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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「講演集」より。

2014-11-15 01:38:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


     この世への執着や心の重さが成仏を妨げる



私たちは死んだらおしまい、ではありません。
死んだら、素晴らしい世界に帰らなくてはいけません。
その世界は魂のふるさとです。
ふるさとに帰ってはじめて、本当に成仏します。
この世に、この地球上に自分の思いを残しますと、
その思いが執着になり、
その思いの場所に自分がとどまるのです。
だから、いっさいの思いを捨てなくてはいけません。
そしてすべての思いを離すと、
自分のふるさとに向かって旅立つことができます。
しかし、旅立つ時、自分の心に重荷をいっぱい背負っていますと、
重くて走れません。
五十キロ背負う能力のある人に百キロの荷物を背負わせたとしたら、
これはもうえらいことです。

もし百五十キロ載せられたら、ペシャンコに押しつぶされて動けません。
これと同じように、自分で作った心のお荷物によって、
自分自身が荷物に押さえつけられて、
たとえ帰る世界を知ってこの世から執着を離したとしても、
その重さによって動くことができません。
この心の重さを持たない為には、これまで何回も言っておりますが、
腹を立てないように、愚痴を言わないように、人さまを憎まないように恨まないように、
要らない心配をしないように、
嘘は絶対に言わないようにしなくてはいけません。
これらはみなお荷物です。
そのお荷物を少しでも軽くして、もし今迄に溜めた荷物がありましたら、
一つ一つ、時間があれば本当の神様に対して心の底から「お許し下さい。
私はあの時あんな過ちを犯しました。
もう繰り返すことはいたしませんからどうぞ許して下さい」と、
悔い改めた時、それは一つ一つ許されます。


             ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-11-14 02:03:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二


              黄金の光と暗い想念


先の続き・・・

私の一番上の姉が泉大津に嫁いでいるのですが、
そのお仏壇が又黒いのなんの真っ黒けだったのです。
私が二十代の時、そこでお世話になっていまして、そこの仏さんの前を通る時、
「まあ、ここの仏さんはなんと暗いなあ、なぜこんなに黒いのかなあ」と思いました。
阿弥陀さんも横に書いてある南無不可思議光如来も南無無量寿光如来の字も何も分からないほど真っ黒けでした。
この法にご縁をいただきましてから後、一回はおじいちゃんが亡くなられた時。
二回目はおばあちゃんが亡くなられた時、その後三回目に参ってお祈りしました。
今度家を建てまして、その新築の家に、もう何十年も前の真っ黒けだったお仏壇を入れますと、
その新築の家よりも仏壇の方が光っています。
奥のほうから煌々と光っています。

私が二十代ですから、もう三十何年前に真っ黒けだったお仏壇です。
それが今は新品みたいで、新しく建てた家よりもなお光っています。
新しい家に古い家具を入れても調和しないものですね。
それだけが古く目立って、ついもうこのたんすも替えようか、
これも新しいのに替えようかということになって、そうしないと合わないものです。
ましてや真っ黒けの仏壇を入れたら似合うはずがないのですが、家よりも仏壇のほうが光るぐらいになりました。
仏壇の中に不孝にして成仏することのできないご先祖様がおられますと、仏壇はだんだん暗くなります。
家もそうです。
ものすごく陰気くさい家で、その中に入ると暗い感じを受けるお宅というのは、
その家の中に執着している何者かがあるから暗いのです。
墓地全体が暗いのもそうです。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-11-13 00:24:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


           黄金の光と暗い想念


先の続き・・・

地元の方は何回も聞かれた話ですが、今日はわざわざ遠方から来ていただいて、
初めてお見えになっていただいた方たちの為に説明させてもらうお話だと思って、
辛抱して聞いてください。
初めての方は、「ああ、ほんとうにそんなことがあるのかなあ」と理解してもらえると思います。
「たださせていただく行為」の時は、天から光がさぁっと射してきます。
徳島に行きますと、頂上にたくさんアンテナの立っている眉山という山がありますが、
徳島から船に乗って、港を離れて後を振り返りますと、私たちの行った場所、通った場所に、
雲間から数条の光が下りています。
その時運転をしてくれた方が、「先生、あれが眉山、あちらが三本松、あそこは途中で下りてもらったところ、
雲間からさぁっと光が下りています」と言うのです。
見ると、本当に雲間から光が下りています。
その時、突然海面が全部黄金に変わりました。
もうたとえようのない黄金の海になってしまったのです。

船に乗っておられた大勢の皆様も「ウアー、なんと美しい海、こんなきれいな海は見たことがない」
と皆わいわい言っていますけど、私たちは、「ああ、これは神様が私たちの行為に対して、
その祝福の光を与えて下さっているのだ」ということが分かっていますから、
「ああ、有難いなあ」と言い合って帰ってきたのです。
暗い想念、誤まった行為によってこの世を過ごし、そしてこの世を去った時、暗い世界に
私たちがもし執着しておりますと、その光と反対の現象が出て来ます。
よそのお宅に行きました時、真っ暗な感じを受ける家というのがあります。
表に立つと奥が見えないような暗い家、或いはお仏壇を見ましても、
その中が真っ黒のお宅がよくありますね。
仏壇の奥が見えません。

正面の阿弥陀さんなども墨を塗ったように消えてしまって、真っ黒で見えない。
お墓もそうです。
仏壇は本来あんなに暗くはならないものです。
ですから、真っ黒の仏壇でも、ご縁がありまして、
その中におられるご先祖様を天上界へ送りますと、忽ち光ってきます。
これはどこのお宅のお仏壇でも同じように暗いところがみな光ります。
いわば私は、仏壇の洗濯屋さんみたいなものです。
光るのです。
ではなぜ暗いのかと言いますと、仏壇の中に迷える諸霊の方がおられるから真っ黒になっているのです。
線香の煙で曇っているのとは違うのです。
「私が一生懸命拝みましたから、
線香とロウソクの煤で仏壇が真っ黒になっているのです」というのは嘘です。
「では、見ていなさい」と言ってお祈りをして、迷える霊が成仏されますと、パアーツと光ります。
特に仏壇の正面の上の欄間などは彫刻ですから、もう真っ黒になったら磨きようがないのですけれど、
それが光ってきます。


               ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-11-12 04:54:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二


               黄金の光と暗い想念


先の続き・・・

そして、香川県から徳島県へと、あの大きな大坂峠を越えて入っていきました。
峠にさしかかった夕方、まだ暗くはなっていなかったのですけど、左側は山肌で、
中に道が通っており、右側は谷でやはり切り立った崖で、ガードレールが付けてあって
谷へ落ちないようになっています。
山を切り開いた峠を車が登っていき、私は助手席に乗せてもらって左側を見ますと、
山肌がちょうど車の黄色いヘッドライトでパァーッと照らしたように黄金色で、ずっと
光っているのです。
すごく光っています。
山肌が全部光っています。

それで、「ああひょっとしたら後からバスかトラックが来て、
黄色いライトをつけて追いかけてくるのかなあ」と思って後を何回も見たのですけど、何も来ません。
その峠を越えるまでずっとものすごく光っていたのですね。
四国の旅から帰って何日か経って、一緒にいってくれた方々と又お会いした時、運転してくれた方が、
「先生、あの峠を越える時、気が付きましたか」と言うのです。
「あ、お宅も気付きましたか」と言うと、「私、運転していましたから、前のほうがパァーッと光って、
ちょうど黄金の光ですから、あの強い黄色のライトで照らしたような光なので、バスが来たのだと思って、
何回もバックミラーで後を見ました」と、やっぱり同じことを言っているのですね。

「そんなこと言ったら頭がおかしいのかと思ってね、よう言いませんでした」
「ああ、気付かれましたか」と私が言いますと、後ろの席に乗っていた方も、
「私も右側のガードレールがずっと光っていたのを見ていました。
大阪のカードレールは確か白だったと思うのに、四国へ来たら金色が塗ってあるのかなあと思った」と言うのです。
「私たちは光です」と言いました時、忽ちその車の周りがものすごい黄金の光に包まれていたのです。
現実に何人おられても、皆が肉の目で見ることのできる光です。
本当の愛ゆえに行動を起こしますと、どなたでも全部、光になります。
光に包まれるのです。
愛は光なり、神は愛、光こそ神、
そういう自然界の中にも厳然としてはっきりとこの肉体の目をもって光を見せていただけます。


                ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-11-11 00:49:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二


         黄金の光と暗い想念


度々お話しますが、一切の自分の欲望を捨てて、
何の求める心なしに苦しいお方の為に、
或いは悩んでいる方の為に、又見えない世界の苦しむ方の為に、
ただその人たちの幸せを願って自分の行動を起こした時、私たちは光の天使です。
どなたでも皆、光の天使です。
そういう光の天使が行動を起こされますと、もしどんな地獄の底まで行かれても、
迷える霊は近づくことはできません。
なぜかと言いますと、これは光ですから、自分のしがみつく場所さえ分からない
光というのは、そういうものなのです。

これは、四国へお話に行った時のことです。
そこは見晴らしのいい十字路ですのに、次から次へと交通事故による死人が出るのです。
そこでお地蔵さんを建てて、拝み専門の人におがんでもらったり、
御祈祷をしてもらったりするのにその信号のたった一ケ所で、
もう何十人と次々に死んでいるのですね。
四国のS町というところです。
この場所で事故が起きないようにして下さいと頼まれていったのです。
それで、その地で亡くなられた方々でその地に意識を残して迷っている方々にお話させていただいて、
そして天上界にみな上げさせていただきました。
そうしますと、それ以後、一回も事故は起きていないそうです。

最初四国に行きました時は、そういう場所ばかりを「何とかして下さい」と言われて回ってきました。
その帰りに車の運転をして一緒にいってくれた方が、「先生、あんな恐ろしいところばかり
行くと、霊がいっぱい先生にすがってくるのと違いますか」と車の中で言うのですね。
私は、今お話したように、「私たちが一切の求める心なしに、たださせていただき、
救われて欲しいという思いだけで行動を起こしますと、私も光、こうして共に来てもらったあなたたちも光です。
だからもし迷える霊がたくさんいる場所を私たちが通りましても、その迷える霊たちは
私たちを理解することさえできない。
ただ光の塊が通っていくなあとしか理解できないので、
すがってくるなどとんでもないことです」と話したのです。


               ~ 感謝・合掌 ~



2008年11月11日当ブログの開設より
本日(2014年11月11日)で丁度6年になりました。

当ブログへの訪問者数ならびに閲覧回数を御報告させて頂きます。

総訪問者数:140,035 (64/日)
総閲覧回数:366,498 (167/日)

たくさんの訪問ならびに閲覧を頂きました事、心より感謝申し上げます。
これを励みとして今後も尚一層精進してまいります。
これから後も宜しくお願いします。







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「講演集」より。

2014-11-10 00:42:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


        恐い生き神様の話し


先の続き・・・

Mさんは私のところにその写真を持ってこられたのですが、
可哀そうに心臓のところに穴があけてあるのですね。
五寸釘を打った穴がね。
私は、「あんばいしてあげましょう」と言って、
その穴をもとどおりにしておきました。
このような、人を呪い殺すということは、
もう昔の物語だと思っていましたが、
今でもあるのですね。
不思議なことは、名刺に僅か四文字「明来闇去」と
書かせていただきましたものが、霊的な世界から見ますと、
まぶしくて見えないのです。

ただ胸の内ポケットに入れているだけで、
その人の姿さえ光で見えなくなってしまって、
そして絶対に返さないと言っていた写真をハイと
素直に返してくれたのです。
正しく生きる者には光がります。
これは天から守っていただくのです。
Mさんはその当時の自分の出来事を詳しく
書いてここへ持ってきてくれました。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-11-09 00:32:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


          恐い生き神様の話し


先の続き・・・

その生き神様と称する方は母子家庭で、中学生のお譲ちゃんと
小学校五年ぐらいのお譲ちゃんとその神さんであるお母さんとの家庭です。
親がああいうことをしていますと、子供にも移るのです。
親が間違った信仰をして霊的に通じますと、必ず子供に、孫にと、
遺伝のように伝わっていきます。
これは避けられません。
そこの下のお譲ちゃんは特にそういう霊感が強いのだそうです。
そして今の話しのMさんがその家の表に立たれますとね。
家の中で、「表に恐ろしい奴が来た、恐ろしい奴が来た」と泣き叫んでいる。
「恐ろしい奴が来た、まぶしい奴が来た」と泣き叫んでいるのです。

すると、お母さんの生き神様が出て来て、「ああ、Mさんですか、まあ入って下さい」と言って、
Mさんが中に入りますとね、その小さい女の子が恐ろしい顔をして男の声で、
「お前は誰じゃ。まぶしくて見えない、早く帰れ」と言って逃げていくそうです。
Mさんが、いつもはおじちゃんと言って膝に乗ってきてひどくなついていた子が、
その日に限って逃げて歩くので、「なぜこの子はこんなこと言うのですか」と聞くと、
「今日は天で神さんが暴れてるからこんなにしますのや」とそのお母さん言ったそうです。
それで、「実は写真を返してほしいのです」と言いますと、「はい」と素直に取ってきて
返してくれたのです。
Mさんは私のところにその写真を持ってこられたのですが、可哀そうに心臓のところに
穴があけてあるのですね。

五寸釘を打った穴がね。
私は「あんばいしてあげましょう」と言って、その穴をもとどうりにしておきました。
このような、人を呪い殺すということは、もう昔の物語だと思っていましたが、
今でもあるのですね。
不思議なことは、名刺に僅か四文字「明来闇去」と書かせていただきましたものが、
霊的な世界から見ますと、まぶしくて見えないのです。
ただ胸の内ポケットに入れているだけで、その人の姿さえ光で見えなくなってしまって、
そして絶対に返さないと言っていた写真をハイと素直に返してくれたのです。


               ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-11-08 02:54:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                 講演集、 二


             恐い生き神様の話し


先の続き・・・

ところで、そのお宅の奥さんのお姉さんの家族もそこで信仰していたのです。
その姉さんのご主人は、もう退職していますが、三十五年も刑事を勤めている人なのに、
そんなこわい刑事さんでも、ころっとその神さんにやられているのですね。
そして悪魔払いをしてやるから何万円持ってこいとか、やれこの家に又悪魔が入っているから、
今度は何十万円で取ってあげるなどといって、次々とお金をまきあげられています。
そして変なものが憑いているといって、これは結局憑けられてしまったのですが、
その方が初めて私のところへ見えられた時は、二人とも地獄の底の住人みたいな顔をしていました。
自分の周りが全然見えないで、遙かに高いところにポコッと穴があいて空が見えているような、
生きながら自分の意識が地獄にいっているような有様でした。

そのお姉さんの大学四回生の子供さんも、そこにいっていたのですが、
ある日、帰ってきて言ったそうです。
「お母さん怖いで、どこの人か知らんけど、神棚で男の人の写真が心臓に釘を打たれて、
先生が殺してやるのだと言って一生懸命拝んでいる、こわいで」と。
それで今度そこにいって写真をよく見たら、なんと自分の妹の婿さんだったので、
もう地獄の底にいる心地がして、自分ながら頭がおかしくなって、
妹さんと二人で私のところにこられたのですね。

そして、今話したいきさつを聞かせてもらいました。
「あなた方は、そんなやさしい顔をしてなんと恐ろしい方たちだ。
私だったら、あなたたちのように恐ろしい人は嫁さんにようなってもらわない、
殺されてしまう」と、私は言いました。
そして「早く写真を返してもらいなさい。そんな事をしていると、その念はものを作ります。
想念はものを作って形として現れるから、そんな事をされたら、ご主人は必ず体が
悪くなりなすよ、だから早く写真を返してもらいなさい」と言ったのです。
しかし何と言っても返してくれない。

「いったん神さんにお願いしたものを中止することはできない。
お前、お金が惜しくなったのか」と言うのだそうです。
「それでは私が、返してもらえるように、ちょっとおまじないを書いてあげますから、
これを胸のポッケトに入れていってみなさい、必ず返してくれますから」と、
何時も書かせてもらっている「明かりが来れば闇が去る」と、名刺の裏に書いて差し上げたのです。
私はそのご主人とはその時まだご縁が無かったのですが、
奥さんは「お父さん、これを持っていけば返してくれるそうです」と渡し、
ご主人はおまじないの私の名刺を胸の内ポケットへ入れていったのですね。


               ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-11-07 00:06:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


       恐い生き神様の話し


またとんでもない神様があります。
話すと、正法らしいことを言うのです。
そしてすばらしいことを言うので、
信者さんたちがそこへ行っていますと、
妙なことが起こってきます。
あるお宅のお父さんが教育熱心でスパルタ教育をするので、
上のお姉ちゃんがすねて。

いわゆる翔んでるお譲ちゃんになって、
親の言うこと聞かなくなったのです。
上はもう手がつけられないからというので、
今度は小学校四年生の下のお譲ちゃんに
お父さんのスパルタ教育が向かってきました。
その下のお譲ちゃんというのは身体が弱いのですね。
その神と称する人のところへ行きますと、
「この子はもう後二年したら死ぬ」と言うのです。
お姉ちゃんとお母さんが「なんとか助けて下さい。

なぜ死ぬのですか」と聞くと、
「お父さんが厳しい教育をするから、この子は耐えられない、
この状態でいくと、この子は二年以内に死んでしまう」と言うのです。
「それではなんとか助かる方法はありませんか」と言うと、
「お父さんが原因でこの子が死ぬのだから、この子を助けたかったら、
お父さんに死んでもらいなさい。
そうすればこの子が助かる。
お父さんが死ぬか、この子が死ぬか、
とちらかが死ななくては解決しない」と、うまいことを言うのですね。

そこでお姉ちゃんとお母さんとが相談をして、
こんなに小さなRちゃんが死ぬのは可哀そうだ、
お父さんはもう五十年ほど生きているのだから、
お父さんに死んでもらおうかと
いうことになったのです。
神様が「それじゃお金がちょっと高くつきますけど、
私がちゃんとしてあげます」
とおっしゃってね。
「写真を持って来なさい」とのことで、
写真を持っていったのです。


          ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-11-06 00:56:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


      出せば入る法則――原因結果の法則


先の続き・・・

ただ、正しい正法を知らない間は、その種が幸せの種か、
不幸せの種かが分からないのです。
盗みをしたり、人を泣かせたりすれば、
これが悪い種ということは分かりますが、
自分の心の作用の種には気が付かないのです。
その種は、
自分の心を苦しめた時に必ず苦しみの実りが現れるということです。
悪い行為はもちろんいけません。

今笑っていた人が瞬間に激怒するとか腹を立てて、
「怒らな損損」といって、怒っている人がありますが、
あれは毎日毎日怒るたびに不幸の種を播いているのです。
又、愚痴ばかり言っている人がありますね。
あれなども愚痴を言ったぐらいで不幸にならないと思っているのですが、
それが不幸になっていきます。
まさかと思う人の悪口についても、
「悪口を言うのはあいつが悪いから言っているのだ。
そんなことで不幸になるものか」と思いますが、
しかしいけません。

悪口を言う時「ここだけの話しですよ」と言うと、
もうすぐ向こうに聞こえています。
悪口ほど早く通じるものもありません。
「内緒やで・・・」と言えば言うほど、余計に人はしゃべりたいのです。
その結果、自分の心の中に大きな荷物を背負うことになります。
又、謗りですね。
もちろん恨んでもいけません。
もっといけないのは人を呪うことです。

夜中にカーンカーンと釘を打つ、あれは最も罪深いことです。
人を不幸にして自分が幸せになれるはずがありません。
それが分からないから、
「あいつが憎いから人形の心臓に釘を打ってやろう」呪うのですが、
これは遠い昔の物語かと思いましたら、そうではなくて、
今日はお見えになっていませんけど、神戸の方の現実のお話です。


         ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-11-05 01:56:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


        出せば入る法則――原因結果の法則


先の続き・・・

私のところのご近所で、
この人は商売がきつくて、えげつなくてね。ま、
商売の上手な人がおられました。
私たちよりも年輩ですでに引退されていますけど、
この人はこちらで千円の品物を何万枚も契約するとします。
ところがこちらよりも十円か二十円高かったら、
契約違反をしてでもそちらに売るのです。

その人は「何千万円の不渡り手形をつかまされた」とか
「何千万円やられた」と、私が知っているだけで何回もやられています。
私は自分のことを話して申し訳ないのですけど、
三十年近く商売をさせてもらった間、
一回も不渡り手形を受けたことはありませんでした。
ただし一回だけあったのです。
昭和四十五年、六年当時、六百万円引っかかったのですが、
しかしその九十五パーセントは返ってきました。
「やあ、あの人は恐いよう、運が悪いのか、よく不渡りくうなあ」というのは、
本当はやはりその人の心の不幸な原因が結果として現れてくるのですね。

ですから、日々の生活で、できるだけ間違った苦しみの原因を作らないことです。
不幸になっていく原因を日々作らないこと、これが精進です。
そして幸せの種をしっかり播くこと、幸せの種、
つまり良き結果が現れる原因を常に積み重ねることです。
その時播いた種は必ず芽生えますし、また成長して実ってくれます。
胡瓜が幸せで、茄が不幸とします。
自分が不幸の種の茄を播いておいて、
実ってきた時「私は胡瓜がほしかった、茄は要らない」と怒るのでは遅いです。
自分が茄を播いたのです。
幸せ不幸せとは、それと同じようなことが言えます。


~ 感謝・合掌 ~







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「講演集」より。

2014-11-04 00:24:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                 講演集、 二


        出せば入る法則――原因結果の法則


先の続き・・・

それはさせていただくから、していただけたのです。
しなければ、もし良い条件で他の大手から売りにいかれたら忽ち得意先を
取られてしまうはずですね。
なんと東京のお店に私から出向いたのはたった一回、しかも商売の話は一分間で済みました。
そして二十五年間、こういう今の人助けの生活に変わるまで、ずっとお取引していただきました。
これは出すことによって入ることの一つのいい例だと思います。
商売において、同じ商品を買っていただくにしましても、
「これ一つ売ったら五百円の口銭がある、なんとかこれを売って儲けてやろう」と思いますと、
相手の心にはもう入らないのです。

「この商品によってこの人が便利になり、幸せになってもらえるのだ、喜んでいただけるのだ、
儲けていただけるのだ」という一念でお勧めしますと、買う方の心にシャッターが下りません。
同じ利益をいただいて、同じ物を売るにしましても、利益を頭に入れて商売しますと、
金儲け主義となって相手に通じないのですが、買う側の幸せを思い、
その方のお役に立つのだという一心でお勧めした時は、相手の方にそのままストレートに入っていきます。
商売というのは、品物を売っているのだと思っていますけど、
本当は自分という人間の心を買ってもらっているのです。
信用ですね。

「あの人は信用できる、あの人の言う物なら買っても間違いない」というように、
全部心を買ってもらっているのですね。
品物は動いています。
そして欲がからんで取引しますと、「ああこれを買ってえらい目にあった」ということに
なってしまいます。
この自然界といいますのは、すべて調和を目的として運営されていますから、
私たちもそのように生きさせてもらえば、
その時苦しみの少ない安らかな人生を過ごすことができます。


              ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-11-03 00:58:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二


       出せば入る法則――原因結果の法則


先の続き・・・

私はこの正法にご縁をいただく前から、
いろいろ不思議な体験をさせていただきまいたが、
商売の上でも自分が儲けようとしてはいけないということを知っております。
人さまに儲けてもらう、かといって自分が損をしたら商売になりません。
人さまにご奉仕させていただくことをモットーにさせてもらいました。
関東のある所に本社のある貸布団業界の大手会社にご縁を頂きました。
毛布業界では最低四カ月の手形、長くて六カ月、
或いはお産手形と言いまして十カ月の手形もあります。
そんな時代に、そのお得意さんから現金で取引してやると言ってもらったのですね。
こんな有難いことはありません。
業界では絶対といっていいような大手のお得意さんが、
ひょいと舞い込んできて下さったのです。
まさに天上界から与えられたご縁です。
その時私はこれを全部儲けたら申し訳ないと思いました。
その後たった一度だけ東京の本社へ行きました。
受付の方に「大阪から参りました」と言いますと、「どうぞ」と案内して下さいました。

オフイスの机が並んでいるそのずっと奥の、社長の部屋へ行くまでの途中、
事務を取っている方たちが立って礼をして迎えて下さるのです。
「へえー、私のような者が来ても皆がお辞儀をしてくれるのだなあ」と思って社長室にはいりましたら、
案内してくれた人が社長さんだったのですね。
私に頭を下げてくれたのではなくて、社長さんにお辞儀をしていたのです。
よく考えてみると、私に頭を下げてくれるはずはありません(笑い)。
社長さん、会長さんとお見えになりまして、いろいろ世間話をしましたあと、
では商売の話をしましょうかということで、「条件はどういうことですか」と聞かれたのですね。
私は、「地元の問屋さんに入れさせていただいている相場で買っていただいたら結構です。
一銭も余計には要りません。
しかし送料、荷造り料はお宅さんで持って下さい、それ以外は要りません」と、
話をさせてもらいました。
「分かりました。では取引はして下さい」と、お話は何と二、三分ほどで済んでしまいました。
その後二十五、六年お付き合いさせてもらいました間、ずっと現金で買っていただきました。
私は何とか会社にご奉仕させてもらわなくてはいけないと思ったのですけど、
受け取っていただけないのです。

で、仕入れ部長さんが私のところに来て下さるので、
「うちは、これで儲けさせてもらっています。私だけが儲けては申し訳ないですから、
仕入れ部長さんに私の感謝の気持ちとして、
売上金額の二パーセントを還元させていただきます」と申し出たのです。
これは一億としますと、その二パーセントはいい小遣いになります。
盆と正月に分けまして、この半期の売上の二パーセントを仕入れ部長さんに送っていたのです。
そうしますと、その会社に大きなメ―カーから売りにきますね、ところが絶対に買わない。
「いや、うちはもう専属の製造所がありますから結構です」といって、
私のところより歩のいい話を持っていこうが、どんな大きなメーカーから行こうが、
よそからは絶対に買わないで、そしてほかに必要なものまで、私のところに注文があるのですね。
私は注文を頂いたらよそでそれを買ってきて送る、それで又何パーセントか儲けさせていただくという具合で、
相手に儲けて喜んでもらうことによって、
自分を守ってもらうということと必要以上に儲けさせていただくことを、
身を持って体験させてもらいました。
今日、こうして結構に生きさせてもらいますのも、商売を通して「こんなにぎょうさん
儲けさせてもらっていいのかなあ」という程儲けさせてもらったお陰です。
とはいっても、何億と儲けたわけではありません。
足ることを知った儲けです(笑い)。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-11-02 00:34:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             恩師のご著書「講演集」より


                 講演集、 二


         出せば入る法則――原因結果の法則


「他を愛せば自分が愛される」というのは、
「出せば入る法則」によるのです。
出さなかったら入りません。
自然はそのようになっております。
どんなに大きなダムをこしらえても、
大雨が降ったあと出すのはいやと言っていたら、
忽ちにして決壊しますね。
水門を開けてダアーッと排水するから、又入ってきます。
この肉体を見ましたらもっと明らかですね。
お尻と前と汗の穴を全部セメントで固めてしまったらこれはえらいことです。
三日を経ずして死んでしまいます。

前と後ろを縫ってしまって出ないようにしますと、もう生きられません。
「私は、もう一週間も便秘でうんちが出ません」という方がありますが、
しかしちゃんとおしっこは出ています。
神様は本当にうまいこと造って下さっています。
一週間、十日、或いは二十日間、大便が出なくても、
大便というのは九十パーセント以上は水分ですから、
その水分を腸が吸収してしまうのです。
そしてその水分の抜け殻になったカンカチコのうんちは、
極小さいものになってしまうので、一週間も十日も、
長い人は一か月でももつのです。
そして、
水分がみな抜けたコロコロとした堅い石みたいなのが出て来ます。
私のところにひどい便秘の方がお見えになって、
すぐ治る方もありますし、治らない方もあります。
「お宅、ケチですか」と聞きますと、
「いや、私はそれほどケチとは違いますけど」
「それじゃ、そんなケチケチせずに出して下さい」
と言うのですけど(笑い)。

それは不思議なものですね。
うんちというのは一度にたくさん出るものなのに、
十日も出なくて一体どうなっているのかなあと思いますが、
ちゃんと乾燥して水分はみな吸収されて滓たまるので、
量としては少なくてすむようになっているのですね。
大便が出なくても水分として汗なり或いは小便なりとして
出してもらうから体がもつのです。
出させてもらうから入るということを知ることです。


            ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-11-01 02:50:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


    人間は皆、自己が最もいとおしい


先の続き・・・

先ず自分を愛さなくてはいけません。
その自ら愛するといっても、
「ああ、可愛い可愛い」といって自分をあまやかしたらり、
自分の身体をなでさするのではありません。
これは肉体を愛しているのです。
自らを愛するとは「自分の心を苦しめないこと」です。
自分の心を苦しめないとうその苦しみとは何かといいますと、
これはいつも言います怒り・妬み・謗り・愚痴・・恨み・
憎しみ・不要の心配・不安・恐怖、これらの苦しみを、
自分の心の中に入れないこと、これが自己を愛することです。

そして、人さまに対しても腹を立てさせたり、
愚痴をいわせるような事をしたり、
不安・恐怖を与えたりしてはならないのです。
他を愛すれば愛するほど、今度は他から自分が愛されます。
「汝の隣人を愛せよ」の隣人とは自分の身近な隣人です。
自分の隣にいてくれる身近な人たちを愛した時、
つまりその人たちに一生懸命尽くした時、
その身近な方から愛されるのです。
他という対象を通して自己を愛することになるのです。
他の方、隣人を大事にすることによって自分が大事にされ、
愛し、尽くすことによって、
自分が愛され、尽くされます。


         ~ 感謝・合掌 ~







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