~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~
講演 二
「地球は小さな細胞体なることを知るべし」
先の続き・・・
日本の中でも、昔から差別がありました。
しかし神様の目から見ましたら、
これは神に背く行為だったのですね。
すべては平等です。
自分がさせていただいても、報酬を求めることなく、
ただ、させていただくことです。
いっさいの求める心を持たないで、
たださせていただくのが神の御心です。
ですから私たちも、たださせていただく行為を、
最も身近な隣人に行なわなくてはいけません。
親であり、夫婦であり、子供たちであり、
またご近所の方であり、
職場にあっては上司同僚であり、
こういう方々こそ私たちの隣人であり、
この方達を大切にしなくてはいけません。
「隣人を愛せよ」という言葉の意味を取り違えて、
自分の家は放ったらかしにして、
余所の家を愛しに歩いている人があります。
聖書にそんなことは書いてありません。
隣人と隣家とは違います。
隣人とは自分のすぐ隣にいる人です。
御主人が機嫌が悪いです。
鍵を自分で開けて家に入ると腹が立つから、
そこらのものを投げつけます。
奥さんは伝道だと言って一生懸命余所の家を
歩き回っているとは、とても愚かなことです。
お釈迦様は「盲が盲の手を引いて共に穴に落ちる」と
言われました。
目の見えない者が目の見えない人の手を引いて
歩いた時は、共に穴に落ちる危険性があることを
戒めておられます。
自分の家庭がひっくり返っていて、
主人は気に入らないから怒ってそこらの
ものを投げつけて暴力をふるう、障子は破れ、
ガラスは割れている、
顔を見れば怒鳴り合いをする、これはこの世の地獄です。
自分が地獄に住んでいながら、人を救うとは何事ですか。
まず自分自身が救われなくてはいけません。
そして「私はこんなに幸せでございます。
それはこの教えを自分が実践したから、
このような幸せを頂きました。
あなたもいかがですか、私のように生きてもらったら、
私のように幸せになれますよ」と言って、
お勧めしたら正しい伝道、正しい布教になります。
~ 感謝・合掌 ~