恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆不浄なる肉の身があってこそ悟らせてもらえる◆
先の続き・・・
幸せの中で感謝するのはまだ簡単です。
苦しんでいる時は神様もいっしょにその苦しみを
引き受けてくださっているのですから、
もし私たちがこれを克服して感謝と喜びに変えられたなら、
神様はより一層喜んでくださることでしょう。
私たちが苦しみの中で自らの心を汚さず、痛めず、曇らせずに、
神様の光輝をそのまま光輝かせ、他の人々を
勇気づけていくことがきるならば、
それが神様に対する最大の恩返しになるのではないでしょうか。
蓮の花は泥の中から養分を吸い上げ、花を咲かせます。
その花にたまった水玉は泥をはじいて汚れを寄せ付けません。
肉体界での修行は厳しいけれど、過ごし方さえ間違わなければ、
魂の進化の速度も速いということです。
天上界ではだいたい魂が同じような者どうしで生活するために、
周囲を見渡しても自分と同じ人ばかりですから、
他人を見て自分を正すことができません。
しかし、この世では神に近い方から悪魔に近い方まで
様々な段階の方がいらっしゃいます。
対立もあるし、トラブルもあります。
だから、自分にとって不都合な相手にどうやって対処するか、
感情や本能のままにマイナスの想念を出すのではなく、
思いをコントロールしてプラスの思いに転じていく練習ができます。
これが修業です。
その条件として、肉体と五感があって、嫌な相手と会わされたり、
愛する相手と別れたりする経験があったほうがいいのです。
また、人はみな生きている限り、様々な過ちを犯します。
過ちが去ると書いて過去ですが、
その過ちは過去のものとして二度と再び繰り返さないようにすれば、
本当の意味で過去となります。
「人は先に過ちを犯せども、後に過ちを犯さざれば、
その人の世間を照らすこと、
雲を離れて一人輝く満月のごとし」という言葉のように、
過ぎ去ったことにとらわれるより、先に希望を持つことです。