恩師のご著書「講演集」より
講演、四
調和された心、安らぎの心は「光」である
先の続き・・・
今からもう七、八年前のことですが、
私は「さつき」が好きで、たくさんのさつきを植えていました。
丹精こめて育てていますと、花もその愛に応えてくれて、
見事な花を咲かせてくれます。
花がいとおしくて、玄関から座敷、庭まで
鉢に咲いた花をいっぱい並べていたのです。
その時、車のセールスの方が、車を勧めにきてくれたのですね。
玄関の花の咲いたさつきの鉢をいっぱい取り入れていたのですけれど、
その花の前で一生懸命車を何とか一台買ってもらわなくてはならないと思って、
その方の心は車を売ることに集中しています。
その方が、姿勢を変えて用紙に必要事項を書いたりしますと、
肘が花に当たりますし、お尻の位置を変えますと、
お尻が枝のところにいったりします。
私はもう花が落ちないかな、枝が折れないないかなと思って、
ハラハラして見ておりましたが、ご本人はそんなことには全く気が付きません。
やっと書類が出来あがりまして、
「判こを下さい」と言って、書類に判を押した時、
初めて、自らの意識に返られたのですね。
「ありゃー、綺麗な花が咲いていますね」とおっしゃたのです。
「あなた、今までこの花が見えなかったのですか」とたずねますと、
「全然見えませんでした」と言われるのです。
すばらしい花の中にあっても、その花さえ見ることができないことがあります。
これは現実にあったことです。
なるほど、心ここにあらざれば、目にしても見ることができません。
~ 感謝・合掌 ~