる人々に対する姿勢も同じではないかと思うのです。
パニックで苦しい!
抑鬱で希望が持てない!
広場恐怖で人と話せない!
それに対して、してはいけないことがあるのです。
それは安易に気安めなことを言わないことです。
更に、間違っても森田療法では、〇〇ですなどといきなり言わないでください。
ここの部分がわからない人は、何十年森田を学んでも理論だけで終わることでしょう。
まず最初に人間的な共感から入るべきではないでしょうか?
理屈や理論ですべてが解決するのならば、なぜ殺人事件やとりかえしのつかない事故や自然災害が起こるのでしょうか?
スーパーボランティアと呼ばれた尾畠春夫さんは、常に災害に対して、次は我が身と考えるようにしていると言われていました。
今森田療法で立ち直って元気になられたあなたに言いたいのです。
この先またパニックや抑うつや広場恐怖にならないという保証は誰にもありません。
常に、私たちはそのリスクを感じながら生きるのが健全なあり方ではないのでしょうか!
※今日の森田博士の言葉(自覚と悟りへの道 P220より抜粋)
死んだ人の家にお悔やみに行って、
よく死んだ人はどうせ帰らないのだからあきらめるよりほかにしかたがないとかいって、
遺族を慰めようとする人があります。
大きなお世話です。
そんなことを知らない人がありましょうか。
もはや帰らぬものと知りながらもあきめきれないのが肉親の者のいつわりのない気持ちであります。
略
それは人間の感情そのものであります。
私はその感情をそのままであってあきめようなどというはからいは少しもないのであります。
そんなふうでありますから直情のままに、小児のように慟哭もするのです。
2025.2.16 一世
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