世間ではあまり知られていませんが、関ケ原合戦に挑むにあたり徳川家康は歴史に学ぶ賢者であった。
まず最初は合戦に備え前日に陣を構えた大垣市赤坂町にある岡山について
岡山(現在の勝山)を境内に持つ安楽寺は入口になります。
家康はここ安楽寺(聖徳太子が開祖)で必勝祈願をしています。
合戦に勝利した家康は帰り、安楽寺に立ち寄り御礼参りをして「葵の紋」を使うことを許可しました。
👇 家康陣跡の左に囲まれた碑があります。
「弘文天皇壬申難古跡」と書かれています。弘文天皇とは『大友皇子』のことで壬申の乱の際 大海人皇子が安楽寺に必勝祈願を
命じ勝利した後、大友皇子の冥福を祈りここに祀った場所であります。(実は壬申の乱も関ケ原が舞台です)
家康が合戦当日 最初に陣を構えた関ケ原「桃配り山」
家康は験担ぎに縁起の良い場所を陣地に選んでいました。
関ケ原古戦場記念館の隣が徳川家康最後の陣跡
奧の囲まれた場所で首実検が行われました。
関ケ原古戦場記念館の展示物から
徳川家康は尾張(愛知県)出身なので若い時から壬申の乱について学んでいたと思われます。