きのうのブログに我が家の近くの道を「すがすがしい空気感」と書きました。その「すがすがしい」が気になって、いま「清清しい」と変更してアップしました。 ぼくは漢字にするかひらがなにするか迷うことがよくあります。そして迷ったときはひらがなにすることが多いです。例えば「今日」は「きょう」、「僕」は「ぼく」、「言いました」は「いいました」というように。
むかしエッセイを書く練習をして添削を受けていたとき「気持」と書いたところを「気持ち」と訂正されました。何の疑問も迷いもなく「気持」と書いてきたので、「えっ?」と考え込みました。そして以後「気持ち」と書くことにしました。
文を書く人にはそれぞれにこだわりがあって、いまでも旧仮名づかいで書く人もいます。また機械が簡単に漢字変換してくれるので漢字の多い文を書く人もいます。それぞれの人の「伝えたい気持ち」が自分なりに納得のいく表現を選んでいるのでしょう。
でもぼくの場合、確固たる理屈があるわけではありません。感覚です。あの道路の空気感を「すがすがしい」と書くほうが伝わるか「清清しい」と書くほうが伝わるか迷って、やっぱり「清清しい」という字面を選んだのです。
そんな自分なりのこだわりが一貫していないことは気になっています。このブログの題『古希からの田舎暮らし』の「暮らし」は「暮し」のほうがいいという気がしていますがいまも迷っています。
去年の暮れにタマネギを一部植え直したので追肥が遅れていましたがやっとすませました。上から肥料を撒いて燻炭をかけ、その上に土をかけて飛ばないようにしました。このところよく冷え込んでいますが草の芽は出ています。また追肥をする二月にはしっかり草を抜かなくては。
むかしエッセイを書く練習をして添削を受けていたとき「気持」と書いたところを「気持ち」と訂正されました。何の疑問も迷いもなく「気持」と書いてきたので、「えっ?」と考え込みました。そして以後「気持ち」と書くことにしました。
文を書く人にはそれぞれにこだわりがあって、いまでも旧仮名づかいで書く人もいます。また機械が簡単に漢字変換してくれるので漢字の多い文を書く人もいます。それぞれの人の「伝えたい気持ち」が自分なりに納得のいく表現を選んでいるのでしょう。
でもぼくの場合、確固たる理屈があるわけではありません。感覚です。あの道路の空気感を「すがすがしい」と書くほうが伝わるか「清清しい」と書くほうが伝わるか迷って、やっぱり「清清しい」という字面を選んだのです。
そんな自分なりのこだわりが一貫していないことは気になっています。このブログの題『古希からの田舎暮らし』の「暮らし」は「暮し」のほうがいいという気がしていますがいまも迷っています。
去年の暮れにタマネギを一部植え直したので追肥が遅れていましたがやっとすませました。上から肥料を撒いて燻炭をかけ、その上に土をかけて飛ばないようにしました。このところよく冷え込んでいますが草の芽は出ています。また追肥をする二月にはしっかり草を抜かなくては。