浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「講演集」より。

2014-12-20 00:32:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


       東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


神様は言われます。
「私の心をあなたたちの心としなさい。
私の思いをあなたたちの行いの上に行なさい」と、
神の心は太陽から学ばせてもらえばいいのです。
太陽は差別をなさらない、罰をお当てにならない、
自らを犠牲にして他を生かし給い、一切の報酬をお求めになりません。
太陽の姿の中には一切報酬を求めになることはありません。

私たちの生活の中に神の心を頂くとは、その行為を日々の生活で実践することで、
そのようにしてこそ、神の心を頂いたことになります。
神の心を頂いて自ら行じた時、それは神のいとし子です。
無神論者とか、又或る種の宗教のなかには、先祖様の仏壇、神棚をみな燃やしてしまったり、
そんなものは不要といって小便をかけたりするのもあります。
もちろん、そういう形あるものは真の神とは違いますが、しかしたとえそういうことをしても、
真の神様は一切罰をお当てになりません。
その証拠に、いくらお日様の悪口を言いましても、「それではお前にはもう光は
やらない」とは言われません。

光を消してしまわれたら、忽ちまちに真っ暗になり生物は死んでしまいますが、
そんなことはされません。
また「あなたはよく感謝するから余計に熱を上げましょう」といって、
神様から熱を余計に頂いたら、火傷して死んでしまいますが、そんなこともされません。
よき行いに対しても悪しき行いに対しても、神はただ与え給うのみで、
「よくやってくれた」とも言われず、何もしないからといって、差別をなさいません。
ただ自らに目覚めなさいと言われます。
その目覚めとは「自らを悔い改めなさい」「私の心をあなたが行いなさい」
「いとし子よ、そなたたちは私の思いの中に生きなさい」ということです。
その時あなたたちの心は安らぎます。

罪を犯し、悪を犯した私たちでさえ、「自らに目覚めてわが胸に帰りなさい」と
神は言われます。
不孝な子ほど親は可愛いものですが、神様もそれと同じように思って下さいます。
神様、神様といいますが、私の家にはどこにも神様は祀っておりません。
形なき神ですね。
この神様とは、次のようなお方です。
「私は形あって形なし 形あっては天地自然に現わせし姿これなり
形なくては汝らを生かさんとする力これなり 汝らを形あるものとして
この地上に生じせしめ 形なき汝らの良心の囁きとなって我は証しせん」


            ~ 感謝・合掌 ~




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