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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「すがすがしい」を変えました。

2010年01月09日 05時57分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうのブログに我が家の近くの道を「すがすがしい空気感」と書きました。その「すがすがしい」が気になって、いま「清清しい」と変更してアップしました。 ぼくは漢字にするかひらがなにするか迷うことがよくあります。そして迷ったときはひらがなにすることが多いです。例えば「今日」は「きょう」、「僕」は「ぼく」、「言いました」は「いいました」というように。
 むかしエッセイを書く練習をして添削を受けていたとき「気持」と書いたところを「気持ち」と訂正されました。何の疑問も迷いもなく「気持」と書いてきたので、「えっ?」と考え込みました。そして以後「気持ち」と書くことにしました。
 文を書く人にはそれぞれにこだわりがあって、いまでも旧仮名づかいで書く人もいます。また機械が簡単に漢字変換してくれるので漢字の多い文を書く人もいます。それぞれの人の「伝えたい気持ち」が自分なりに納得のいく表現を選んでいるのでしょう。
 でもぼくの場合、確固たる理屈があるわけではありません。感覚です。あの道路の空気感を「すがすがしい」と書くほうが伝わるか「清清しい」と書くほうが伝わるか迷って、やっぱり「清清しい」という字面を選んだのです。
 そんな自分なりのこだわりが一貫していないことは気になっています。このブログの題『古希からの田舎暮らし』の「暮らし」は「暮し」のほうがいいという気がしていますがいまも迷っています。
 去年の暮れにタマネギを一部植え直したので追肥が遅れていましたがやっとすませました。上から肥料を撒いて燻炭をかけ、その上に土をかけて飛ばないようにしました。このところよく冷え込んでいますが草の芽は出ています。また追肥をする二月にはしっかり草を抜かなくては。
 
 
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清清しい空気感を大事にしたい

2010年01月09日 05時03分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は我が家から畑への180メートルの道路です。左手先にため池が見えますが、ここに去年はヌートリアが住んでいました。その先は村の墓場になっており、そばにうちが借りている一反三畝の畑があります。清清しい空気感まで写っていませんが、散歩に畑仕事に毎日歩くぼくにはとても気持ちのいい道に見えます。
 道路わきの茂みは竹薮です。むかし生えていた松は竹に取り囲まれて枯れてしまい、いまではクヌギ・コナラがかろうじて生き残っています。秋にはその落葉が道路の全面をおおい、側溝の落葉は塊になって雨水をせき止めます。
 実はぼくは、何を隠そうこのの保健衛生委員なんです。(は回覧板をまわすために4班に分かれていて、順番で4班の班長になっただけのことですが)そこでほぼ落葉のすんだ12月中頃、その地位を利用して4班の各戸に道路清掃を呼びかけました。するとみなさん積極的に参加してくださって、落葉をきれいに片付けることができました。お礼は、道子さんがムシとたたかって収穫した丹波大納言小豆のおいしいぜんざい一椀を我が家のウッドデッキで。
 そのあと暮れの29日になってから、ぼくと道子さんで道路清掃の仕上げをしました。道におおいかぶさるように伸びていた笹を刈払い機で刈り、竹ぼうきで道路の土やゴミを溝に落とし、それを鋤簾(じょれん)でさらえました。この道を毎日電動車椅子で通られる近所の方もいい気分でドライブされてるでしょう。
 あちこちのを散歩していると、何の変哲もないのにどこかちがう清清しい空気感と出会うことがあります。ここもそんなところのひとつにしたい。
 



 
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