浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「講演集」より。

2014-12-16 01:12:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二


      東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

会場のほうも、いっぱいだった人が、自分が治療してもらったら、
一人去り二人去りして、もう三分の二ぐらいになっていました。
「こうして残っていただいた方は、ほんものです。
自分さえ良ければ良い、自分さえ治してもらえばもう用事はない、
そのようなさびしい心の方は消えていきました。
残った方は頑張って下さい」というお話のあとで、霊的体験の話もされていました。
「長尾先生とは深いご縁を頂いております」と演壇で話しておられるのを、
私は大きい柱のかげに隠れて聞いていました。
すると、演壇から「私はこの正法を広め伝えなくてはならないという
使命をいまだに果たしていません。
この私をどうぞお許し下さい」と、私のほうへ向かって泣いて話されました。
「どうぞ私の未熟さをお許し下さい」と言われます。

こんなに偉い先生が私のような者に言われるので、どうしていいかわかりません。
一生懸命お詫びして下さるので、私は光を送ってお祈りしていました。
最後に私の時間をちょっと頂いてお話をさせていただき、
「神の御心」を伝えさせてもらいますと、会場全体の方がわんわん泣き出されました。
お母さんがはげしく泣かれるものですから、
抱かれている小さいお子がもっとわんわん泣くのです。
お母さんの泣くのが子供さんに伝わってしまいました。
私の話しが終わりますと、或る先生が演壇に上がってきて、
私に抱きついて声をあげて泣いておられました。
私も、どのくらい時間が経ったのか分かりませんが、
「あなたはよくやってくれました。よく頑張ってくれました。

どうぞ今後とも努力して下さい」という言葉が私の口から出ておりました。
或る先生は私にしがみついてひどく泣いておられます。
こんな立派な先生と私のようなしょうもない者とでは、話にならないのですけど、
私の口からはそういう言葉が自然に出ておりましたね。
その場におられる皆さんも感極まって泣いておられます。
そして演壇から下りますと、もう皆さんが泣いて私に抱きついてくれるのです。
或る方などは走ってこられるなり、私にがっと飛びつくのですが、
その大きな方は髯を生やした東京の方です。
私は潰されそうになりました。
「私は高橋信次先生にお会いしました」と言って泣いておられます。
夜もよく寝ておりませんし、あまり泣いて目がおかしくなりました。
まあ感動の場面でした。


            ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-12-15 02:20:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二


     東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

沖縄では総勢百七、八十人の方の癒しをさせていただきましたが、
そんなに時間はかかりません。
「あなたは治りなさい」と言えばすぐ治ります。
だんだんとその力を強くしていただきます。
時間はかからないのですけど、百数十名にもなると、これは大変な数で、
翌朝のスケジュールでは講演だったのですが、しかし、あまり患者さんが
多いので、「先生は治療のほうに当たっていただけますか」ということで、
私は別の部屋で癒しに当たらせてもらいました。
まあいろいろな難病奇病の方に出会い、大変な旅でした。
しかし皆さんに喜んでいただきました。

翌朝は八時半から始めて、お昼まで掛かって全部終わったのです。
A先生が講演なさっているのでけど、お腹の辺りが大きいのですね。
「私も胃を上げて下さい」と言われ、「はいはい」胃を上げますと、
次の講演の時にはお腹の辺りがペチャンコになっているのです。
大変スマートになっておられました。
或る先生は霊道を開かれていましたが、
自分がそういう能力が得られたことから沖縄で縁ある方々に光を入れて、
多くの方の心に窓を開いていかれたのです。
過去を思い出して喋られますが、
これは、高橋信次先生がされたようにその先生もされたのです。

過去世を開きますと、自分は特殊な能力者で、自分は偉いと錯覚してしまうのですね。
「今、私の側に過去世を開いている人は一人もありません。
全部増上慢になって去っていきました」とその先生はおっしゃっています。
それでこういうことをしてはならないと悟られたのですね。
今は、そういうことはしておりませんとおっしゃっていましたが、
その先生の講演中、私はずっと治療を続けていました。
初めての場所であり、誰が誰かを知りませんから、一度済んだ方でも、
ずるい方はもう一度順番の中に入って治療を受けていたそうです(笑い)。

一人で二回も三回もです。
私は知らないものだから、初めての人かなと思って一生懸命治療をさせて
もらっていました。
その先生は自分のグループですから、よく知っておられますので、
講演の中で「己を捨てて人の為に、と常に法の中で説いているにも拘わらず、
先生の治療を頂いて又治療を受ける。
そんな教えをしたことはありません。
私は恥ずかしくて辛くてこの場にいたたまれなかったのです」と話されていました。


           ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-12-14 04:47:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


    東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

沖縄でも皆さんの前で懺悔、告白をさせていただいて、
私という人間の本性をありのまま見ていただきました。
皆様から、「どうぞ話を続けて下さい」と温かく許していただきました。
未熟者ですが、今後の生活に自分自身をかけていきたいと思います。
よろしくお願いします(拍手)。

沖縄でもそのあと話を続けましたが、ほんとうのリーダーというのは一点の
過ちも許されません。
どこか一つでも指されるところがあっても、正しい法を皆さんと共に学ぶ資格がないのです。
しかし、これを契機として、今後の自分の人生を高めていきたいと思っております。
沖縄での講演会は一時間半頂き、夕食後八時半から皆様に治療をさせていただきました。
私が行くということが次々広まりまして、研修会参加の方以外にどんどん押しかけてこられました。
研修会場のホテルは那覇空港から約三時間半のところにあり、沖縄の北端に
当たっています。

車で二時間半から三時間半もかけて、多くの方が詰めかけて下さいました。
一人ずつ用紙に名前を書いていただき、「誰さん」「誰さん」と次々に、
約百八十名の方の治療を夜十二時過ぎまで掛かってさせていただきました。
その中には車椅子で見えている方、
精神病で全くロレツの回らない精神分裂症の方などが見えています。
先の方は車椅子から下ろしますと、一歩も足が前へ出ないのです。

そのおばあちゃんはその場で足が動くようになって、ボチボチと歩いてくださいました。
その後、おばあちゃんは会場の中をあちらこちら歩き回っておられたそうです。
翌日もう一回見えたのですね。
翌日も光を入れますと、そのおばあちゃんの足は完全に治ってサッサッサと
自由に歩かれました。
ものすごく喜んで、沖縄の踊りを見せてくれました。
もちろん車椅子は不要となりました。


            ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-12-13 01:27:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


     東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

今日この場でも、皆さんの前で懺悔、告白します。
そして、私の思い、行いが、資格のない者ならば、
こういうお話会はもう止めた方がよいと思っています。
野に下って、せめて自分の身の一隅だけでも照らさせてもらう生活のほうが
有り難いと思っています。
正法を行じる者は己に厳しく、人を許すのが法であるべきですが、
己を欺くことは許されません。
今皆さんの心の思いの中で、
「資格がないからお止めなさい」又は「続けなさい」
のどちらでも結構です。

今決めていただきたいと思い、自らを裁きます。
皆様に私という人間を裁いていただきます。
(しばらくの間、会場の中に裁きの沈黙が続く。
そして会場の男性の方が泣きながら発言されました)
「先生は指導者と言われる人々の中で、未だかつて誰もできない、
偉大な勇気をもって、今私たちの前で自らを裁き、
自らを悔い改めておられます。
どうして私たちが先生を裁くことができましょうか。
『悔い改めよ、汝の罪は許されたり」先生の魂は神様から許されているはずです。
どうぞ、いつまでも私たちを見捨てることなく、
お導き下さいますようにお願い致します。
会場の皆様の心も思うことは同じであろうと思います。

今後共、より多くの人々をお救い下さい。
そして私たちに神理の道をお説き下さい。
お願い申し上げます」
(会場の二百名以上の全員は泣きながら、今後も講演を続けていただくよう、
拍手をもってお答えした)
ありがとうございます。
価値のない未熟な私ですが、こんな私でも許していただけるのでしたら、
お話会も反省会も続けていきたいと思います。
しかし、今後の生活の中に私自身どこから見ていただいても
非の打ちどころのないよう自分自身を鍛えて、
そのようになっていきたいと思っております。
どうぞよろしく、ご指導をお願いしておきます(拍手)。
ありがとうございます。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-12-12 01:23:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


        東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

それはもう元気になってくださいました。
それからすぐに会場に行って講演の時間を頂いて、お話をさせていただきました。
二百四、五十名も入っておられたので、後ろのほうは遠いです。
講演でその方のことを話しておりまして、「ここへ着くと早速こういう病気で
辛い方がおいでになりました。
今ここへ、来ておられますか」と聞くと、「どうぞ」ということです。
「今いかがですか」と言うと、向こうのほうで指を二本立ててVサインをして
おられるのです。
そのあと、ホテルのロビーをあちらへ行きこちらへ行きして、
写真を写して飛び回ってピンピンしていられました。
恐らく助かって下さると思います。

その方が健康になってくださって、地下の会場へ行きました時、C先生が講演をしておられて、
その話の終わりに、「このたび大阪から偉大な先生に来ていただきました。
それは長尾先生です」と紹介されて、「どうぞお願いします」
ということで演壇に立ちました。
「今、ご紹介で偉大な師とか、偉大な先生という言葉を頂きました。
しかし私はそんなに偉大な人間ではありません。
私を信じますと言っていただいたS先生、C先生方に対して、
私がどれ程過ちの多い人間かということを懺悔、告白させてもらう為に、
このたびここへ来ました。

皆さんの中にはあの先生は立派だ、あの先生は信じられると思っていただいた方もあると思います。
しかし過去において、十年の独身生活の中で、私は或る女性の方とお付き合いしたことがあります。
しかも皆さんには告白はしておりません。
そのような内緒事、隠し事のある者には正法をお話させてもらう資格はありません。
今日は皆さんや先生方の前で自らを裁く為に沖縄へまいりました。
そして皆様の前で、己の愚かな、
人に知られたくないことを隠したりするこの愚かな己自身を見ていただこうと思います。
そして、今もし「お前のような者は正法を説く資格がない」と判断していただきましたならば、
この場所で私を追放して下さい。

私は直ちに大阪へ帰らせていただきます」と言って、
皆さんに信じていただいた愛を裏切っていた己自身を懺悔、告白させていただきました。
そして、皆様に裁いていただきました。
その結果、話を聞かせて下さいといって、拍手で答えていただきました。
その時も話をさせてもらいましたが、一般の者ならばプライバシーとして通るかもしれませんが、
しかし皆様から信頼を頂いて、至らないけれど皆さんの
リーダーとして法のお話をさせていただいている者として、一点の曇りがあっても、
法を守る者の資格がないということをつくづく思っております。
前から見ても後ろから見ても、又上から、横から、どこから見ても、曇りの
ない己自身でないと、皆さんのリーダーとして、法を学ぶ者として失格だと思います。


            ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-12-11 05:05:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


        講演集、 二


   東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

このように話しをさせていただきましたら、癌の方の顔がだんだん安らいできました。
お話させていただく前はもう、ものを言う気力も返事をする気力もなかったのですね。
それが、「そう思います」と返事をして下さるようになりました。
「死を宣告された方に死ぬ話しをしまして、誠に申し訳ないことでした。
しかしこれは神様が持っていらっしゃいますから、人間はどうすることもできません。
病気を治すのは医者ではなくて、神様がその人の持っている寿命のところまで
持っていかれただけのことで、医者はただ神の御業、自然治癒力のお手伝いを
しているだけであり、人間の預かり知らないことです。
私にはあなたの命を救う力はありませんが、しかし祈ることはできます。
あなたの為に祈ることはできます。
どうぞベッドに寝て下さい」と言いって、休んでもらいました。
病気は昔から病魔といいますね。

このような癌も、或いは他の病気も病魔に冒されているのです。
ですから、「病魔は自分から離れて先生の中に行きなさい。
癌はこの私から離れて先生の中に行きなさいと、一心に祈りなさい」とお願して、
私も命がけで祈りました。
この方の息子さんが医科大学の四回生で、
その息子さんの勧めで私のところに命がけで来たとおっしゃっていました。
奥さんが「主人も大事ですけど、
先生に癌が移ってしまったら申しわけありません」とおっしゃるので、
「いや、構いません。私にできるのはこれぐらいのことです。
皆様も一緒に癌が先生の中へ行きなさいと真剣に祈ってください」と言いました。
皆様も泣きながら一緒に祈られました。

「病気は私の中に来なさい。癌であろうが何であろうが構いません。
この方に災いしていたら、あなたは救われません。
しかし私の心の中に来ればあなたは救われます。
私の中に来なさい」と呼び込みますと、その方の唇の色はサッとよくなりましり、
顔の血色も忽ちよくなって、元気なお顔になられました。
「先生、私は今病人であって病人でないような気持ちです」
「そうです、病人とは違います。あなたの病気はもう消えたのです。
どうぞ自信を持って下さい。今、心に思っていることが現実なのだから、
あなたはもう病人ではありません」


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-12-10 00:45:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二


   東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

それはまず、この世に生を頂きました以上は、
必ず死を約束してこの世に生まれているということです。
いや、そんな約束をしたことはないと思われるかも知れませんが、
人は死を約束してこの世に生まれるのです。
その証拠には人は全部死にます。
永遠に生きる人は一人もありません。
そしてめぐり会うことは、別れることを約束のもとにめぐり会っております。
ただ、その約束の時が遅ければそれだけ生き延びます。
そのように、私たちは死の約束のもとに今、生きさせてもらっています。
あなたも、今がもしその約束の時であれば、これを素直に受けるのが人間としての生き方です。
避けることはできません。

私がもしお迎えを頂いた時には、どのようにするか常々心掛けておりますし、
お話もさせていただいております。
昔から「死病と金儲けとはおろそかにはできない」と言います。
お金を儲けるのもそうですが、死んでいくにしてもおろそかには死ねないのです。
私たちの心に応じてそれぞれ死にゆく時に裁かれます。
それは例えば、自分の心を苦しめるものが十あるとしますと、十の苦しみを
受けないと死ねません。
或いは自分の心を百苦しめておりますと、百の苦しみが襲います。
ですから、常に反省して自分の心を軽くして罪を少なくしおかないと死の時に裁きがきます。

最終的に末期が訪れますと、
病院のベッドの鉄の手すりをグニャーと曲げてしまう方がよくあるそうですが、
あの鉄のパイプを痛み苦しみの為に曲げてしまうのですね。
まだ法にご縁のなかった頃、私の知った或る方で、
乳癌の苦しみから自分の頭の毛を全部引き抜いた方がありました。
又、畳の上で死ぬ時、その痛みに耐えかねて畳をかきむしって、
その中の藁を全部引き出すぐらいの激痛が襲う場合もあります。
苦しみもいろいろと段階があります。
私も恐らく罪が深いから、そう楽に死なせてもらえるとは思っておりません。
今から覚悟しております。
少々の苦しみは、それは致し方のないことですね。
お互いに覚悟はしておかなくてはいけませんね。
楽にコトンと死ねたら幸せですけど、そんなにうまいことはいきません。
うまくいけば幸い、いかなくて当たり前です。
しかし、覚悟だけはしておかなくてはいけません。
いよいよ最期が訪れた時は苦しみも襲うでしょう。

七転八倒の苦しみが襲うかもしれませんが、この世のあるだけの力をふりしぼって、
私は身近にいて下さる皆様一人一人に「ありがとうございました。
お世話になりまして、心からお礼申し上げます」と,
感謝の言葉だけは言わせていただきたいと思います。
もう少し余裕があれば、
「今ここにいていただけない縁ある方々にお礼を申し上げて下さい」と、
言付けをお願いしてあの世に帰りたいと思っております。
その代わり、死んでしまったと思いましたら、
もう振り向きもしないで極楽の世界へ一目散に走っていこうと思います。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-12-09 00:48:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二


      東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

沖縄へ来てほしいと招いていただいた時、
ほんとうならご遠慮させていただこうと思っておりましたが、
しかし自分のありのままの姿を見てもらわなくてはいけないと思って、
沖縄へ寄せてもらいました。
向こうへ着きますと、
ホテルの畳の部屋で皆さんが何人か雑魚寝でお休みになっていました。
私たち大阪から行きました四名のうち、
K先生と私の二人は大きい部屋に入れていただき、
あとの二人は別に一部屋頂いて泊めていただいたのです。
私に部屋へ案内して下さった方が、早速「先生、これを見て下さい」と言って
病状を書いたものを持ってこられました。
五十八歳の男性の方です。

その方が肺癌でもう二、三か月の命とお医者さんから宣告されているそうですが、
ご本人が知ると生きる希望を失い、自殺する危険性があるから、
絶対に秘密にしなさいというお医者さんの指導で、
奥さんもそれをかくしてご主人に分からないように努めておられたとのことです。
ところが、福岡に癌専門のよい病院があるから、
沖縄から福岡へ患者さんを送ることになったそうですが、
ご本人は癌ということを聞かされていませんから、
「なぜ私が福岡へ行かなくてはいけないのか」と言われる。
「行ってもらわなくてはいけません」「どうしてか」というやりとりがあって、
私が沖縄へ行かせてもらう前日の晩に、
とうとう「実はお医者さんから癌でこれだけの寿命と言われました」と奥さんが
ご主人に言ってしまったのです。

ご主人はまさかと思っているのにあと二か月、三か月の命と言われて、
ショックを受けられたのですね。
それは当然だと思います。
大きなホテルの地下の大広間で講演会をさせてもらったのですが、
部屋へ入るところに受付がありました。
その前の廊下の壁にそのご主人が凭れておられまして、
もう両足を抱きかかえて全く生きた骸のような、
自分で自分の身体を支えることができないような状態なのです。

その人を支えて連れておいでになりました。
この方に坐ってもらいますと、唇の色は無く、
顔色は青いというか黒いというか全く死んだ人のようです。
人間は生きる気力を失いますとそのようになります。
ものをいう気力もありませんでした。
先刻、その人の症状を書いたものを見せていただいておりますから、
前に坐っていただいて慰めの言葉もありません。
残酷なようですが、正しいほんとうの真理を伝えさせてもらいました。


         ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-12-08 01:22:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


       東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

しかし、これは私が治させていただいたのではないのです。
ただ「治りなさい」と言えば、治っただけのことで、私の知らないことです。
「ほんとですか」って聞いたのですが、これは神様が治して下さったのですね。
人間の私にそういうことができるはずはありません。
「どうぞこの方をお救い下さい。この方に神の光をお与え下さい」と祈って、
「足よ、しっかりしなさい」と言うと、治ったのです。
「神が病を癒し給い、医者がその手柄を横取りする」という言葉があります。
名医が病気を治したとします。
しかし本当は神様が治されたのです。
それをお医者さんは「わしが治してやった」と錯覚するのです。
神様の御業を医者が横取りする。

そういうお医者さんは、
やがて又「自分が」という「我」の中に相手の業を受けていかれますので、
お医者さん自身、身体の悪い方が非常に多いのです。
癌専門の医者が癌になったり、精神科の有名な先生が精神病になったりすることがよく起きます。
それは「儂が、儂が」という中に、相手の業を受けてしまうのですね。
これは私たちの日々の生活において大切なことだと思いますね。
「私がしてあげた」「私が助けてやった」という我の中に間違いなく相手の業を受けます。
「無我」つまり己を滅したその心掛けの中には業を受ける心配はありません。
東京では五時に帰らせていただきましたが、そのギリギリまで皆さんに取り囲まれました。
身体の悪い方に神の光を頂いておりますと、皆さんが治った治ったと喜んで下さるのですね。
「奇跡の連続でした」と言って、喜んでいただきました。
その晩にC先生が夜の講演をされました。

帰宅した翌日にそのテープを届けて下さったのですが、それを聞かせていただきますと、
次のようなお話をなさっていました。
「長尾先生はほんものです。私は先生の弟子になります。ほんとうの弟子にしてもらいます。
私は先生が大好きです。先生を愛します。先生を信じます」
そいうご講演をなさっていたのです。
とんでもない、私のような者が皆さんの前でC先生からそのように言っていただくなんて、
これはえらいことが起きたなと思ったのです。
私という人間をそんなに過大評価していただいて、もちろん私たちの心の友も皆さんもそうですが、
中にはまるで聖人君子のように思っていただいている
お方もありました。
或いは神だ仏だと言って下さる方もあります。
これはとんでもない間違いです。
自分を振り返りまして、これはえらいことを言っていただいと思いました。
これでは、私はそういう偉い先生方を裏切ることになります。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-12-07 02:43:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


        東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先の続き・・・

神様は人間の想像を絶する不思議なことを現わして下さいます。
一時間半を講演に、あと半時間を質疑応答の時間に頂きました。
百六十人ほどお見えいただきましたら、どんどん質問を頂くのですね。
その質問の内容は、みな自分の身体の悪いことばかりです。
やれ私は胃が痛いのです。
私は胃潰瘍です。
私は目が悪いのです。
私は肝臓が悪い・・・
ほんとうはそんなものは正法の学びの質疑応答の中には入らないのですけれど、
初めての場所ですし、お一人お一人にお答えしていました。
「胃潰瘍で、もう切らなくてはいけないと言われています」という質問には、
「いや、それはすぐ治ります」と答えて、「今、痛いですか」と聞きますと、
「痛くて苦しい」と言われます。

「では、すぐに治してみましょう」と言って、演壇からお祈りしまして、
「どうですか」と聞くと、「治りました」という場面もありました。
私の一番前に七十代半ばの男性で、体格のいいお年寄りがお見えになっていたのです。
そのおじいちゃんは戦争の時に足を怪我して以来、足が痛くて曲がらないそうです。
「こんなものでも治していただけるのですか」と質問されました。
「やはり四十何年経っているものがいっぺんに治るというのは、これは無理と
違いますか」と、お答えさせていただきました。
治療の時間になりましたので、服を着替えに行く時にそのおじいちゃんの足に、
「足の意識よ、しっかりしなさい。あなたは自分の使命を果たしなさい」と言って、
「どうですか」と聞くと、四十何年動かなかった足が突然動いたのです。

「ああ、動きます」とびっくりされて、「反対の足は、まだ動きません」と
言われるので、「いや、その足はまだやっていません」(笑い)。
高橋信次先生は「あなたの足を今両方とも治すと、あなたはもうこなくなります。
だから片方は残しておいてあげましょう」とよくおっしゃったのですけれど、
私はバカですから、両方治しましょうと言って、
「はい、こちらの足も治りなさい」と言いますと、すぐに治ってしまいました。
控室に入って私が着替えておりますと、
そのおじいちゃんが、昔、軍人さんでしたから直立不動になりましてね。
マイクを持って、「私は、四十年動かなかった足を今このように治していただきました」と言って、
動いた足を振って皆さんにお見せして、泣いて泣いて涙を拭いておられました。
皆さんも貰い泣きして共に喜んで下さいました。
いろんな超能力の先生方がお見えになっていましたけれど、
それには皆さんもびっくりなさったそうです。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-12-06 01:38:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


        東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白


先月お集まりいただきました後、東京に招いていただいて横浜、東京に参りました。
東京では約百六十人ぐらいお集まり下さって、皆さんに大変喜んでいただきました。
昨日と一昨日とは沖縄へ招いていただき、昨夜九時半にこちらに帰ってきたところです。
沖縄も大変な盛況でございまして、四日間に亙る「心の研修会」を開いておられて、
お見えになっている方は二百四、五十人でした。
東京でも沖縄でも信じられない奇跡を見せていただきました。
東京ではいろんな超能力の先生方が集まっておられたのですけど、皆さん、
とてもびっくりされました。

こんなわけで、あちらへ飛びこちらへ飛び、飛び回らせていただいております。
今日は、そのお土産話をさせていただきたいと思います。
東京へはこちらから総勢十二名で参りました。
私たちは横浜で一泊、翌日東京まで送っていただき、S先生お世話の会場へ参りました。
世の中には、いろいろと不思議な先生方がおいでになるもので、或る先生は
離れた場所から相手の方に手を動かして身体の悪い所を取り除くようにされますと、
病気が治ったり、ムチ打ちも治るし、腰痛も、腰の骨の曲がったのも
真っ直ぐになって治るということです。
又、水晶といえばすごく堅い石ですが、或る先生は念力で、手も触れないで、
大きな水晶の原石に穴をあけられたそうです。

又、目の中に指を突っ込んでかきまぜて治す方など、
いろいろと超能力の先生方が六、七人お見えになっていたそうです。
私が寄せていただくということを聞かれて、
それではどんな人間か見てやろうということでこられたようです。
前日、横浜で或る人から、「○○先生、××先生はこういう能力を持っておられます」と聞いて、
「私は出来ていないから行くのは嫌だなあ、そんな偉い先生方の前へ出るのはかなわないなあ、
恥ずかしいから手拭いを一本貸してもらって、
頬かむりして行きたいなあ」と、皆様と笑いながら話しておりました。
一緒にいっていただいたY先生が、「長尾先生、そんな偉い人ばっかり来ておられたら、
皆ひとまとめにして度肝を抜いてやって下さい」と言われるのです(笑い)。


                 ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-12-05 01:25:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


        自ら過去世を明かしてはならない


又、ある所に行きますと、私の目からパァ―ッと光が射したのです。
光を入れた方は「何とも言えないきれいな光が見えた、あれはE・Tだ」
と言います。
それで「E・Tって何ですか」と聞くと、宇宙人だそうです。
いろいろとあだ名をつけて下さいます。
中には魔法使いだとか日本昔話しの神様だとか。
ある方は、「先生の正体は何でございますか」と、もう何日も一生懸命尋ねて祈られたそうです。
すると、私が面白い白人の服を着て、体はもっと大きくて、ボロみたいなものを纏ってね、
腰を縄でくくって、変な木の杖をついて出てきたのだそうです。
それでその人がね、「先生、どなたですか」って聞くと、私が「アブラとハム」
と言うたのですって。

その人は四国の人ですけど、「先生ね、昔は油屋をやっていたのだそうな、
何か知らないけどアブラとハムって言うてましたよ・・・」
こうして油屋にされてみたりね。
その場に集まっていた人が「アブラハム、それはキリスト教の聖書の中に書いてある人だ、
ヘエー先生はそんな人だったのですか」と言っていたそうです。
しかし、そんなものには捉われません。
又そんなものは私に関係ありません。
人は何とでも言います。
しかしたとえ過去は誰であっても、もし今生間違っておれば、過去を恥ずかしめます。
自分の過去は尊いものです。
その尊い過去世をなぜ明かしてはならないかというと、それは肉体を頂いておれば、
つい過ちを犯すからです。
そして尊い過去を傷付けます。

だから、自分の過去は明かさないという重荷を自ら背負うのです。
それよりも今、今生で今のこの一時、一時をいかに生きさせてもらうか、
そしてできることなら、自ら神の使いであるという証をしたらいいのです。
行いの中に、或いは説法の中に、自分は神の御使い、私こそ神の御使いであると証明しなくては、
自分の過去を言うばかりであれば、これは通用しません。
行いと、説法、言葉をもって神の人、神の御使いとしての証しを立てていきたいと思います。
その時、神は願うことなしに、証をされます。
「この者は私の使いである。この者は私の出した御使いである」ということを
神様は証明してくださいます。
至るところでその証を立てられます。
望むことはありません。

神は大自然の意識であり、自然のままに現わされます。
どうぞ皆様も神の御使いとして、そして神様の投網を持って、
神様のよい魚を取り上げるようにひとつ努めて下さい。
小さい魚は逃げても構いません。
縁なき衆生は度し難しで、どれほど救いたい、どれほど幸せになってほしいと
私たちが願いましても、縁のない方を救うことはできません。
ですから、縁ある方、神様の投網にかかる方をどうぞ神の国に引き上げてさしあげてください。
どうも長い時間、ありがとうございました。


          ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-12-04 03:45:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


       自ら過去世を明かしてはならない


過去世については、言わなくてよろしい。
過去世みたいなものは、たとえいくら過去において偉かったとしても、
今生で呆けていましたら、それは駄目です。
過去世が何であったとしても、そんなものは関係ありません。
自分の過去世の分かる人は、
同時にこれを絶対に人に明かしてはならないという重荷を自ら背負いなさい。
私の過去世が何者であっても、これが何の利益になりますか。
それよりも今の私が、この言葉と行いと思いによって、私は正に神の御使いで
あるという証明をしたらいいのです。
私は神の御使いとして、思い、言葉によってそれを示すことができます。
過去世のようなものに捉われる必要は何もありません。
今、自分が神の御使いとして生きたらいい、証明したらいいのです。
自らの過去よりも立派に生きなくてはいけません。

もしそれよりも現在を落としてしまったら、自分の過去に傷を付けます。
その為に、過去の己を明かさないという重荷を自ら背負っていただきます。
ある方は「先生はいったい何者さんでございますか」と言われます。
「私は、あの田舎者でございます」「いや、ほんとうは何者ですか」
「ほんとうは私です」と言っています。
「いや、人間だったら、先生のようにはできない」と言うのですね。
リウマチで何十年間動けなかった方が、その場で治って動き出して歩き出され
たのです。
するとそのお姉さんが「先生は何者でございますか、こんなこと、人間だったらできません
」「いや私は私です」あまり不思議なことが起きますとね、
このように聞かれます。

先日も娘さんが腹痛で七転八倒し、「しっかりしなさいよ。もう二十分ほどで着くから」
「もう十分ほど頑張りなさい」と言って、車の後の席でお母さんが娘さんを抱きしめて、
やっと着いたというので、両親がその娘さんを抱きかかえて連れてきましてね。
その娘さんを寝かせて、私は立ったままで光を入れさせてもらいました。
すると、お父さんは自分の娘が、今いうのでおどろいて、私のそばに来て、
「先生はインベイダーですか」って言われました。
インベイダーと言うのは侵略者のことですね。「インベイダーか」っておっしゃるのです。
これは悪意ではなく、地球人ではあり得ない出来事に驚いて、
そのような表現をされたのだと思います。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-12-03 02:41:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


       神様の投網をこの世に放つのが使命


先の続き・・・

神様もまた、目覚めた優秀な人材というか、神の使いをしてくれる人を、
鵜の目、鷹の目になって探してくれます。
私は全国を歩かせてもらって、神様の投網をさげて歩かせてもらっているのです。
一切の求める心なしに、あちらこちらに神様の投網を打ってきます。
私の網にかかる人は魂の成長した大きな心の人で、その方が残ってくれます。
小さい魂の雑魚は網の目からみな逃げます。
そして一回一ケ所で網を打っても、残ってくれるのは僅か何十人です。
極端な方は、病気だけ治ったら話しを聞かずに帰られます。
この間尼崎に行きますと、四カ月も熱が続いて下がらないという方が見えていました。
お医者さんに五、六軒かかったけれども、原因が分からない。
その六十代のおばあちゃんを家の人が連れてきて、控室で寝かせています。
大阪でのお話を済ませてそこに行きましたら、もうその病人さんが待っています。
自分でひっくり返ってムチ打ちになったそうです。
「ムチ打ちと、熱が下がらなくて苦しい」
「はいはい、それじゃちょっとお願いしましょう」
と言って光を頂きました。

見ると、えらく肥えているのに、胃が骨盤の底にきていますから、
「胃は正しい場所に上がりなさい、そして熱は下がりなさい」と言いますと、
忽ち熱が下がって冷たくなりました。
「先生、私ムチ打ちなんです」
「はいはい、それじゃ治しましょう」
ムチ打ちが治りますと、お話が始まった時、スーッと帰ってしまってもうそこにおりません。
ああいうのは雑魚です。
神様の投網に折角かかっているのに、サーッと逃げているのですね。
「あの人、何しに来たのでしょうね。体を治してもらいにだけ来たのですね」
と言って笑ったのですが、そういう人はいっぱいあります。
ただ助けてもらって、治ったらもう関係ないのです。
しかしそういうことに懲りないで、相変わらず神様の投網をして歩いているようなものです。
そうして縁があってかかってくれる方の魂は大きく育った魚です。
大きな魚、わざわざ遠い所からこうして来ていただく皆さんは、ほんとうに魂の大きい魚だと思います。
ありがとうございます。

ですから私は、話を聞いてくれない方はしょうがないなあとは思いません。
要は治ってくれればいい、話を聞こうが聞くまいが関係ない。
だけれど、できることなら話を聞いてほしいものです。
折角来ているのに、病気だけが治ればサーッと帰ってしまっては愛想がありません。
どうぞ皆さんは神様の神理の投網を持っておられるのですから、世の中に向けて、
神理の網を放ってください。
かかる方もあるし、逃げる方もあります。
逃げる人が多いですよ。
そして一人でも救い上げて下さい。
そして正しい神理の道に導いてあげてください。
それが私達の使命です。
難しいことは要りません。
まず、自分が救われる、自分が安らぎをいただく、
そして次にその安らぎを人々にお伝えしたらいいのですね。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-12-02 00:10:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


        「仕事」の本来の意義


先の続き・・・

この話しをしますと、
「そんなことを言ったら、生きていけない」とおっしゃるから、
その方に言ったのです。
「考えてみなさい。企業を一つ例に取ってみましょう。
どんな企業も必ずピラミッド型になっていて、会長・社長・部長・課長・係長、
そして下があります。
企業というものは必ず優秀な人材をもとめていて、しょうもない奴は求めていません。

会社の為に頑張って役に立ってくれる人材を、鵜の目、鷹の目で、
新入社員の中から探しているわけです。
その中にあって、ちょっとしんどいから代わろうかとか、
油を売ってやろうかとか、えらい目をさせておいて、
給料が少ないなどと文句を言っておりますと、これは駄目だな、
役に立たないなと、選別されていきます。
それに対して、私は仕事を通して生きさせてもらっている、
そのご恩返しをさせていただくのだという思いをもって仕事をしますと、
人が見ていようが、見ていまいが関係なく、陰日向なく、
ただ感謝・報恩で仕事に精出していますから、それは上から見た時、忽ちに分かります。

ああ、ここに特異な人材がるなあと認められて引き上げられます。
やがて昇級の時期が来ましたら、
「ここに上げても大丈夫」と必ず引き抜いて用いられます。
しょうもない者に引き上げはきません。
そのようにして正しく仕事をした時、必ず出世できるようになっているのです。
人に蹴落とされたり、そんなことはしません。
時代遅れでもありません。
ほんとうの正しい生き方を知らないから、人の足を引っ張ったり、
人の悪口を言って自分の心に砂を詰めたりしてしまうのです。
企業は必ず優秀な人材を求めています。」


           ~ 感謝・合掌 ~



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