浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「講演集」より。

2014-12-08 01:22:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


       東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

しかし、これは私が治させていただいたのではないのです。
ただ「治りなさい」と言えば、治っただけのことで、私の知らないことです。
「ほんとですか」って聞いたのですが、これは神様が治して下さったのですね。
人間の私にそういうことができるはずはありません。
「どうぞこの方をお救い下さい。この方に神の光をお与え下さい」と祈って、
「足よ、しっかりしなさい」と言うと、治ったのです。
「神が病を癒し給い、医者がその手柄を横取りする」という言葉があります。
名医が病気を治したとします。
しかし本当は神様が治されたのです。
それをお医者さんは「わしが治してやった」と錯覚するのです。
神様の御業を医者が横取りする。

そういうお医者さんは、
やがて又「自分が」という「我」の中に相手の業を受けていかれますので、
お医者さん自身、身体の悪い方が非常に多いのです。
癌専門の医者が癌になったり、精神科の有名な先生が精神病になったりすることがよく起きます。
それは「儂が、儂が」という中に、相手の業を受けてしまうのですね。
これは私たちの日々の生活において大切なことだと思いますね。
「私がしてあげた」「私が助けてやった」という我の中に間違いなく相手の業を受けます。
「無我」つまり己を滅したその心掛けの中には業を受ける心配はありません。
東京では五時に帰らせていただきましたが、そのギリギリまで皆さんに取り囲まれました。
身体の悪い方に神の光を頂いておりますと、皆さんが治った治ったと喜んで下さるのですね。
「奇跡の連続でした」と言って、喜んでいただきました。
その晩にC先生が夜の講演をされました。

帰宅した翌日にそのテープを届けて下さったのですが、それを聞かせていただきますと、
次のようなお話をなさっていました。
「長尾先生はほんものです。私は先生の弟子になります。ほんとうの弟子にしてもらいます。
私は先生が大好きです。先生を愛します。先生を信じます」
そいうご講演をなさっていたのです。
とんでもない、私のような者が皆さんの前でC先生からそのように言っていただくなんて、
これはえらいことが起きたなと思ったのです。
私という人間をそんなに過大評価していただいて、もちろん私たちの心の友も皆さんもそうですが、
中にはまるで聖人君子のように思っていただいている
お方もありました。
或いは神だ仏だと言って下さる方もあります。
これはとんでもない間違いです。
自分を振り返りまして、これはえらいことを言っていただいと思いました。
これでは、私はそういう偉い先生方を裏切ることになります。


             ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする