恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白
先の続き・・・
法の実践の功徳です。
一回来て癒しを受け、又二回治療に来て下さっても一切差別はしません。
実際には私は知らないから治療をしていたのですが、
或る先生はおっしゃって下さいました。
「長尾先生は一切の差別をなさいません。
わが身を捨てて人の為、人を生かそうとして下さいます。この姿こそ神の御姿です。
神の愛を示していただきました。
差別なく、どんな人にでも優しく接して下さいます。
私たちも日々の生活の中で先生の実践を学んでいきましょう」と、
このような講演をされていました。
東京でお会いして、一時からのお話会で、五時にはそこを出たのですから、
四時間そこそこの間、或る先生は弟子になりますと言って下さいましたが、
私には弟子は一人もおりません。
共に学ぶ心の友は何万人とおられますが、私には弟子を持つ資格はございません。
では、何の価値もない私に僅か数時間会っただけでなぜ「弟子になります」と
おっしゃるのか、ということです。
それは、私の行い、自分の身を捨てたその行いに頭を下げてくださるのだと思います。
普通は己の自己保存と自我の為に、なかなかそういうことは言えないものです。
正しいものを正しと認めるすばらしい勇気と、そのお方の魂の高さとが証明されています。
この間頂きました写真の中に、後から見ていただいたらいいのですが、
あまり人数が多いので、何重にも囲んでいただいて皆さんが合掌して下さったのがあります。
まさに浄土です。
お互いに相手の為に祈り合う、これが神の御心です。
そういう己を捨てた行為の中に、或る人は神の愛を見たとか、光の天使様を拝んだとか、
高橋信次先生にお会いしたとか、言って下さるのですね。
何の取り柄もない無学の私ですが、その行いの中に徳を頂けます。
愛の実践、自らを捨てて他を生かそうとするその行為こそ神の御心です。
それを行った時、神の御子として生きられます。
もちろん、自分を正さなくてはいけません。
過ちの中でそういうことを繰返しても、功徳はすくないのです。
一点の曇りもなく、人の為に命を捨ててでも相手を救いたい、
幸せになってほしいという行為を行った時、私だけではなく、
私たちすべては神の御子として
生まれ変わります。
もちろん、力も与えられます。
神は行なう者には必ず平等に神の力を与えて下さいます。
~ 感謝・合掌 ~