大阪水曜ほっと集談会一世です。
最近自己肯定感を高めるという言葉を頻繁に耳にします。
そのたびに少し違和感を感じています。
そもそも自己肯定感って努力したら得られるものなのでしょうか。
私も以前はそう思っていましたが、
今は少し違います。
むしろ努力すればするほど自分の足らないところが見えてくるのが普通ではないでしょうか?
自己肯定感を高めるために行動をしなければならないとか、
社会や他人に貢献しなければいけない、
となると、どうも私のような怠け者にはついていけないのです。
人は何かしら有益なことをしなければ他者に貢献できないのでしょうか。
あまのじゃくの私にはどうもそうは思えないのです。
本来メロンやスイカの持っている自然な甘みに人工的に加糖するようなイメージが付きまとうのです。
私にはどうしても自己肯定感の背後に潜んでいる、
行動しなければ意味がない、結果を出さなければ、意味がないという、かくあるべしが見え隠れするような気がするのです。
最近読んだ書籍の中で、哲学者でありカウンセラーである岸見一郎氏がとても興味深いこと書かれていました。
※以下
次に貢献を行動だけに限定する必要はないということです。
行動によってしか社会に貢献できないとすれば、
乳幼児や寝たきりの高齢者は他者に貢献できないことになってしまいます。
そうではなく誰もが存在レベルで貢献できるのです。
何かをしなくても自分の存在自体が他者に貢献していると感じられる時、
自分に価値があると感じられます。
私はこの存在レベルということに最近とても関心があります。
いづれにしても自己肯定感を高めるための努力には、悲愴感が漂う気がします。
ちなみに森田療法の考え方に照らすと、そもそも自分に対しては、肯定も否定もない、自信や勇気づけなど一切いらないということになります。
2024/08/01 一世
※岸見一郎氏
~変われない、変わりたくない?~
※アドラー人生の意味の心理学(NHK出版)より抜粋