大阪水曜ほっと集談会一世です。
今日は朝から体調が悪く、何もする気が起こらず一日を何となく過ごしてしまった。
以前はそのような日が嫌いであった。
それでも髪をカットしたり、かかりつけ医に血圧の薬をもらったり銀行や買い物にも行った。
おまけに新生姜の甘辛煮もつくった。
充分ではないか!
日々是好日という禅語がある。
落ち込んでいる日も好日と言えるほど悟ってはいないが、
何もしない生産的でない一日も一日だと思えるようになった。
これも長年森田療法を学んだことによるご褒美かもしれない。
価値判断をしなくなったのである。
生産的だの効率的だの人間の考えることはいつも小賢しい。
いつも目標をぶら下げられて気がつけば還暦である。
いつも何かに追い立てられて、見過ごした風景も多かったに違いない。
時折自助グループ内で症状には、意味がある、不安の背景には欲求があるなどと言われることがある。
果たして症状の本質は、そこにあるのだろうか?
症状もそこまでハードルを上げられては、気の毒である。
落ち込むときは落ち込むしかない、気になることは気になる。
意味があるか無いかは知らないが、
そんな日があってもよいではないか!
時には立ち止まって深呼吸しながら飲む缶珈琲に幸せを感じるだけでもよいのではないか!
以上は還暦を過ぎた親父の独り言である。
そんな私の思いとは裏腹に夕焼けがとても美しかった。
2024/06/26 一世