浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「御垂訓」

2018-08-09 08:05:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる



先の続き・・・
悪口のような醜いことを言えばその逆になるのは当然です。
ですから、考え方によっては、
神様を信じるというのは特別な事でも、
特殊な事でもなんでもないのです。

特定の場所へ行かなければ出来ないようなことでもありません。
普通の日常生活の中にあるのです。
どれだけ自分の周囲を愛し、信じているか、
それに尽くしているかそれこそが神様を
信じていることです。

神様をスーパーマンのような存在だと思い、
都合の良い時に助けてもらえるんだと
決めている人に限って信仰について語ることが多いようです。
これは通用しません。

泥棒に入られてもあの泥棒に罰を当てないで下さいと
思うほどの心を持つことです。
この時、何より自分自身が苦しみから救われます。
苦しみは自分の心の中から生まれるものです。



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「御垂訓」

2018-08-09 00:25:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 二
 
 「地球は小さな細胞体なることを知るべし」
先の続き・・・
今日は北海道からお見えになっていますが、
二日前の金曜日から来ておられます。
この方はある信仰を持っておられて、
「その信仰は正しくありません」と、
説明させていただいたのです。

最初は、ほんとうにショックを受けておられたそうです。
その信仰で何かを見ていただこうと思うと、
二十万円のお金が要るのですね。
しかも予約の人がいっぱいで、
何年か先でないと見てもらえないというのです。
それだけ苦しい方がこの世の中には多いということです。
藁にもすがりたい、何とか助かりたいと思うのですね。
見て下さる方というのは、
あたかも自分が光の天使であるかのように、
たくさんの本も出しておられます。

しかし、欲望が雲であれば、神理から見ますと、
一人ひとりから二十万円も巻き上げて、
いったい何に使うというのですか。
或るいは大神殿を建てるためといっても、
その大神殿はまた金を巻き上げる人の寄る場所で、
ただ欲望以外の何ものでもありません。
この欲望は自らの心から出ている、
また行いから出ている雲であり、スモッグです。
今日のお天気のように雲の上ではお日様は燦々と
輝いておられますが、雲やスモッグによって
お日様の光を拝むことはできないのです。

どれほどいいことを言いましても、
どれほどたくさんの立派な本を出しましても、
行いが欲望の雲を出しておりましたら、
神の光は届きません。
届くはずがないのですね。
その欲望を捨てた時、
「そんなに苦しい病気なら、お金はいいですよ。
困っておられるのならば無償でよろしい。
神様は私たちを無償で生きさせて下さるのだから、
お金など持ってくる必要はありません」と、
言えるはずです。
私はそのようにさせていただいております。
「あの方は生活が少し苦しいのです」と、
前もって電話を頂きましたら、
「ああ結構です」と言って来ていただいています。
人は恵まれない時があって当たり前です。

その恵まれない時の助け合いをしてこそ、
神の子としての兄弟同士、
どなたこなたの関係はありません。
「別にお金を持ってきていただく必要はありません。
ただ治っていただいたそれでいいのです」と、
そのようにお話して治療にきていただいております。
それにひき比べ何十万円というお金を取って、
聞くところによりますと、それでも治らないそうです。
「治らないから、お金を返せ」と言われた時に困るので、
前もって「いっさい苦情は言わない、
お金の返却を要求しない」という
趣旨のものに印鑑を押すようになっているそうです。
こういう信仰もあるのです。
ほんとうの神様の信仰とは遠く離れていると、
私は思います。
私はそのようなことはいたしません。

         
    ~ 感謝・合掌 ~


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