恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆惚れてしまえばあばたも笑窪◆
先の続き・・・
図3を御覧下さい。
心を輪切りにしてみると、その断面の真ん中に想念があり、
思いによって心は常に変化しています。
或る時は知性的に、また或る時は感情的に、そしてまた、
本能的になってみたり、理性的になってみたりと、
何が主導権を握るかがいつも変わっております。
たとえば、本能と感情が異常に大きくなりますと、
知性と理性がへこんでしまいます。
下がとんがって、上が食い込み、ちょうどハート型になります。
すると、正しい見方ができなくなってしまいます。(図4参照)
この好例はなんでしょう。
恋愛をすると例外なく心はハート型になります。
調和のとれた丸い正常な見方で見ると、
なぜあんなに素晴らしい方が素晴らしくない方とおつきあいしているのかな
という場合がよくあります。
惚れてしまえばあばたも笑窪といいます。
顔中でこぼこになっていても、好きになってしまうと笑窪に見えるのです。
心がいびつになる結果、そのように見えるのですが、
第三者はなんであんな人を好きになったんだろうかと不思議に思うわけです。
本人は知性がきかなくなっているのです。
そして、結婚するまではきれいなおつきあいをしなさいよと親から言われ、
本人もそのつもりでいるのですが、理性のブレーキがきかず、
感情と本能をコントロールしきれなくなって、
女性のお腹が大きくなるような結果まで招いてしまったりもするのです。
昔からよくある話しです。
親の反対を押し切ってまで結婚しても、
しばらくすると心が丸く正常な状態となります。
「なぜこんな人と結婚したんだろう・・・」と、
不思議に思う人がよくあるはずです。
あたかも夢から覚めるかのようです。
しかし、心の調和を失なうということは、
このように物事を正しく見る目を失ってしまうということなのです。