浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-12-28 00:48:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


     東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には


先の続き・・・

神を遠くに求めても、姿を見ることはできないものです。
どこにおられるか分からない神様を教会に行って讃美しなさいとか、
或いは祈りなさいとか、見えない神に懺悔しなさいとか言いますけれど、
この一人一人見える皆様こそ神の御子です。
また自然界のすべては神の御姿です。
神を賛美するのだったら、人々を讃美して良きところを褒め称えることです。
しかも自分の隣人の良きところを褒め称えることです。
「あの人はこんな素晴らしいところを持っておられます」と言って、
褒めて下さい。

ところが、私たちは人の素晴らしい面を見落として汚い面を見ようとします。
見落とすのではなく、人の素晴らしいところを貶しにかかる人が多いのです。
立派な行いをされる方がありますと、
「いや、あんなのはだめだ、だめだ」と言って、
その方の素晴らしいところを消しているのです。
神社仏閣にお参りして、「神よ、神よ、どうぞ福をお与え下さい」と言って祈っても、
神様が福を下さるはずがありません。
自分は神を冒瀆しているのですから。
家の中で喧嘩し合いましたら、これも又神への冒瀆です。
或いは人と喧嘩し、人と争い事をしても神を冒瀆しています。
又、人の陰口を言ったり悪く言ったりするのも、
それは人さまのことと思うから言えるのです。

陰口を言ってごらんなさい、即、自分に返ってきます。
中には、こんなことを言えば喧嘩になるだろうなあと楽しんで、
告げ口する人があります。
自分が言いながら、相手の方がうっかり相槌を打つと、
「あの人はこの間このように言っていましたよ」と、言いふらす人もありますね。
争いを起こさせる心は悪魔の心です。
そして神への冒瀆であり、神へ挑戦をしているのですから、
そんな人は幸せになれるはずはありません。
簡単なことです。
人さまを褒めたらいいのです。
その人の良いところを見付けて褒めればいいのです。
良い所以外は一切見えないようにすれば今度は自分が褒められます。
幸せを求めていない人は、この世に一人もありません。
「いや、私は不幸でいいのです」という人は大分おヘソが曲がっております。


           ~ 感謝・合掌 ~



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