恩師のご著書「講演集」より
講演集、三
内なる神理、すなわち多宝塔
私たちは日々の生活で、自分の心を安らかにして、
自分の心を苦しめないようにして、
そして悪い事はできるだけしないように努力することです。
失敗はしてもかまいません。
再び繰り返さないようにすることです。
過ちを犯してもかまいません。
すぐに悔い改めることです。
私たちは過ちを犯すように作られているのですから、
「私は悪い人間だ、私は罪人だ」と思って、自分を責めてはいけません。
人は神の子であり、たとえ罪を犯しても、その罪を犯すことによって、
罪を犯した時の苦しさを学ぶようになっているのです。
何をしてもよいけれど、しかし過ちは即、悔い改めていくことです。
そして、少しでもよい行いをすることです。
よい行いとは、人々に喜んでもらうこと、自分の身の周りの方に喜びを与えることです。
これは誰でも実践できる道です。
寒いのに、池の氷を割ってその中で、「摩訶般若・・・」と唱えても、
護摩を焚いて「ハァー、ヤァー」とやっても、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と
何万回唱えても、何にもなりません。
百回の護摩を焚くよりも、ただ一言の正しい神理を聞くことのほうが、
どれほど価値あるかわかりません。
お釈迦様は、「何日間も食べずに厳しい肉体行をすることよりも、ただ一言の
ほんとうの言葉を聞くほうが価値がある」と、おっしゃっています。
ただ一言の正しい神理を聞くほうが尊いし、またありがたいのです。
私が話していることは、すべて神理です。
そして神理は、ほんとうは外から聞くものではなく、自分の内から聞くものです。
こうしてお話させていただきますと、お話は無限に湧き上がってきます。
途絶えることはがありません。
汲んでも尽きないように湧く井戸のようなものです。
これを、「パーニャパーラーミータ」すなわち、「内在された智慧」といいます。
この内なる智慧こそ、ほんとうの神理ですね。
皆さんのお一人お一人の心の内には、神理が詰まっております。
自分の内に、ちゃんと神理が内在され、奥にしまってあるのです。
これを多宝塔とも言います。
仏教でいう多宝塔です。
~ 感謝・合掌 ~