何年も前に書いた自分のブログ記事を読み返すと、ホントに恥ずかしい。その理由は色々あるけど、一番は読者を「笑かそう」っていう野心がミエミエなこと。
かつてコメディー映画を創ってた頃、そこそこウケてチヤホヤされたりもして「オレには笑いのセンスがある」と勘違いしちゃったんですね。
そんなちっぽけな成功体験(なにせ人生の絶頂期)を引きずって、強引にでも文章で「笑かそう」としてた自分が滑稽で恥ずかしい。
『笑われる勇気』は私が何冊か持ってる蛭子能収さんのエッセイ本の1つ(人生相談シリーズ第2弾)のタイトルだけど、蛭子さんが素晴らしいのは「人を笑かそう」なんて野心を微塵も持っておられないところ。
「自分は笑われてナンボの存在」だとクールに割り切り、あくまでお金を稼ぐためにテレビに出てられた。お金(正確には競艇の軍資金)の為なら恥を恥とも感じない図太さがあった。カッコいい!
まあ、人生相談本も2冊目までいくと、何でもかんでも競艇の話に結びつけちゃう天丼ギャグにわざとらしさを感じなくも無かったけど、それもたぶん編集者に注文されての事でしょう。そういうのに抵抗を感じるプライドもとっくに捨てておられる。カッコいい!
phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んで私も自覚しました。いいトシをして笑いを取ろうとすること自体が痛々しい!
プロの人たち(芸人さんや漫画家さん)は常にネタを探したりセンスを磨いたりされてるから面白いんであって、素人のレベルなんてそれこそ大リーガーに対する少年野球のそれと同じ。
若いうちは愛嬌として許されても、オジサンの域に入ると急に周りの反応は冷たくなる。昭和の頃から既に「オヤジギャグ」なんていう蔑称があるように、センスが良かろうが悪かろうが関係なく、オヤジが笑いを取ろうとすること自体が痛々しいんです!
蛭子さんは本当に賢いし、強いと思う。笑われて当然と割り切れば「ミッドライフ・クライシス」なんて訪れようもないんだから。