私が中高生だった1980年前後は、深夜ラジオ放送の全盛期だったかと思います。
インターネットはおろかファミコンもビデオデッキも存在しなかったあの頃、不良じゃない学生の夜の娯楽と言えばテレビかラジオ、あとはマンガぐらいしか無かった筈。
テレビやマンガの見過ぎにはうるさい親御さんも、ラジオまではノーチェックだったんじゃないでしょうか? あんなに自由度の高いメディアだとは知らなかったでしょうから。
深夜ラジオで全国的にメジャーだったのはニッポン放送の『オールナイトニッポン』だけど、我が関西圏では毎日放送の「ヤンタン」こと『MBSヤングタウン』の方が人気だったかも?
夜10時から深夜1時までの放送で、ヤンタンからオールナイトニッポンをハシゴして聴いてた人も多いことでしょう。
私が聴いてた当時のヤンタン月曜日のメインパーソナリティは笑福亭鶴瓶、火曜日はイルカ、水曜日は原田伸郎、木曜日は笑福亭鶴光、金曜日は谷村新司、土曜日は明石家さんまと錚々たるメンツ。(日曜日は当時やってませんでした)
歴代を辿っても西川きよし、桂文珍、桂三枝、島田紳助、ダウンタウン、YOU、野沢直子、チャゲ&アスカ、やしきたかじん、嘉門達夫、岩崎宏美、森高千里、渡辺美里、つんくetc…とBIGネームが並びます。アリスや鶴瓶さん、さんまさんは現在も続けておられるみたいです。
さて、私が特に楽しみにしてたのが谷村新司&ばんばひろふみコンビによる金曜日と、原田伸郎の水曜日。私の投稿ハガキが採用されたのは原田さんの水曜日で、めっちゃ可愛い声の大津びわ子さんがアシスタントを務めておられた時期。
前回の記事に書いたように私が暗黒の中2時代を過ごしてた頃で、確か‘79年の夏だから『太陽にほえろ!』で私が一番好きだったボンボン刑事(宮内 淳)が殉職した前後の非常にデリケートな時期。
両親と兄弟(兄と私)の不仲が深刻で、家庭内の会話がほとんど無くなり、学校でも話し相手が1人もいないという、今思えば相当ヤバい精神状態だった時期。
家庭の暗さが負のオーラとなって学校でも滲み出て、だから誰も話し掛けて来なかったのかも知れません。ちょっとしたイジメの標的にもされたし、ホントによく死ななかったもんです。
あの1年で私の人間観、人生観が決定づけられましたね。家庭を持ちたいとはツユとも思わないし、恋人や友達付き合いが無くても全然平気。むしろ出来得るかぎり独りでいたい。
おっといけない、また重い話になって来ちゃいました。話をヤンタン水曜日に戻します。
あの当時、メインパーソナリティの原田伸郎さんに難癖をつける投稿が流行ってたんですよねw
とにかく原田さんの言動の挙げ足を取り、皆で寄ってたかって言いがかりとしか思えないイチャモンをつけ、それを原田さんが自分で嬉しそうに読むというSMプレイw
そんなある日、原田さんが番組冒頭でいつも「MBS! ヤングタウン!」ってタイトルコールするのを、アドリブで「MBS! 若い町!」って仰った。
その挙げ足を取って「ナメとんのかオノレは! どうせ英語に訳すなら毎日放送!若い町!って言わんかいドアホ!」みたいなことを書いたハガキが採用され、番組スタートの1発目でいきなり読まれましたっていうお話w
後年、それを録音したテープを聴かせても皆「これって何が面白いの?」ってなリアクションしかしてくれなかったけど、あの当時の流れからすれば笑えたんですよ! つまり、そんな些末な事にまでイチャモンつけるの?っていうナンセンスな笑い。解説したら余計つまんないけどw
いやしかし、面白いからこそ1発目に読まれたんだろうし、景品は参加賞のステッカーより一段上の「ヤンタンキーホルダー」が送られて来ましたから!
私は本名で投稿しましたから、翌日、学校のクラスで一躍ヒーローになっちゃうかも?ってドキドキしてたのに、声を掛けて来たのはN君っていう男子1人だけでしたw
彼は以前から「どうしたん? なんか暗いで」って、たまに声を掛けてくれてたんだけど、私はどう応えたらいいか分からず「いや、別に」って言うだけでした。あのクラスになってからの私は毎日暗くて、別にその日だけ暗いワケじゃなかったから。
今思えば私の存在を気にかけてくれる唯一のクラスメイトだったのに、当時は「お前はネクラやな」って念押しされてる気がして余計に落ち込んだもんです。
で、反響はそのN君の「きのう聴いたで!」みたいな一言だけでしたw 当時のヤンタンは凄い聴取率だった筈で他にも気づいたヤツが何人もいただろうに、それくらいあの頃の私は近寄り難いオーラを発してたんでしょう。
結局、暗い話になっちゃいましたm(__)m 誰のせいでもない、すべて自分自身の問題なのはよく解ってるつもりだけど、とにかく学校っていう場所に楽しい想い出がほとんどありません。多くの若い子が自殺しちゃうのも当たり前だと思ってます。
暗い話のまま終わるのもアレなんで、次はヤンタンとそれ以外の深夜ラジオの内容について書こうと思ってます。
爆笑問題の太田光さんが高校時代の3年間、1人も友達が出来なかったのに皆勤賞だったw、っていうのは有名なエピソードだけど、私も中2の1年間がまさにそんな感じでした。
1年生の時はちょっとヤンチャで目立つ方だったのに、2年生になってなぜかクラスの誰とも仲良くなれず、ほとんど誰とも口を聞かないまま(なのに皆勤賞で)1年間が過ぎて行き、3年生になると何となくまた友達が出来て普通に戻ってました。
あの1年間はいったい何だったのか? 周りの(内面的な)成長に私だけついて行けなかったのか、あるいはその逆なのか?……なんてことも考えたけど、そうじゃなくて恐らく単純に、輪に入れないヤツにも積極的に話しかけるネアカな生徒が1人もいなかった、たまたまそういうクラスに所属しちゃっただけの話なんだと思います。
自慢じゃないけど私は、自分から誰かに「友達になろう」とか「交際して下さい」なんてアプローチしたことは、生まれてこのかた一度もありませんw 究極の受け身人間で、誰かに話し掛けられるのをひたすら待つだけの卑怯なヤツなんです。
ところがやがて自主制作映画を撮る為に仲間を作らなきゃいけなくなり、自分から声を掛けるようにはなるんだけど、それはあくまで作品の為に仕方なくですw
今はそういう活動をしてないもんで、すっかりまた元の引っ込み思案に戻りました。以前にも書いた通り、職場の同僚とはプライベートな付き合いを一切してません。
こないだKさんとエアガンを撃ちに行ったし、映画も旧友と一緒に観に行ったけど、それもこれもシューティングと映画鑑賞の為に仕方なくですw 目的もなく誰かとツルんだり、ただ会いたいから会うなんて事はまぁ、まずありません。
いや、突き詰めていけば誰だってそうなのでは? 恋人と会うのだって最終的にチョメチョメしたいからでしょう? チョメチョメ。
チョメチョメ。チョメチョメ。
チョメチョメ。
話が逸れて来たので本題に入ります。今はもうすっかり孤独に強くなった私でも、学生時代はツラかった。いや、今は大部分の時間を1人で過ごせるから快適なだけで、集団生活をすればやっぱり孤立するのはツラいでしょう。
孤独そのものがツラいんじゃなくて、集団の中で味わう疎外感こそがツラいんです。だから学校生活なんて地獄でしかなかった。特に中2の1年間は。
そんな地獄の1年間、私が自殺しなくて済んだのは、『太陽にほえろ!』という刑事ドラマに夢中になってたのと、それについて語り合える親友が学校外にいたこと。そしてもう1つが深夜ラジオなんですよね。
まさに中2の夏、私が最も孤独をこじらせてた時に、1度だけ投稿ハガキが採用されて「MBSヤングタウン」で読んでもらった事があるんですよ!
その想い出話をする為に書き始めた記事なんだけど、前置きが長くなっちゃったので、続きはまた次回にw