浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「講演集」より。

2014-12-22 02:35:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


     東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

どこへ、どこまで逃げたとしても、自分の心から逃れることはできません。
それから逃れるには、自ら悔い改める以外にありません。
悔い改めたら、二度と繰り返さない努力をすることです。
毎日の生活の中に再び過ちを繰り返さない実践、行いが、正法を学ぶ者の修行です。
もし滝に打たれて自分の犯した業が流れ去るのでしたら、自分のいいもの、
折角の長所も、流れて消えるはずです。
悪も消える代わりに善も消えてしまいます。
そんなものはなんの役にも立ちません。
護摩も同じことです。

護摩を焚くと因縁が消滅するといいますが、因縁は自分自身がつくったものです。
自分が日々の行いの中に誤まった想念を持ち、神の御心から離れた行いをした
場合、それが自分の業、因縁となって残っていくのです。
護摩を焚いて消えるはずはありません。
自分が作ったものによって苦しんでいるのです。
その苦しみを人に拝んでもらったり、滝に打たれて身を清めたり、
或いは護摩を焚くなどしても自分が作った原因を人が消してくれるはずは絶対にありません。
どんなことをしても消えることはありません。

では、それを消すのは何かというと、反省、悔い改め、懺悔です。
その悪を再び繰り返さない中に魂の進化が行われます。
自らを顧みて一点の曇りのない生活ができるようになれば、
その時にほんとうの神の御子として、神に「お父さん」と、呼べるようになっていきます。
その時、皆さんは神の御使いです。
難しいことは何一つ要りません。
日々の生活の中で思いやり、助け合い、そして自らを誇らないことです。
「花は自らの美しさを自ら知らず、ゆえにうるわしい」です。

どんなに美しい花でも、
自分から「私、綺麗でしょう」と何回も自慢したら見るのも嫌になります。
花は自分の美しさを知らないのですね。
だから麗しいのです。
私たちも自分がちょっといいことをしたとか、ちょっと何かしたとかいって、
鼻にかけたり自惚れたり、そういう自慢をしたら醜いです。
善き行いは隠れて積みたいものです。
隠れた行いの中に陰徳が積まれていきます。
隠れた徳です。
それは大きな魂の財産として残っていきます。


                ~ 感謝・合掌 ~



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