浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「講演集」より。

2014-11-28 00:30:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


          全財産上げても神は喜ばれない


ある方はT教を信仰されて亡くなりました。
ものすごく素朴な信仰をされましてね。
現在は違うそうですが、昔は「家も屋敷も上げてしまえ」と言って、
みな上げてしまえという時代があったようです。
その頃、その人は家も屋敷も田も畑もみな上げてしまったのです。
その息子さんが、お父さんの亡くなった後、法にご縁があって、
自分の意識を開いてあの世を見てこられるようになられたのです。
その息子さんはT教団の子として分教会の中で貧しい貧しい生活をして成長されました。

その息子さんが、「お父さんはあんなに熱心な信者であったから、
さぞいいところにいっているだろうなあ」と思って、
光の世界をずうっと探し求めてこられたそうです。
ところが、上のほうにはどこにもおられないのです。
「まあ、あんなに物を上げても高い所には行かれないのだなあ」と思って、
天上界の低い段階を次々探していってもそこにもおられません。
「おかしいなあ、どこかにおられるはずだ」と思って、
今度は幽界からもっと下の世界、薄暗い世界へと探していきますと、
地獄の薄暗い所で、
向こうからお父さんが荷車を引いて廃材を荷車いっぱいに積んでやってきました。
明治時代の人ですから荷車を引いているのです。

お父さんは自分の息子さんが、自分よりも歳がいっているので、
もう分からないのですね。
「死んだ後でお父さん、何をしているのですか。そんな所で」と声をかけると、
「あんたは、誰かいな」と、逆にお父さんがたずねます。
「僕や、○○だ」と言うと、「ああ、そうかいな。わしはな、
家も畠も田圃もみな上げてしもうて、子供を育てるのに本当に申し訳ないことをした。
こんなことだったら、子供はちゃんと自分の家で育てて大きくすべきだった。
家がないということはこんなに辛いことだ。
何とか自分の家を建てようと思って、今こうして一生懸命働いているのだ」と、
このお父さんは地獄で材木を運んで家を建てようと思っているのです。


          ~ 感謝・合掌 ~




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