関西では、4年振りに「春一番」が吹きました。
春一番の要件は、次のとおり。
・立春から春分の日までの間。
・前日より温度が上がる。
・その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風(10分間の平均風速が8m/秒以上)。
この条件が整った時が、春一番となります。
春一番が無い年もあるので、近畿地方では、2013年3月18日以来、4年振りとなっています。
一瞬、暖かくなりましたが、また、今日から寒くなります。
関西では、4年振りに「春一番」が吹きました。
春一番の要件は、次のとおり。
・立春から春分の日までの間。
・前日より温度が上がる。
・その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風(10分間の平均風速が8m/秒以上)。
この条件が整った時が、春一番となります。
春一番が無い年もあるので、近畿地方では、2013年3月18日以来、4年振りとなっています。
一瞬、暖かくなりましたが、また、今日から寒くなります。
今朝のフジTVの「とくだね」では、クアラルンプールの殺害時の映像を入手し、放送しておりました。
先週、報道されていたように、一人の女性が、前から話しかけ、霧を吹きかけ、後ろからもう一人の人が、廻り込んでいる映像です。
その後、直ぐに2人は、別々の方向に歩いて逃げています。
金正男は、歩いて案内カウンターに行き、何かを訴え、その後、警備員と医務室に歩いて行く姿も放送されていました。
昼のニュースでは、日テレも映像を入手し、放送しておりました。
キー局全てを調べた訳ではないですが、TBSでは、入手できていませんでした。
後ろから金に手を掛けていた時間は、2秒でした。
ほんの一瞬の出来事。
しかも、後ろの女性に手を掛けられて、直ぐに倒れた訳でもなく、約10分ぐらいは、傍目には普通に歩いていました。
間違いなく、北朝鮮の仕業と言えるのは、病院に直ぐに北朝鮮大使館員が訪問していることから、判断できます。
先日、キトラ古墳の展示があったので、申し込んでみてきた。
久し振りの飛鳥。
今迄は、車で行ったが、今回、初めて、電車で出掛けた。
近鉄阿倍野橋駅から、壺坂山駅まで、急行でいきました。
途中の駅名が、古市、尺土など馴染みのない駅名がありました。
流石、古都ならではの地名が多いです。
キトラ古墳の実物は、それほど大きくなかったです。
でも、キトラ古墳は、7世紀末〜8世紀初め頃に造られたと推測されています。
1400年間、良く残っていたのが、不思議です。
今や、四神(ししん)は有名になりましたが、東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武です。
季節は、東が春、南が夏、西が秋、北が冬になります。
人生を四季に例えて、若年期を、東の青龍の靑と春が結びついて「青春」と言い、同様に、壮年期を「朱夏(しゅか)」、熟年期を「白秋(はくしゅう)」、老年期を「玄冬(げんとう)」と表現します。
都も、この四神に基づいて、作られています。
例えば、京都の平安京は、東青龍を鴨川に、西白虎を山陰道、南朱雀を巨椋池、北玄武を船岡山にして、作られたと言われています。
キトラ古墳には、四神とともに、干支も描かれています。
キトラ古墳は綺麗に整備されて、公園になっています。
キトラ古墳壁画体験館「四神の館」もあります。
https://www.asuka-park.go.jp/kitora/index.html
キトラ古墳の体験館を見て、事前に学習してから、古墳を見た方が良いかと考えます。
キトラの名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説。
古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説。
キトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎)から「亀虎」と呼ばれていたという説。
など、いろいろな説があります。
一度は、見ておきたい施設の一つです。
閑話:
飛鳥には、ビニールハウスがあちこちにあり、あすかイチゴを栽培しています。
イチゴ狩りもできます。
大粒の「あすかルビー」で、大粒の割に甘いイチゴです。
あすか駅近くの販売所で、6粒入り550円で売っていました。
思わず、買って帰りました。
美味しく頂きました。
野党は、稲田防衛大臣の説明が十分でないと言っている。
しかし、メディアも、野党議員も誰一人、そのスーダンに行っていない。
自衛隊の日報だけで議論している。
その日報に戦闘の文字が書かれていたから、それで議論している。
ここまでこじれたら、安倍総理、安倍総理とやかましい民進党議員が事実を把握しに、現地に行って欲しい。
国会では、無駄な議論をしているだけである。
机上の議論だけである。
このブログは、昨年、話題となっていた頃に作成していた内容です。
韓国人の特性について、書かれていた記事。
タイトルは、「日本人にできて韓国人に「不可能なこと」とは?=韓国ネット「悔しいけど認める」「韓国国民は簡単に人を許すから」
http://news.infoseek.co.jp/article/recordchina_RC_139236/
その中の文章に次の内容が書かれていた。
韓国企業は『適当に謝罪しておけばいい。マヌケな国民はすぐに忘れるだろう』と考えている。
おや、これは、誰かの対応に似ている。
・あの人は、 在日韓国人の2世だろうと、ブログに書かれている。
本当のところは、私は、未確認である。
http://utareyowai1115.blog.so-net.ne.jp/2016-05-12-1
このブログには、次の様に書かれています。
ここに書いてある文章を以下に記載します。
<抜粋>
「私の原点、そして誓い」
著・舛添要一(2008年1月)
[オモニ(おふくろ)の味]P125~P130 より抜粋
舛添家発祥の地は福岡県ですが、わが家は先祖代々朝鮮半島とはゆかりが深く、…私の父は自分の選挙ビラにハングル(朝鮮文字)でルビを振った最初の日本人だったようです。
(略)
ある日、全羅道(チョルラド)に行って、全州(チョンジュ)で食事をしたとき、どこかで食べたことがあると、懐かしくなったものがあります。
それはイカなどの海産物を煮付けたものでしたが、
よく考えると小学生のころ母が作ってくれた夕ご飯のおかずの味でした。
ゆかりが深い、、、
と言ってるだけでお父さんは日本人のようですが。
お母さんが韓国人だぞという感じですね。
じゃなきゃ、オモニとはなかなか言わないでしょう。
この書籍を読めば韓国人の血が入ってると思わざるを得ません。
また、舛添要一は1989年の「朝まで生テレビ」で、
わたしは朝鮮人だということをカミングアウトしているとの記事も。
時代はバブル(89年10月)。
番組のテーマは「外国人労働者受け入れ」についてだったそうです。
舛添要一さんは、コメンテーターが眠くなった深夜に急に怒鳴り始め「日本の文化習慣を完全にマスターした朝鮮人もいるんだ。それが私だ。」とカミングアウトしたそうです。
本当かどうかは別ですが、
書籍にはもっと赤裸々に韓国や母への想いが書かれています
<抜粋:以上>
・話題の都知事のプロファイル:
http://matome.naver.jp/odai/2138918472498869301?&page=1
もし、このブログの通りとすると、韓国人がコメントしている、この韓国企業の対応に似ている。
『適当に謝罪しておけばいい。マヌケな都民はすぐに忘れるだろう』と、思っているかもしれない。
しかし、韓国国民と同じ対応したら、マヌケな都民ではないよ言う点で見誤っている。
追記:
都知事の在日2世については、今は、不明です。
「舛添 朝まで生テレビ」で検索すると、その発言の映像・音声が検索されません。
国会議員をしていたので、日本人であることは、間違いありません。
図書館に、朝鮮人の名簿辞典がありますので、一度、図書館に行って確認してきます。
調べてみましたが、この辞典には、名前はありませんでした。
今や、すっかり忘れさられてしまいました。
その通りになっています。
韓国企業は『適当に謝罪しておけばいい。マヌケな国民はすぐに忘れるだろう』と考えている。
しかし、韓国企業が言っていた「マヌケな国民」は、実は日本国民だったのか?と考えさせる内容でした。