前回、私の日常生活にはブログのネタになるような面白い出来事が無い、みたいなことを書きましたが、職場=介護施設の日常はネタの宝庫と言えなくもありません。
たぶん私の兄がそうだろうと思うけど、興味がない人や縁がない人はその実態をほとんど知らず、老人たちが優雅に暮らす「のんびりした場所」だと思い込んでるんじゃないでしょうか?
そんな人に「めっちゃハードだ」「ストレスフルだ」と伝えたところで、「何がそんなに?」「お前、どんだけ弱いねん?」としか思われないことでしょう。
だから現実を知ってもらいたい気持ちはあるけど、守秘義務もあるからどこまで書いていいやら線引きが難しく、まだ躊躇してます。
業務の内容に関しては、人手がまったく足りてない点も含めて病院とほぼ変わりません。実際ナースたちと一緒に仕事してるし、我々介護職員はそのサポートをしつつ、入居者さんたちの食事や入浴、排尿に排泄といった日常もすべてケアするのが仕事。
職員1人が何人もの後期高齢者(自分で動けなかったり認知症だったり)を同時にケアしなきゃいけないから、出勤から退勤までずっと動きっぱなしで(昼食を除いて)休憩時間はほとんどゼロ。
私自身、ある程度の忙しさは覚悟してたけど、ここまで時間に追われるとは想定外でした。
特に「入浴介助」は昭和の部活動みたいなハードさで、とにかく人数をこなさなきゃいけないから(約2時間ほど)ずっと水分も摂らずに動き回り、人を持ち上げたりもするからまるでアメフトの試合みたい。同業者の方なら、それが決して大袈裟な表現じゃないと解って頂けるはず。いや、さすがにアメフトは言い過ぎかw
そういった肉体的なストレスに、精神的なストレスも加わってくる。
これまで書いてきたようなチームで働く「人間関係」の悩みは置いといても、人様の生死に関わる仕事だから常に気を張ってなきゃいけないし、たとえば認知症の入居者さんが顔を見るたび同じ質問をして来るのを無視できないしんどさもある。
認知症については(自宅介護の経験で)免疫があるからまだマシだけど、特にストレスを感じるのがいわゆる「団塊世代」前後の男性入居者たちの横柄さ。私と怒鳴り合いの喧嘩をした相手がまさにストライクど真ん中。
お婆さんにいくらワガママを言われようが叩かれようがあまり腹は立たないけど、偉そうなジジイだけはどうにも我慢できず、私は反発してしまう。
で、そういうヤツに限って、それこそアメフトの選手並みに図体がデカいんですよ! だから背がちっちゃい私をナメてかかって来るし、男どうしならではの反発心もある。父がとても優しい人だったから、偉そうな爺さんに対する免疫が無いのも理由の1つかも知れません。
で、その団塊前後の爺さんたちが揃いも揃って、食いものへの執着が凄まじい! 午後3時のおやつタイムになると、こっちは50人近くいる利用者さんに一斉に配れるよう早めに準備を始めるんだけど、その爺さんたちが毎日必ず、一着を競うかのように食堂にやって来て「先によこせ」と言ってくる。
こっちは1人でチマチマした作業に追われ、ただでさえピリピリしてるのに、欲望をむき出しにした大男たちがハイエナのごとく寄って来て、偉そうに勝手な物言いをする。腹が立つし情けなくなるし、怖くもなって身体が震えてくるんですよ!
今の職場に就いてから、私は例の口喧嘩を含めて怒鳴り声を上げたことが3度あるんだけど、全部そのおやつタイムに起きた出来事でした。
で、正直に「おやつを担当すると自律神経がおかしくなる」ってリーダーに申告したら、次の週から毎日「入浴介助」に回されるようになりました。5日連続でアメフトの試合だから体力的には相当キツイけど、メンタルをやられる方が私にとっては致命的なので、良かったと思います。
おやつぐらいしか日々の愉しみが無いのは解るし、図体がデカいからこそ早く腹が減るんだろうし、態度のデカさもあの世代に染みついたもの(ゆえに家族から見放され、まだ元気なのに施設で暮らしてる)と思えば同情の余地はあるんだけど、こっちも人間だからロボットみたいには従えない。それがダメだと言うならいつでも辞めるつもりです。
ほか、私が担当してるのはトイレ(男用と女用を分けて数えると12カ所)の掃除と備品補充、おむつ交換、食堂におけるエプロン、おしぼり、入れ歯、お茶、食事の配膳、そして食事介助にトイレ介助など。
雑談のお相手をするのは一番のニガテ分野だから他の職員に任せて、とにかく私は常に動いてます。だから1日があっという間に過ぎていく。
当初はホントに死ぬかと思ったけど、偉いもんで人は50代後半になっても”順応する力“を持ってるんですよね。
で、土日は認知症の母が(他の施設のショートステイから)帰宅してるので、私も基本的には”見守り“のため在宅。けれど有難いことにウチの母は徘徊癖が無いから、整骨院へ通うついでに買い物したりする程度の外出はさせてもらってます。
そんな日常ですから、面白い出来事と言えば施設に入居してるお婆さんたちの可愛いボケっぷりとか……それくらいしか思い浮かびません。お婆さんはホントに大好きで、癒やされます。だから続いてるようなもの。
まったくの余談ですが、私が1年前に辞めたY運輸は相変わらず、トップの方針がコロコロ変わって現場は振り回される一方で、配達員たちの疲弊ぶりが深刻なレベルになってる様子。
忙しすぎてしんどいのは介護職も一緒だけど、私は目先の利益と保身しか頭にないお偉方のために働きたくないからY運輸を辞めました。かつての同僚たちには申し訳ないけど、大正解だったと思います。
可愛いお婆さんたちの為なら、体力が続く限りやれます。偉そうな爺さんたちが邪魔だけど、それこそ”無の境地“でスルーしていくつもり。
男って本当にクソですよね。心底から思います。戦争を起こすのも環境を壊すのも、ほとんどが男の仕業でしょう? 情けないったらありゃしない。
やっぱしんどいっスねw 短い記事なら30分程度で書けるかと思ってたけど甘かった。1時間以上は確実にかかっちゃう。
平日、帰宅して夕食を終え、ブログを書いてアップしたらもう、あとは風呂に入って屁をこいてすぐ寝ないと、必要な睡眠時間を確保できない。
じっくりテレビを観たり本を読んだりする時間が無いと、ブログのネタをインプットすることも出来なくなっちゃう。私の日常生活に面白いネタはそうそう転がってませんから。
前回のネタ(エスパー伊東さん)は、半ば苦しまぎれに新聞から拾って来ましたけど、時事ネタをそのままコピーするだけじゃ意味が無いから、どう書けば面白い記事になるか頭を絞って考える。そのシンキングタイムが長いワケです。歳を重ねるにつれ長くなってる。
で、さんざん考えた結果が「時代を象徴するスーパースター=エスパー伊東」だったり、前々回の「禿げとるやないかいっ!?」だったりするんだけど、大して面白くない😢
10年前ならもうちょい笑える記事が、もっと素早く書けてたような気がするワケです。それすら自惚れに過ぎないかも知れないけど。
いや、もっと自惚れるべきなんですよね、きっと。下手に考えるようになったから勢いまで無くしちゃった。
なんにせよ、やっぱ更新ペースは落としてくしか無さそうです。少なくとも平日は。
なにか書きたい、発信したいっていう意欲だけは衰えてないんだけど、体力と気力がついて来ない。
どっかのネットニュースをそのままコピペするだけのインチキじゃなく、ちゃんと自分の文章で“毎日更新”を実行されてる方はホントに偉いと思う。
とか何とか書いてる内に、今夜もまたインプットの時間が無くなりそうなので、これくらいにしときます。✋
私たちの時代を象徴するスーパースターがまた1人、今月16日に亡くなられました。
直接の死因は今のところ公表されてませんが、唯一無二のパフォーマンスで身体を酷使され、股関節が変形する大病に見舞われて、長期に渡る休業を余儀なくされてました。
けれども、いつか必ずや復活し、誰にも真似できないあのパフォーマンスを見せてくれるものと私は信じてましたし、その想いは皆さんも同じだったはず。
あのパフォーマンスを観る愉しみまで我々から奪うとは、本当に神が存在するならあまりに残酷すぎます。
どうか皆さん、忘れないで下さい。あのスターの輝きを。世界に誇るあのエクセレントな肉体表現と、そこに込められた深いメッセージを。
ありがとう。そしてさようなら。エスパー伊東さん。
人の死だけは茶化すべきじゃない、ぐらいの常識はいちおう心得てますが、笑わせてナンボの芸人さんに限ってはアリかと思います。
エスパー伊東さんは’90年代に『めちゃX2イケてるッ!』等のバラエティー番組で決して爆発的とは言えない人気を博したお笑い芸人さん。なのでご存じない方も多いかと思うので、読むだけで笑えるプロフィールを以下に転載させて頂きます。
↓
「上半身裸に黒スパッツ姿がトレードマークである。これは江頭2:50と同じ格好と思われがちだが、伊東自身はパンストの重ね履きだという。自らを”高能力者” “高能力パフォーマー”と称して、体育会系の学生が先輩に強要されてやるような怪しい芸を実行し、失敗しては笑いを取っている天然ボケキャラクターである。口下手のため、ソロではいじられ役に徹している。
顔だけ外に出して、ボストンバッグ等の中に全身を入れたまま登場することが多い。”高能力“を披露する際のテーマ曲は『バロック・ホウダウン』(いわゆる“エレクトリカルパレード”のテーマ)。これは、黒いゴム手袋を頭に被って鼻息で膨らませて割る一発芸を披露した際、割った後のゴム手袋の形がミッキーマウスの耳に似ていたことにちなんで使用されるようになったものである。いろいろな能力を示そうとするが、大抵失敗しては『はいーーっ』と言って誤魔化す。」
テレビ出演は少なかったけれど結婚披露宴などの営業活動で年間2千万円は稼いでおられたとか。しかしお金に執着はなく、もっぱら趣味のマンガやフィギュア収集に散財されてたそうで、親近感を抱かずにいられません。
御冥福をお祈り致します。
阪神淡路大震災から丸29年。そして私が前の職場に出勤した最後の日(’23年1月28日)から、もうすぐ丸1年。早いなあ……
その日のブログにアップした記事は『プータロー初日を迎えて』というタイトルで、本文には「胸に去来したのは解放感でも罪悪感でもなく、意外なことに喪失感だった」と書いてます。
ホームセンターで買い物をしながら、なぜか涙が止まらなくなったんですよね、その日。父を亡くしてからまだ3ヶ月も経ってなかったし、家族の数少ない楽しかった想い出が蘇ったりして。
別にコレといったキッカケも無く、急に涙が溢れちゃう。そんな日々がしばらく続いてました。今にして思えば、あの頃の私は「鬱」だったんでしょう。
仕事を辞めたから鬱になったんじゃなくて、辞めるに至るまで上司とさんざん対立したことや、父が亡くなってからの葬儀、法事、相続手続きを全部1人でやらざるを得なかったこと、それを兄がいっさい手伝ってくれなかったこと等のストレスが蓄積され、すでにメンタルが崩壊寸前だったんだと思います。
その結果……
禿げとるやないかいっ!?💢
平成元年に初めて運転免許を取得したとき、嬉しくて免許証を何度もマジマジと見返したもんだけど、昨年の更新でもらった最新の免許証は、氏名と住所を確認する為にサラッと見て以来、一瞥もしてませんw 禿げてるから。
鏡で毎日見る分には割り切れるけど、免許証の写真は数年置きのもんだから、ハゲに向かう歴史を振り返るような感覚がある。まあ、禿げてなくても「老い」を実感させられるのは誰でも同じかも知れないけど、特にハゲは哀れを誘う。(5歳上の兄はフサフサしたもんです)
かつて自主制作で映画を撮ってた頃、20代にしてスキンヘッドにせざるを得なかった若禿のサークル仲間がいて、彼がそれを自分で笑いのネタにするもんだから、私も乗っかってよくからかったんだけど、みごとに罰が当たりましたw
彼の潔さを見習って、私もそのうち(仕事柄スキンヘッドは無理だけど)バッサリ切ろうと思ってます。
鬱病の話を書くつもりだったんですけどねw ちなみに心療内科には今も月イチで通ってます。新しい仕事が続いてるのはそのお陰もありそうです。
前回の記事で、想定外にコメント欄が賑やかになりました。それだけペットに関する問題は誰にとっても身近なんでしょう。
で、まずは、KT Jacksonさんのコメントに対する私のレスが、読み返すと何だか意味不明なので補足しておきます。
KTさんのブログを読んでて私がいつも感動するのが、飼っておられる兎たちへの深い深い愛情。
単にペットを溺愛して犬を「ワンちゃんと呼べ」なんて言っちゃうアホな飼い主とか、ましてや自分んちの犬が宅配業者の足に咬みついてるのを見て「ほらほら◯◯ちゃん、ダメでしょ」と言って笑うだけの飼い主(実話)のそれとは質がまったく違うワケです。
犬や猫に比べて兎がとてもデリケートな生きものだから、っていう理由もあるでしょうが、とにかく「大切な生命を預かってる」っていう責任感がハンパない。←って、KTさんご自身が書かれてるワケじゃないけど絶対そう。「覚悟」が桁外れに違ってる。
「ペットに見返りを求めてない」って書いたのは、餌と引き替えに芸を仕込むような「何様」行為はされてないだろうし、兎たちから貰った「癒し」を倍にして返しておられるように感じるから。
そんな「ストイック」とも言える姿勢が、なんとなく「飼い主」というより「研究者」っぽいなと、ただイメージだけでそう書いたんだけど、やや難解というかトンチンカンな表現でしたm(_ _)m
けど、生命あるものを育てるんだから、それくらいストイックであるべきなんですよね本来。そういう意識を持たない、考えようともしない飼い主があまりに多すぎる!
酔っ払い運転を厳罰化するのは当然だけど、それに比べてペットが引き起こした傷害や殺人に関して、飼い主に与えられる罰が軽過ぎやしませんか?
コントロール出来ない獣を野放しにするのって、酔っ払い運転とまったく同じ行為ですよね? 個人的には「殺人罪」か「殺人未遂罪」に相当すると思いますけど。
上っ面だけの政治改革なんかしなくていいから、ペット加害の厳罰化と横田めぐみさんの奪還を最優先に、一刻も早く取り掛かりなはれ笑顔がキモい岸田くん!💨💨💨