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大阪水曜ほっと集談会、不肖のバカ息子の一世です。
私たちの自助グループの元顧問であられた河野基樹医師のことは何度も、何度もこのブログに書かせていただきました。
10代そして40代の人生の危機的状況で先生には救っていただきました。
私たちの自助グループ活動は、自己紹介と近況報告から、スタートします。
10代の頃の私のつたない自己紹介の良い点を必ず取り上げて、
いつもほめてくださったことを想い出します。
それは私にとって社会という荒波に漕ぎ出すための生きる力となったのは確かです。
先生と私は親子程の年齢差に加え、当時地元の大病院の副院長という要職でした。
普通であれば対等にお話が出来る方ではありません。
自助グループでの出会いがそれを可能にしたのです。
先生とは縦の関係ではなく演劇を見に行ったり時には飲みに行っていました。
同じ神経質症状に苦しみ森田療法を学ぶ、一人の人間として関わっていただきました。
私が40代の頃、既に先生は他界されていました。
幸運なことに、生前の先生の講話を集めた、
「生きるとはどういうことか考えてみましょう」
という生活の発見会1997年号外の小冊子を読み返したことでこの自助グループに復帰したのです。
当時の理事長大谷鈴代氏は前書きでこう書かれています。
講演集を通じて、河野先生の人間性に触れ、
先生が森田理論の学習と実践・普及活動に注いだ情熱が今後も多くの人に伝わり、
人生の指針になることを願ってやみません。
当時私たちの自助グループにとって大切な方であったことは、
私ごときが申し上げるには及びません。
森田療法の学びのおかげで自分を自分で承認し、
自分を受け入れることが出来た私は、
職場でも自助グループでも特にほめられたいとは思いません。
しかしながらもう一度だけ河野基樹先生には、ほめられたかったと願う一世です。
※今日の森田の言葉(河野基樹医師の講演集より)
神経質であるという事実、あるいはそういう性格を認めるわけです。
性格を変えるのではありません。
私のがんを治して自己実現するのではありません。
神経質の性格、あるいはいろいろなとらわれ、
そういったものを持ったままで生活して行く。
そこから自己実現ということへ、発展していくのだろうと思います。
自分の置かれている事実を認めよということです。
それが「自然に服従せよ」という森田先生の理論です。
理屈ではありません。
ともすれば、われわれは理屈に走りがちですが、
理屈ではなくて自然を見つめよ、事実を認めよ、
そしてそれに従えということであろうかと思います。
晩年がんを発病されてから河野先生は、
寝たきりになって体を使ってお手伝いできなくても、
人様の悩みや愚痴を聴いてあげる聞き手にはなれるような気がする、
と言われていたそうです。
2025.2.27 一世