ここは岐阜県と滋賀県の境になります。
『正月も 美濃と近江や 閏月』 閏月(うるうづき)とは旧暦で一年が13カ月ある年を言う。立春、立夏、立秋、立冬など二十四節季は旧暦が基準になっている。
50cmほどの溝が県境になっており 江戸時代は左が美濃国不破今須村、右が近江国長久寺村(現在 長久寺はない)
当時 国ざかいにはそれぞれ旅篭があり、溝を挟んで旅人の話し声やお互いの会話が聞こえ、異国の話に新鮮さがあり夜な夜な話がはずんだことから名が付いた。
広重の今須宿には寝物語の国ざかいが描かれています。(Wikipediaから)
司馬遼太郎の『街道をゆく24』に 寝物語の里を訪ねた紀が書かれています。この書を読んで『なるほど そういう事か』と納得することがありました。
国ざかいは何処にもありますが、なぜここが異国と互いが呼びあうのか、中山道のここが江戸文化(美濃国今須村)と京・大阪文化(近江国長久寺村)の境と
なり、通貨制度では、江戸は「小判何両」の金本位制、京・大阪は「銀何匁(もんめ)」の銀本位制であったため、通貨の境目でもあった。
ここ中山道の南側はJR東海道本線と国道21号線が賑やかですが、反対の北側には杉や檜の植林の他 竹林やその間には墓地が所々にあり静かです。
西に歩き村はずれに『長比(たけくらべ)城跡』への登り口があり、ここの溝もなかなか面白い。
右の溝は伊勢湾に流れ、左の溝は大阪湾に流れると書いてあります。がっ、『ほんとかなぁ?』
長比城跡がある野瀬山への登山道は幾つかあるようです。
今回の中山道はロマンがありました。
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