大阪水曜ほっと集談会一世です。
詩人の谷川俊太郎氏が亡くなった。
かつて若い頃二十億光年の孤独という言葉に離人症のような感覚を重ねてしまった私です。
氏の作品をわけがわからないといわれるあなたは、大人の眼でとらえているからです。
若い頃の私が、天才と感じた詩人は、学校という枠に収まりきらない為の不登校を経験されている。
私も一時期ではあるが不登校の経験があり、氏の自由な発想には、心惹かれるものがあった。
残念ながら天才ではない私は、サラリーマンに転じ、細々とブログを綴っています。
初老期を迎え今朝の新聞に掲載された氏の言葉に深く共感しましたのでご紹介致します。
以下毎日新聞本日の朝刊より
※老齢は私から肉体の自由な動きを奪いつつありますが、精神はその制限ゆえにかえって軽々と動けるようになっているのが不思議です。
※人の年齢を私は樹木の年輪の喩えで語るようにしているのですが、老齢にはその年輪の中心に向かう動きもあるようです。
※意味のある言葉とともに、 喃語ような脳とともに身体から生じる言葉、意味よりも存在そのものに触れる言葉を今の私は夢見ています。
私も還暦以降、身体の不自由を感じることが増えました。
しかしながら、森田療法の学びもあり心の自由を得ている気がします。
谷川俊太郎氏の言われる年輪の中心とは、何者でも無かった素の自分、原点ではないかと思われます。
最近私も、17才の頃の若い肉体ではなく、私の心そのものに戻りたいと思うのです。
小さな子供の会話にいつも心が癒され、子供は何もしなくても存在そのものが愛おしいと思うのです。
大人が忘れてしまった、意味よりも存在、それは私が今最も大切にしていることなのです。
言葉の魔術師は、いつまでも心の自由にこだわり自分の原点を忘れようとされなかったようですね。
2024.11.20一世