
大阪水曜ほっと集談会、
最近見えない力が働いていると感じる一世です。
恩送りという言葉がある。
恩返しと似ているが違うのである。
恩を返したい相手がこの世の中に存在しないこともある。
どうすればよいのか?
作家井上ひさし氏は、恩送りの意味についてこのように言われていたそうである。
誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。
そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。
そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくこと。
母方の初孫だった私はずいぶん祖母には可愛がってもらった。
そのことへの感謝が今頃になって湧いてくる。
今私があの時の祖母の気持ちになって孫と接している時がある。
それは見返りを求めない本当の愛情だと思っていたが、、、、、、
先日の7歳になった孫との会話である。
一世:〇〇君、これジイジが、おこずかいであげる。
将来〇〇君が、お金持ちになったら、ジイジに返してな!
孫:ジイジ、やっぱりお金返すわ!
一世:え~まじかよ!
心を見透かされた私は、唖然として言葉が出なかったのです。
私の恩送りなど所詮この程度である。
さて私たちの自助グループでは大きく二通りに参加者が分かれる。
症状から立ち直っても会に参加し続けて、何か役割を果たそうとする人と、
自分はもう治ったから会に行っても面白くないとやめてしまう人である。
正直若い頃の私は後者であったので、道徳的にどちらが良いとは言えない。
ただ最近残念に思うのは神経質者の自覚は今本当に苦しんでいる人に寄り添うことによって、一層深まるという事実である。
ここに私たちが神経質症状で悩んだことの本当の意味が隠されているような気がする。
森田療法の本当の果実はここにあるのである。
※今日の森田博士の言葉
この会へ出席しても、たとえば不眠なり赤面恐怖なり、自分自身の症状に関係のないものは、
他の神経質の症状に対して興味を起こすに至らず、
面白くないといって、出席しないようになるということが多いようである。
やはりお互いには、多少の犠牲心というものがあって、
単なる目先の自分の利益ばかりでなく他の多くの同病者のために、
努めてこの会にも出席して、一般のためにもはからなければなりません。
われわれが修養を積むには、単に自分のことのみでなく、
広く一般に神経質の心理を知るということが大切であります。
2025.3.13 一世
