屯田物語

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わたしのシネマパラダイス

2009年04月04日 | 百合が原

百合が原の温室から

わたしの生まれは旭川市4条15丁目右4号・・
当時、この界隈は赤線地帯の遊郭街であって、それなりに人が集まる、
そのためか14丁目から17丁目にかけてたくさんの映画館があった。
最も古い劇場の「松竹」はわたしの生家の真向かいで、わたしが六つか七つのときに焼失している。

こんな”ご近所さん劇場”でみた懐かしの映画を各々あげれば、


「松竹」   ”怪猫、鍋島騒動”       入江たか子
「富士館」  ”笛吹童子”          中村錦之助
「銀劇」   ”バーソロミューの大虐殺”  ジャンヌ・モロー 
「銀映座」  ”死闘の伝説”         加藤剛
「フランス座」 もしかして、ストリップ劇場だったかも・・


"バーソロミューの大虐殺" はカソリックと改革派の宗教争いを描いた史劇であるが、
これは成人指定となっていた。
それはジャンヌモローのヌードシーンがあったからだと思うが、
彼女の豊かな乳房をみたときはドキドキしたよ。(笑)
中学二年のときであった。
翌日、そのことをクラスで吹聴したら、さっそく何人かが見てきたそうだ。
成人指定であっても入場させてくれたのは、
地方の小さな劇場はそのことに拘らなかったというだけである。
ヌードシーンだけで成人指定にしたのだから、
”ニューシネマパラダイス”でキスシーンをカットさせた神父さんと似たようなものだろう。
このころはそういう時代だったのである。

わたしの”ニューシネマパラダイス”の原点がここにあった。

パラダイス座のように旭川の生家も取り壊されて更地になっていた。
何年か前に「右4号」の住居表示を偶然見つけて、
これはわたしがここで生まれた証なので記念に撮っておいた。
しかし、いまはもうなにも残っていない。