
大阪水曜ほっと集談会少し怒り心頭の一世です。
昨日職場にもって行ったホワイトデーのチョコを気がついたらおじさんが食べていた。
なんでやねん?
このような空気が読めない人がどこにでもいる。
自分はそうなりたくないと思いながらも、自分に正直であるところだけはうらやしい。
様々なとらわれに苦しんでいる一部の方の中には、かつての私のように、
自分で作り出した正義や道徳にからめとられて、自縄自縛になっている人がいる。
かくあるべし思考が、人としての自然な感情を、とことん押さえつけるのであるから苦しいのは当然である。
時々私たちの自助グループ活動のことをボランティアと言われる人がいる。
なかなか世間では理解されにくいこの活動をわかりやすく表現し、
家族や職場に対してカモフラージュされたものと受け取っているが、違和感が拭えない。
ハッキリ言って、私はボランティアという表現が嫌いである。
正直本当のボランティアに失礼だし、胡散臭いのである。
もっとシンプルにこの自助グループ活動が単純に楽しいから、
私は参加していると言えないのだろうか?
それは今から三年前のことである。
当時コロナ禍であるにもかかわらず、相当の覚悟をもって年末の食料配布の完全ボランティアに参加したことがある。
大規模開催で、2千人もの人々が訪れると聞くとコロナ感染のリスクも高かった。
交通費から、食事代まですべて自己負担は当然である。
それどころかいきなり、我先に支援物資を受け取ろうとする一部のマナーのない人に突き飛ばされた。
NPOの指導員の方にこのようなことは、稀にありますと言われた。
このような突発的なリスクのために、保険が掛けられているとも聞いた。
これも現実である。
対象は非正規雇用になってから私とほとんど年収の変わらない人々である。
自然災害と同様で明日は我が身と感じ入った次第です。
※今日の森田博士の言葉
つまりいままでのように、
自分がムリに善人になろうとすることをやめ、
自分はただこれだけの人間である、悪く思われてもしかたがない、
という心境になれば自然に心も安楽になり、
態度ものびのびしてきて、こだわりがなく、
日常生活が自由自在になり、したがって神経質の症状もなくなるのであります。
2025.3.15 一世